文明のおこり・縄文・弥生・古墳 ── 問題
基礎
- 「薄手で赤褐色のかたい土器」は、縄文時代と弥生時代のどちらの特色ですか。 (ア 弥生時代 イ 旧石器時代 ウ 古墳時代 エ 縄文時代)
- 中国文明について正しいものはどれですか。 (ア インダス川。モヘンジョ・ダロの都市遺跡 イ ナイル川。象形文字と太陽暦、ピラミッド ウ チグリス川・ユーフラテス川。くさび形文字と太陰暦 エ 黄河・長江。甲骨文字、殷の青銅器)
- 群馬県の岩宿遺跡の発見によって明らかになったことはどれですか。 (ア 日本最大の古墳があること イ 日本で最初に稲作が行われたこと ウ 日本にも旧石器時代があったこと エ 縄文時代に文字があったこと)
- 縄文時代につくられた、女性をかたどった土製の人形を何といいますか。 (ア はにわ イ 土器 ウ 土偶 エ 銅鐸)
- 弥生時代に米をたくわえるために建てられた建物はどれですか。 (ア 竪穴住居 イ 環濠 ウ 貝塚 エ 高床倉庫)
- 3 世紀に邪馬台国を治め、魏に使いを送った女王はだれですか。 (ア 卑弥呼 イ 推古天皇 ウ ワカタケル エ 持統天皇)
標準
- 中国の歴史書『宋書』倭国伝に書かれている日本(倭)の記述はどれですか。 (ア 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送り「親魏倭王」の称号を受けた イ 倭は 100 余りの国に分かれている ウ 倭の奴国の王が使いを送り、金印を授けられた エ 倭王武が使いを送ってきた)
- 次の出来事を古い順に並べたとき、4 番目(最も新しい)になるものはどれですか。【岩宿遺跡の時代の人々の生活/稲作が九州北部に伝わる/卑弥呼が魏に使いを送る/大仙古墳がつくられる】 (ア 卑弥呼が魏に使いを送る イ 岩宿遺跡の時代の人々の生活 ウ 稲作が九州北部に伝わる エ 大仙古墳がつくられる)
- 稲作の広がりが社会にもたらした変化として正しいものはどれですか。 (ア 身分の差がなくなり、だれもが平等にくらすようになった イ 食料が不足して人口が減った ウ 貧富や身分の差が生まれ、むらどうしの争いが起きた エ 人々が食料を求めて移動生活を始めた)
- 日本最大の古墳「大仙古墳(仁徳天皇陵)」がある場所と形はどれですか。 (ア 埼玉県・方墳 イ 福岡県・前方後方墳 ウ 大阪府堺市・前方後円墳 エ 奈良県・円墳)
- 古墳時代に朝鮮半島から日本に移り住み、漢字・儒教・仏教・須恵器などを伝えた人々を何といいますか。 (ア 遣唐使 イ 倭寇 ウ 渡来人 エ 屯田兵)
- 埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣と熊本県の江田船山古墳の鉄刀に同じ大王の名が刻まれていたことからわかることはどれですか。 (ア 九州と関東は別々の国の王が支配していたこと イ 鉄が日本で初めて大量につくられたこと ウ 大和政権の支配が関東から九州まで及んだこと エ まだ文字が使われていなかったこと)
- 中国の歴史書などに記された、日本(倭)に関わる次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 倭王武が中国の宋に使いを送った イ 百済から仏教が正式に伝えられた ウ 倭の奴国の王が後漢に使いを送り、金印を授かった (ア イ → ア → ウ イ ウ → イ → ア ウ ア → ウ → イ エ ウ → ア → イ)
- 次は中国の歴史書『魏志』倭人伝の内容をやさしく要約したものである。この資料から読み取れることとして正しいものはどれですか。 「倭にはもともと男の王がいたが、国々が争い乱れた。そこで国々は一人の女子を王に立てた。名を卑弥呼といい、まじないによって人々を従えた。卑弥呼は魏に使いを送り、魏の皇帝から称号と銅鏡などを与えられた。」 (ア 倭はもともと女王が治めていたが、争いのあと男の王に代わった イ 卑弥呼は武力で国々を征服し、魏と戦って勝利した ウ 国々の争いのあと、卑弥呼が王に立てられ、魏と交流した エ 卑弥呼は後漢に使いを送り、「漢委奴国王」の金印を授かった)
- ある遺跡から、厚手で黒褐色の土器、貝殻が積み重なった層、女性をかたどった土製の人形が見つかった。この遺跡の時代の人々の生活として正しいものはどれですか。 (ア 鉄の農具と青銅の祭器を大陸から取り入れていた イ 王の墓として巨大な前方後円墳をきずいていた ウ 狩りや漁、木の実の採集で食料を得ていた エ 水田で稲を育て、高床倉庫に米をたくわえていた)
- 前方後円墳が、3 世紀後半から 6 世紀にかけて奈良盆地を中心に東北地方南部から九州地方まで広く分布するようになった。このことから考えられることとして正しいものはどれですか。 (ア 稲作が始まったばかりで、身分の差がまだ生まれていなかった イ 各地の豪族が独立し、大和政権とは異なる墓をつくった ウ 大和政権の支配や影響が、各地の豪族に広がっていった エ 朝鮮半島の国々が日本列島の各地を直接支配していた)
発展
- 弥生時代の青銅器と鉄器の使い分けとして正しいものはどれですか。 (ア 青銅器は祭りの道具、鉄器は武器や農具 イ どちらも田を耕す農具として使った ウ 青銅器は武器や農具、鉄器は祭りの道具 エ どちらも祭りの道具として使った)
- 大和政権で、豪族が血縁の集団ごとに姓(かばね)を与えられ仕事を分担したしくみを何といいますか。 (ア 氏姓制度 イ 律令制度 ウ 班田収授法 エ 荘園制)
- 佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、集落のまわりを深い堀とさくで囲み、物見やぐらを建てていたあとが見つかっている。ここから考えられる当時の社会のようすとして最も適切なものはどれですか。 (ア むらどうしの争いがあり、集落を守る必要があった イ 人々は移動しながら狩りと採集で暮らしていた ウ 身分の差がなく、人々は平等に暮らしていた エ 大陸との交流がなく、金属器は使われていなかった)
文明のおこり・縄文・弥生・古墳 ── 解答
基礎
- ア 弥生時代 縄文:厚手土器・狩猟採集・貝塚・土偶・竪穴住居・平等。弥生:薄手土器・稲作・高床倉庫・金属器(青銅器=祭り、鉄器=実用)・身分差・環濠集落。
- エ 黄河・長江。甲骨文字、殷の青銅器 大河のそばで農耕が発達し、文字と暦が生まれた。川と文字の対応で覚える。
- ウ 日本にも旧石器時代があったこと 相沢忠洋が関東ローム層から打製石器を発見(1946 年)。それまで日本に旧石器時代はないと考えられていた。
- ウ 土偶 豊かな実りや安産を祈ったと考えられる。はにわは古墳時代に古墳に並べた。
- エ 高床倉庫 湿気やねずみを防ぐため床を高くし、ねずみ返しをつけた。
- ア 卑弥呼 『魏志』倭人伝に記述。まじないで政治を行い、「親魏倭王」の称号と金印・銅鏡を授けられた。
標準
- エ 倭王武が使いを送ってきた 漢書(前 1 世紀・100 余国)→ 後漢書(57 年・奴国・金印「漢委奴国王」)→ 魏志倭人伝(3 世紀・卑弥呼)→ 宋書(5 世紀・倭王武)。小国分立から統一へ進む流れ。
- エ 大仙古墳がつくられる 旧石器(岩宿)→ 弥生の始まり(稲作・前 4 世紀ごろ)→ 3 世紀(邪馬台国)→ 5 世紀(大仙古墳・古墳時代)。
- ウ 貧富や身分の差が生まれ、むらどうしの争いが起きた 環濠集落や物見やぐら、武器として使われた鉄器が争いの証拠。指導者が現れ「くに」へ。米をたくわえられるようになったことが差を生んだ。
- ウ 大阪府堺市・前方後円墳 全長約 486 m。2019 年に「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録。
- ウ 渡来人 大和政権で記録や財政の仕事を担った。仏教の公伝は 6 世紀(百済から)。
- ウ 大和政権の支配が関東から九州まで及んだこと 「ワカタケル大王」(雄略天皇)の名。前方後円墳の分布とともに支配範囲を示す。
- エ ウ → ア → イ ア(倭王武が中国の宋に使いを送った)は 478 年、イ(百済から仏教が正式に伝えられた)は 538 年、ウ(倭の奴国の王が後漢に使いを送り、金印を授かった)は 57 年。古い順に ウ → ア → イ。金印は 1 世紀、卑弥呼は 3 世紀、倭王武は 5 世紀、仏教の伝来は 6 世紀。
- ウ 国々の争いのあと、卑弥呼が王に立てられ、魏と交流した 資料は「争い → 卑弥呼を王に立てる → まじないで治める → 魏に使い」の流れ。金印「漢委奴国王」は 1 世紀に奴国の王が後漢から授かったもの。
- ウ 狩りや漁、木の実の採集で食料を得ていた 厚手・黒褐色の土器は縄文土器、貝殻の層は貝塚、女性の人形は土偶で、いずれも縄文時代。人々は狩り・漁・採集で暮らした。稲作・金属器は弥生時代、前方後円墳は古墳時代。
- ウ 大和政権の支配や影響が、各地の豪族に広がっていった 大和政権と同じ形の前方後円墳が各地につくられたのは、各地の豪族が大和政権に従ったり結びついたりしたため。ワカタケル大王の名を刻んだ鉄剣・鉄刀も同じことを示す。
発展
- ア 青銅器は祭りの道具、鉄器は武器や農具 鉄のほうがかたく実用に向く。青銅器は光沢があり宝物や祭器に。青銅器の例は銅鐸・銅鏡。
- ア 氏姓制度 臣・連などの姓。大王を中心とする豪族連合の政治。
- ア むらどうしの争いがあり、集落を守る必要があった 堀(環濠)やさく、物見やぐらは敵から集落を守るための設備。稲作でたくわえが生まれ、土地や水をめぐる争いが起き、むらがまとまってくにができた。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koko/social/h-01/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。