鎌倉時代 ── 問題
基礎
- 鎌倉時代の新しい仏教のうち、曹洞宗を開いた人物と特徴はどれですか。 (ア 道元。ひたすら座禅をする(只管打坐)ことを説き、永平寺を開いた イ 日蓮。法華経を重んじ「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを説いた ウ 法然。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば極楽往生できると説いた エ 親鸞。阿弥陀仏を信じる心があれば悪人も救われる(悪人正機)と説き、農民に広まった)
- 1274年の出来事はどれですか。 (ア 文永の役(最初の元寇) イ 源頼朝が征夷大将軍に任じられる ウ 永仁の徳政令 エ 御成敗式目が制定される)
- 鎌倉幕府で、将軍が御家人に領地を保護・付与する「御恩」に対して、御家人が行う「奉公」の内容はどれですか。 (ア 将軍のために念仏を唱える イ 自分の荘園を将軍に寄進する ウ 収穫の年貢を将軍に直接納める エ 京都や鎌倉の警備や戦いで出陣する)
- 鎌倉幕府が国ごとに置いた役職と、荘園・公領ごとに置いた役職の組み合わせはどれですか。 (ア 守護 ── 地頭 イ 執権 ── 守護 ウ 地頭 ── 守護 エ 国司 ── 郡司)
- 源氏の将軍が 3 代で途絶えたあと、将軍を補佐する役職として実権をにぎった北条氏の地位を何といいますか。 (ア 執権 イ 管領 ウ 関白 エ 老中)
- 御成敗式目について正しいものはどれですか。 (ア 唐の律令を手本にした朝廷の新しい法律 イ 聖徳太子が定めた役人の心得 ウ 1232 年に北条泰時が定めた武家法 エ 農民の年貢の量を定めた法)
標準
- フビライ・ハンに最も関係の深い出来事はどれですか。 (ア 承久の乱のとき御家人に団結を呼びかけ、「尼将軍」と呼ばれた イ モンゴル帝国の皇帝で、国号を元と改め日本に服属を求めた ウ 御成敗式目を制定した エ 鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始めた)
- 承久の乱の結果として正しいものはどれですか。 (ア 朝廷が勝ち、そのまま鎌倉幕府が滅んだ イ 元が日本に攻めてきて戦いになった ウ 幕府が勝ち、京都に六波羅探題を置いた エ 源氏の将軍が復帰し、力を強めた)
- 元寇のあと御家人が生活に困るようになった主な理由はどれですか。 (ア 戦ったのに、恩賞の領地をもらえなかったから イ 農民が反乱を起こし、領地を失ったから ウ 領地をすべて幕府に取り上げられてしまったから エ 元に支配され、年貢を取られたから)
- 元寇のときに元軍が使い、日本の武士が苦戦した戦い方や武器はどれですか。 (ア 集団戦法と火薬の武器 イ 鉄砲隊による一斉射撃 ウ 一騎打ちと弓矢 エ 大砲を積んだ軍艦)
- 東大寺南大門の金剛力士像をつくった彫刻家はどれですか。 (ア 定朝 イ 雪舟 ウ 運慶・快慶 エ 鑑真)
- 琵琶法師によって語り伝えられた、平氏の興亡を描いた軍記物はどれですか。 (ア 方丈記 イ 徒然草 ウ 平家物語 エ 源氏物語)
- 鎌倉時代の次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 承久の乱が起きた イ 源頼朝が伊豆で兵を挙げた ウ 鎌倉幕府が滅んだ (ア イ → ウ → ア イ ア → イ → ウ ウ イ → ア → ウ エ ア → ウ → イ)
- ある御家人は 240 町の領地を持っていた。分割相続でこれを子 4 人に等しく分け、その子たちもそれぞれ自分の領地を子 4 人に等しく分けた。孫 1 人あたりの領地は何町ですか。
- 次の史料は鎌倉幕府が定めた法の一部をやさしく要約したものである。この法と、条文から読み取れることの組み合わせとして正しいものはどれですか。 「諸国の守護の仕事は、頼朝公の時代に定めたとおり、京都の警備に御家人を出させることと、謀反や殺人を犯した者を取りしまることに限る。」 (ア 御成敗式目。守護の仕事の範囲を決めていた イ 武家諸法度。守護が城を新しく築けると決めていた ウ 大宝律令。守護が国司を監督すると決めていた エ 御成敗式目。守護が年貢を取り立てると決めていた)
- 次は、ある出来事のときに北条政子が御家人に語ったとされる言葉をやさしく要約したものである。この出来事と、政子が呼びかけたねらいの組み合わせとして正しいものはどれですか。 「頼朝公が幕府を開いてから、皆が受けてきた官位や領地の恩は山よりも高く海よりも深い。その恩に報いる気持ちがあるなら、敵を討って幕府を守りなさい。」 (ア 承久の乱。上皇に味方するよう御家人を説得するため イ 承久の乱。御恩を思い出させ、御家人を団結させるため ウ 壇ノ浦の戦い。平氏の御家人を源氏に寝返らせるため エ 元寇。外国と戦えば新しい領地がもらえると約束するため)
発展
- 鎌倉時代の農業・商業の発達として正しいものはどれですか。 (ア 二毛作が広まり、定期市が開かれ、宋銭が使われた イ 株仲間がつくられ、営業を独占した ウ 蔵屋敷が大阪に置かれ、米が集まった エ 輪作が始まり、月 6 回の六斎市が開かれた)
- 永仁の徳政令(1297 年)の内容はどれですか。 (ア 御家人が手放した土地をただで取り戻させた イ 商人に新しい税をかけた ウ 農民の年貢をすべて免除した エ 武士の借金をすべて認め、返させた)
- 肥後国(熊本県)の御家人竹崎季長は、元寇で戦ったあと自ら鎌倉へ行き、手柄を認めて恩賞を与えるよう幕府の役人に直接うったえた。この話から考えられることとして最も適切なものはどれですか。 (ア 元軍から奪った広い領地を、幕府が御家人に分け与えた イ 御家人にとって恩賞の領地は重要で、手柄の確認を強く求めた ウ 元寇のあと、御家人は十分な恩賞を受け取って豊かになった エ 御家人は幕府と主従関係がなく、恩賞を期待していなかった)
- 鎌倉時代、荘園の土地を地頭と荘園領主とで分け合い、それぞれが支配するようにした例がある。この取り決めと、その背景の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア 下地中分。荘園領主が地頭を追い出し、支配を強めたため イ 下地中分。地頭が荘園の支配を強め、荘園領主と争ったため ウ 徳政令。御家人が売った土地を荘園領主に返したため エ 班田収授。口分田が不足し、地頭に新しく配ったため)
鎌倉時代 ── 解答
基礎
- ア 道元。ひたすら座禅をする(只管打坐)ことを説き、永平寺を開いた 念仏系(浄土宗・浄土真宗・時宗)、題目(日蓮宗)、禅宗(臨済宗・曹洞宗)の 3 グループで整理。
- ア 文永の役(最初の元寇) 1185 壇ノ浦・守護地頭 → 1192 征夷大将軍 → 1221 承久の乱 → 1232 御成敗式目 → 1274・1281 元寇 → 1297 徳政令 → 1333 滅亡。
- エ 京都や鎌倉の警備や戦いで出陣する 土地を仲立ちにした主従関係(封建制度)。「いざ鎌倉」「一所懸命」。
- ア 守護 ── 地頭 守護は軍事・警察・御家人の監督、地頭は年貢の取り立てと土地の管理。
- ア 執権 執権政治。管領は室町幕府、老中は江戸幕府、関白は朝廷。
- ウ 1232 年に北条泰時が定めた武家法 武士社会の慣習をまとめた 51 か条。のちの武家法の手本。最初の武家法で、御家人の裁判の基準となった。
標準
- イ モンゴル帝国の皇帝で、国号を元と改め日本に服属を求めた 北条氏は政子(頼朝の妻)→ 泰時(式目)→ 時宗(元寇)。朝廷側は後鳥羽上皇(承久・敗北)と後醍醐天皇(倒幕・成功)を区別。
- ウ 幕府が勝ち、京都に六波羅探題を置いた 後鳥羽上皇は隠岐へ。上皇方の領地を取り上げて東国の御家人を西国の地頭に任じた。西国にも幕府の支配が広がった。
- ア 戦ったのに、恩賞の領地をもらえなかったから 外国との戦いでは奪える土地がない。分割相続による領地の細分化、貨幣経済での借金も重なり、幕府は永仁の徳政令を出した。戦いの費用は御家人が自分で負担した。
- ア 集団戦法と火薬の武器 日本の武士は一騎打ちが中心。防塁(石塁)と暴風雨で撃退した。鉄砲は 1543 年伝来。火薬の武器は「てつはう」と呼ばれた。
- ウ 運慶・快慶 鎌倉文化の力強く写実的な作風。定朝は平等院の阿弥陀如来像(平安)、雪舟は室町の水墨画。
- ウ 平家物語 「祇園精舎の鐘の声」。無常観。方丈記(鴨長明)・徒然草(吉田兼好)は随筆。源氏物語は平安。
- ウ イ → ア → ウ ア(承久の乱が起きた)は 1221 年、イ(源頼朝が伊豆で兵を挙げた)は 1180 年、ウ(鎌倉幕府が滅んだ)は 1333 年。古い順に イ → ア → ウ。
- 15 子 1 人あたり 240 ÷ 4 = 60 町、孫 1 人あたり 60 ÷ 4 = 15 町。代を重ねるほど領地が小さくなり、元寇の負担もあって御家人の生活は苦しくなった。
- ア 御成敗式目。守護の仕事の範囲を決めていた 1232 年に北条泰時が定めた御成敗式目は、頼朝以来の武士の慣習をもとに、守護・地頭の仕事や相続の裁判の基準を示した。年貢の取り立ては地頭の仕事。武家諸法度は江戸幕府の法。
- イ 承久の乱。御恩を思い出させ、御家人を団結させるため 1221 年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうと兵を挙げたとき、政子は頼朝以来の「御恩」を思い出させて「奉公」を求め、御家人をまとめた。幕府は勝ち、六波羅探題を置いた。
発展
- ア 二毛作が広まり、定期市が開かれ、宋銭が使われた 牛馬耕・草木灰も普及。六斎市は室町、株仲間・蔵屋敷は江戸。二毛作は米の裏作に麦。定期市は月 3 回。
- ア 御家人が手放した土地をただで取り戻させた 御家人を救う目的だったが、借上(金貸し)が貸さなくなり、かえって経済が混乱した。御家人が売ったり質に入れたりした土地が対象。
- イ 御家人にとって恩賞の領地は重要で、手柄の確認を強く求めた 御恩(領地)と奉公の関係で結ばれた御家人にとって、戦いの手柄に恩賞が与えられるかは大問題だった。外国との防衛戦で新しい領地は得られず、多くの御家人が恩賞を得られなかった。
- イ 下地中分。地頭が荘園の支配を強め、荘園領主と争ったため 年貢の取り立てなどを任された地頭は荘園への支配を強め、荘園領主と争った。その解決策として土地を分けたのが下地中分。地頭の力が荘園にまで及んでいたことがわかる。
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