飛鳥・奈良時代 ── 問題
基礎
- 律令国家の農民の負担のうち、庸の内容として正しいものはどれですか。 (ア 九州北部の警備につく兵役 イ 国司のもとで年 60 日以内の労働をする ウ 都での労役の代わりに布を納める エ 絹・糸・塩など地方の特産物を都まで運んで納める)
- 645年に起こった出来事はどれですか。 (ア 平城京への遷都 イ 大化の改新(中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我氏を倒す) ウ 白村江の戦い(唐・新羅に敗れる) エ 大宝律令の完成)
- 十七条の憲法の内容として正しいものはどれですか。 (ア 罪と刑罰のきまりを細かく定めた イ 土地と人民はすべて国家のものとした ウ 国民の権利と義務をくわしく定めた エ 役人の心得を示し、仏教を敬うことなどを説いた)
- 冠位十二階のねらいはどれですか。 (ア 手柄のあった豪族に土地を与える イ 家柄でなく能力によって役人に位を与える ウ 寺を建てて仏教を広める エ 農民から税を集めやすくする)
- 大化の改新で示された「土地と人民はすべて国家のもの」とする方針を何といいますか。 (ア 墾田永年私財 イ 班田収授 ウ 公地公民 エ 荘園)
- 班田収授法で口分田を与えられたのはだれですか。 (ア 成人男子のみ イ 農民の家の長のみ ウ 貴族のみ エ 6 歳以上の男女)
標準
- 唐招提寺(鑑真)は、飛鳥文化と天平文化のどちらに属しますか。 (ア 国風文化 イ 天平文化 ウ 鎌倉文化 エ 飛鳥文化)
- 行基の業績として正しいものはどれですか。 (ア 冠位十二階・十七条の憲法を定め、遣隋使を送った イ 大仏づくりに協力した僧で、民衆のために橋や用水路をつくった ウ 遣隋使として隋に渡った エ 東大寺に大仏をつくり、国分寺を建てさせた)
- 墾田永年私財法がもたらした影響として正しいものはどれですか。 (ア 公地公民の原則がかえって強められた イ 農民がすべての土地を失い、奴婢にされてしまった ウ 私有地(荘園)が広がり、公地公民がくずれた エ 租・調・庸の税がすべて廃止された)
- 聖武天皇が国分寺や東大寺の大仏をつくらせた目的はどれですか。 (ア 農民の税を減らし、人々の生活を楽にするため イ 貴族の力を強め、天皇をおさえるため ウ 仏教の力で国家を守り、社会の不安をしずめるため エ 唐に対抗する強い国をつくるため)
- 平城京について正しいものはどれですか。 (ア 聖徳太子が飛鳥につくった都 イ 794 年に京都につくられ、宋の都を手本にしたもの ウ 710 年に奈良につくられ、唐の長安を手本にした エ 現在の大阪につくられた都)
- 『万葉集』について正しいものはどれですか。 (ア 神話や天皇の系譜を記した最古の歴史書 イ 各地の地理や産物を記した書物 ウ 宮廷に仕えた貴族の女性の日記 エ 天皇から防人までの和歌を集めた歌集)
- 飛鳥時代の次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 壬申の乱が起きた イ 白村江の戦いで唐・新羅に敗れた ウ 十七条の憲法が定められた (ア イ → ア → ウ イ イ → ウ → ア ウ ア → イ → ウ エ ウ → イ → ア)
- 班田収授法では、6 歳以上の男子に 720 歩(2 段)、6 歳以上の女子にはその 3 分の 2 の口分田が与えられた。戸籍に、父 42 歳・母 29 歳・息子 3 歳・娘 9 歳と記された家族に与えられる口分田は合計何歩ですか。
- 次は奈良時代の『万葉集』におさめられた山上憶良の歌の内容をやさしく要約したものである。この歌から読み取れることとして正しいものはどれですか。 「家のかまどには煙も立たず、米をたく器にはくもの巣がはっている。それなのに、むちを持った里長が、寝ている所まで税を出せと大声でせまってくる。」 (ア 税が軽くなったため、農民の暮らしは豊かになった イ 農民は都で役人となり、税を集める側にまわった ウ 里長が農民に米を配り、食べ物には困らなかった エ 税の取り立てが厳しく、農民の暮らしは苦しかった)
- 次の史料はある人物が定めたきまりの一部(書き下し文)である。定めた人物と、このきまりの性格の組み合わせとして正しいものはどれですか。 「一に曰く、和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ。二に曰く、あつく三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。」 (ア 聖徳太子。農民の税の量を定めたもの イ 聖武天皇。大仏をつくる命令を出したもの ウ 中大兄皇子。土地と人民を国のものとしたもの エ 聖徳太子。役人の心構えを示したもの)
発展
- 白村江の戦いのあと、日本がとった対応として正しいものはどれですか。 (ア 軍を送って百済を再建した イ 都を平城京に移して守りを固めた ウ 九州北部に防人や水城を置き、国防を固めた エ 唐への朝貢をやめ、国交を断った)
- 正倉院の宝物にペルシアのガラス器などが含まれていることからわかることはどれですか。 (ア 日本でガラスの生産が始まり、さかんになった イ 西アジアの文化が唐を経て日本に伝わった ウ ペルシア人が日本に大量に移住した エ 日本が遠いペルシアを支配していた)
- 奈良時代前後の次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 墾田永年私財法が出された イ 三世一身法が出された ウ 『古事記』がまとめられた (ア ア → イ → ウ イ ウ → イ → ア ウ イ → ア → ウ エ ウ → ア → イ)
- 次の史料は奈良時代に出された法令の内容をやさしく要約したものである。この法令と、それが社会に与えた影響の組み合わせとして正しいものはどれですか。 「これまでは開墾した土地も期限が来れば国に返させていたため、農民はなまけ、開いた土地もまた荒れてしまう。今後は開墾した土地を私有の財産とし、期限を設けず永久に取り上げない。」 (ア 墾田永年私財法。公地公民の原則がいっそう強まった イ 班田収授法。6 歳以上の男女に口分田を割り当てた ウ 三世一身法。開墾した土地を 3 代までに限って私有とした エ 墾田永年私財法。貴族や寺社の私有地が広がった)
飛鳥・奈良時代 ── 解答
基礎
- ウ 都での労役の代わりに布を納める 租=稲(3%・地方の財源)、調=特産物、庸=布(労役の代わり)。調・庸は自分で都へ運ぶので重い負担。雑徭は労働、兵役には衛士(都)と防人(九州)。
- イ 大化の改新(中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我氏を倒す) 645 大化の改新 → 663 白村江 → 672 壬申の乱 → 701 大宝律令 → 710 平城京 → 743 墾田永年私財法。「無事(645)に改新、なんと(710)大きな平城京、なしみ(743)の墾田」などで。
- エ 役人の心得を示し、仏教を敬うことなどを説いた 「和をもって貴しとなす」。天皇中心の国づくりをめざした聖徳太子の政策。天皇の命令に従うことも説いた。
- イ 家柄でなく能力によって役人に位を与える 氏姓制度の家柄重視から脱し、天皇のもとに有能な人材を集める。
- ウ 公地公民 豪族の私有をやめ、天皇中心の国家に。のちに墾田永年私財法でくずれる。
- エ 6 歳以上の男女 戸籍にもとづき 6 年ごとに班給。女子は男子の 3 分の 2。死ねば国に返す。
標準
- イ 天平文化 飛鳥文化(7 世紀前半・聖徳太子のころ・最初の仏教文化)=法隆寺・釈迦三尊像・飛鳥寺。天平文化(8 世紀・聖武天皇のころ・唐の影響)=東大寺・正倉院・唐招提寺・古事記・日本書紀・風土記・万葉集。
- イ 大仏づくりに協力した僧で、民衆のために橋や用水路をつくった 人物と業績のセット。阿倍仲麻呂は遣唐使として唐で高官になり帰国できなかった人物。
- ウ 私有地(荘園)が広がり、公地公民がくずれた 743 年。口分田不足を補うため開墾地の永久私有を認めた結果、私有地が拡大。貴族や寺社が開墾を進めて私有地を広げた。
- ウ 仏教の力で国家を守り、社会の不安をしずめるため 鎮護国家の思想。大仏は 752 年に完成(開眼)。行基が民衆の協力を集めた。当時はききんや伝染病が広がっていた。
- ウ 710 年に奈良につくられ、唐の長安を手本にした 東西の市、和同開珎の流通。794 年は平安京。碁盤の目のように区画された。
- エ 天皇から防人までの和歌を集めた歌集 大伴家持が編集に関わったとされる。山上憶良の貧窮問答歌、防人の歌も。歴史書は古事記・日本書紀、地理は風土記。約 4,500 首を万葉がなで記す。
- エ ウ → イ → ア ア(壬申の乱が起きた)は 672 年、イ(白村江の戦いで唐・新羅に敗れた)は 663 年、ウ(十七条の憲法が定められた)は 604 年。古い順に ウ → イ → ア。
- 1680 女子は 720 × 2/3 = 480 歩。6 歳以上で口分田を受けるのは 父、母、娘。男子 720 歩・女子 480 歩を足して 1680 歩。口分田は死ぬと国に返す。
- エ 税の取り立てが厳しく、農民の暮らしは苦しかった 「貧窮問答歌」は、租・調・庸などの重い負担に苦しむ農民の姿をよんだ歌。負担からのがれるため逃亡する農民も出て、口分田が荒れた。
- エ 聖徳太子。役人の心構えを示したもの 十七条の憲法(604 年)。人々の和を大切にし、仏教(三宝)を敬うことなど、役人の心構えを示した。土地と人民を国のものとする公地公民は大化の改新の方針。
発展
- ウ 九州北部に防人や水城を置き、国防を固めた 663 年、百済を助けて唐・新羅に大敗。唐・新羅の侵攻に備えた。大宰府も整えた。
- イ 西アジアの文化が唐を経て日本に伝わった 天平文化の国際色。正倉院は校倉造で聖武天皇の遺品などを保管。シルクロードを通じて伝わった。
- イ ウ → イ → ア ア(墾田永年私財法が出された)は 743 年、イ(三世一身法が出された)は 723 年、ウ(『古事記』がまとめられた)は 712 年。古い順に ウ → イ → ア。
- エ 墾田永年私財法。貴族や寺社の私有地が広がった 期限なく私有を認めたのは 743 年の墾田永年私財法。それまでの三世一身法(723 年)は 3 代で返す決まりだった。貴族や寺社が開墾を進めて私有地(のちの荘園)が広がり、公地公民がくずれた。
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