現代日本の政治過程 ── 問題
基礎
- 現代日本の政治について、2001 年の中央省庁再編と内閣機能強化の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 省庁の数は変えずに、内閣総理大臣の閣議における発議権を憲法に明記し、経済財政諮問会議を財務省に置いた イ 1 府 22 省庁を 1 府 12 省庁に再編するとともに、内閣府を新設し、内閣総理大臣の閣議における発議権を内閣法に明記した ウ 1 府 22 省庁を 1 府 12 省庁に再編したが、内閣府の新設や首相の発議権の明文化は民主党政権のもとで 2009 年に行われた エ 1 府 22 省庁を 1 府 12 省庁に再編するとともに、内閣人事局を設置して国家公務員の幹部人事を内閣が一元的に管理することとした undefined 1 府 12 省庁を 1 府 22 省庁に再編して各省の専門性を高めるとともに、内閣府を廃止して内閣官房に総合調整の機能を一元化し、経済財政諮問会議を財務省に移管した)
- 戦後日本の政策決定について「官僚優位論」を唱えた政治学者は誰ですか。 (ア 猪口孝 イ 辻清明 ウ 飯尾潤 エ 升味準之輔 undefined 村松岐夫)
- 55 年体制下の自民党の派閥に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 中選挙区制のもとでは同じ選挙区に自民党の候補者が複数立つため、党ではなく派閥と個人後援会が候補者を支え、派閥は総裁選挙・ポスト配分・資金配分の単位として党内の擬似的な政権交代の役割を果たした イ 小選挙区制のもとでは同じ選挙区に自民党の候補者が複数立つため、派閥が候補者を支え、派閥間の競争が党内の擬似的な政権交代の役割を果たした ウ 派閥は 1994 年の政治改革で法律により禁止され、それ以降の自民党には派閥が存在しない エ 派閥は政策分野ごとに組織され、省庁と業界団体を仲介する族議員の集団として機能したが、総裁選挙やポスト配分には関与しなかった undefined 派閥は社会党にだけ存在した党内集団で、自民党は総裁を中心に一枚岩の組織を保っていた)
- 1993 年の 55 年体制の崩壊に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 小選挙区比例代表並立制による初めての衆議院選挙で自民党が大敗し、民主党を中心とする連立内閣が成立した イ 自民党の分裂によって成立した細川内閣は、政治改革を実現できないまま 1 年足らずで退陣し、自民党が単独政権に復帰した ウ リクルート事件などの「政治とカネ」の問題を背景に政治改革をめぐって自民党が分裂し、衆議院選挙で自民党が過半数を失って、非自民 8 党派による細川護熙連立内閣が成立した エ 自民党と社会党が大連立を組んで細川護熙内閣が成立し、両党の対立を軸とする 55 年体制が終わった undefined 衆議院選挙で社会党が単独過半数を獲得し、社会党委員長を首相とする単独政権が成立して自民党は野党になった)
標準
- 日本の政治過程に関する学説について、飯尾潤の学説の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 憲法の予定する議院内閣制のとおりに、首相が各大臣を統率して内閣が一体として政策を決めている状態を「官僚内閣制」と呼び、日本の内閣の強さを説明した イ 戦前からの官僚制が占領改革でも温存され、政党や国会は官僚の作った政策を追認しているにすぎないとする官僚優位論を唱えた ウ 1955 年に成立した自民党と社会党の政党配置を「55 年体制」と名づけた エ 憲法の予定する議院内閣制とは異なり、各大臣が省庁の代表として振る舞い内閣が官僚機構の連合体のようになっている状態を「官僚内閣制」と呼び、政府与党二元体制が首相のリーダーシップを弱めていたとした undefined 各省庁が管轄する政策分野ごとに省庁・族議員・業界団体の結びつきが仕切られて並立しているとする「仕切られた多元主義」を唱えた)
- 次の出来事が起きた年として妥当なものはどれですか。内閣人事局の設置 (ア 2001 年 イ 2019 年 ウ 2012 年 エ 2014 年 undefined 2009 年)
- 1994 年の政治資金規正法改正と政党助成法に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 政党助成法は国会議員 1 人以上を有するすべての政治団体に政党交付金を交付するもので、国政選挙の得票率による要件は設けられていない イ 政党交付金は国民 1 人あたり 250 円を基準とする総額を、各政党の党員数に比例して配分する仕組みである ウ 政治家個人への企業・団体献金は 2000 年から全面的に禁止されたが、政党や政治資金団体への企業・団体献金は認められており、政党助成法により国民 1 人あたり 250 円を基準とする政党交付金が政党に交付される エ 政治資金規正法の改正により、政治家個人への企業・団体献金は上限なく認められる一方、政党への企業・団体献金が禁止された undefined 企業・団体献金は政党への献金を含めて 2000 年から全面的に禁止され、その代わりに政党助成法による政党交付金が政党の唯一の収入源となった)
- 1999 年の国会審議活性化法に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 官僚が大臣に代わって国会で答弁する政府委員制度を廃止し、各省に副大臣・大臣政務官を置き、与野党の党首討論を導入して、政治主導の国会審議をめざした イ 政府委員制度を新たに設けて官僚が国会で答弁できるようにし、大臣の負担を軽くすることで審議の効率化をめざした ウ 衆議院の定数を削減し、比例代表の議席を減らして小選挙区の比重を高めることで、二大政党制の実現をめざした エ 内閣人事局を設置して各省の幹部人事を内閣が管理することとし、官僚の国会答弁を内閣が統制できるようにした undefined 副大臣・大臣政務官を廃止して政務次官を復活させ、各省の官僚が政策を説明する場を国会に設けた)
- 2001 年の内閣機能の強化に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 経済財政諮問会議は内閣府ではなく自民党の政務調査会に置かれ、与党の事前審査を通じて予算編成の基本方針を決める仕組みが整った イ 内閣機能の強化は民主党政権が 2009 年に行ったもので、小泉内閣の官邸主導はこれに先立つ慣行によるものである ウ 内閣府が新設されたが、その位置づけは他の省庁と同格であり、省庁間の総合調整は引き続き事務次官会議が担うこととされた エ 内閣法の改正で内閣総理大臣が閣議において内閣の重要政策に関する基本方針を発議できることが明文化され、内閣府が新設されて経済財政諮問会議などの重要政策会議が置かれ、首相のもとで予算編成の基本方針を決める仕組みが整った undefined 憲法の改正で内閣総理大臣の閣議における発議権が明文化され、内閣府に代わって財務省が予算編成の基本方針を決める仕組みが整った)
- 日本の政策決定過程に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 官僚優位論は、自民党の族議員が政策の知識を蓄えて官僚を従わせるようになったとする学説である イ 日本の法律は議員立法が中心で、内閣提出法案は全体の 1 割程度にすぎず、官僚が法案の起草に関わることはない ウ 内閣提出法案は国会に提出された後に与党の政務調査会で審査され、与党議員は党議拘束を受けずに自由に投票する エ 日本の法律は内閣提出法案が中心で、そのほとんどを各省庁の官僚が起草しており、自民党政権下では閣議決定の前に与党の事前審査を経ることが慣行とされてきた undefined 与党の事前審査は憲法に定められた制度であり、内閣提出法案は与党の総務会の了承がなければ憲法上国会に提出できない)
- 1990 年代以降の日本の有権者の変化に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 2016 年の選挙権年齢の引き下げによって若年層の投票率は他の世代を上回るようになった イ 衆議院選挙の投票率は 1990 年代以降一貫して上昇しており、とくに若年層の投票率の高さが目立つ ウ 特定の支持政党をもたない無党派層が 1990 年代以降に急増し、政党帰属意識が弱い分テレビや候補者イメージの影響を受けやすく、選挙ごとの「風」を生んで選挙結果を左右する存在になった エ 特定の支持政党をもたない無党派層は 1990 年代以降に減少し、自民党と社会党への帰属意識が強まったことで選挙結果は安定した undefined 無党派層は政治に関心がなく投票に行かない層のことであり、選挙結果に影響を与えることはないとされる)
発展
- 政治改革と行政改革が首相のリーダーシップに与えた影響に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 政党交付金の導入により政党は企業・団体献金に全面的に依存するようになり、党執行部より業界団体の力が強まったと説明される イ 小選挙区制の導入により公認権と政党交付金の配分権をもつ党執行部の力が強まり、内閣機能の強化と内閣人事局の設置により首相が省庁と幹部人事を統制できるようになったことで、官邸主導が強まったと説明される ウ 小選挙区制の導入により各候補者の個人後援会と派閥の力が強まり、党執行部の公認権は形式的なものになったため、首相のリーダーシップはかえって弱まったと説明される エ 内閣機能の強化により内閣府が各省庁と同格の組織として位置づけられ、省庁間の対立を調整する首相の権限が縮小したと説明される undefined 内閣人事局の設置により各省の幹部人事は人事院が一元的に決めることになり、首相が官僚の人事に関与する余地はなくなったと説明される)
- 民主党政権(2009〜12 年)に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 内閣人事局を設置して各省の幹部人事を内閣に集中させたことで、官邸主導の政治を確立した イ 小選挙区比例代表並立制による初めての衆議院選挙で大勝して成立した政権で、政治改革四法を成立させた ウ 1993 年の細川内閣に続く 2 度目の非自民政権で、自民党・社会党・新党さきがけの連立によって成立した エ 「官僚主導」を掲げて事務次官会議の権限を強化し、与党の事前審査を法制化したうえで、2012 年の衆議院選挙で勝利して政権を維持した undefined 「政治主導」を掲げて事務次官会議の廃止や政務三役による政策決定を試みたが、党と内閣の調整に苦しみ、2012 年の衆議院選挙で自民党に政権を明け渡した)
- 55 年体制下の政党配置と国会運営に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 憲法改正・日米安保・自衛隊をめぐる保守と革新のイデオロギー対立を軸に、国会運営は与野党の国会対策委員会どうしの交渉で進められ、1960 年代以降は公明党・民社党の伸長で多党化が進み、1970 年代には保革伯仲の時期があった イ 自民党の議席は 1955 年から 1993 年まで一度も過半数を割ることがなく、保革伯仲と呼ばれる状況は生じなかった ウ 憲法改正・日米安保・自衛隊をめぐって自民党と社会党は一致しており、国会運営は両党の合意によって円滑に進められ、1960 年代以降も二大政党の議席がほぼ全議席を占め続けた エ 1960 年代以降に公明党・民社党が結成されたことで社会党は議席を伸ばし、1976 年の衆議院選挙では社会党が自民党を上回る議席を獲得した undefined 55 年体制下の国会では与党の事前審査が行われなかったため、内閣提出法案は国会の委員会で大幅に修正されるのが常であった)
現代日本の政治過程 ── 解答
基礎
- イ 1 府 22 省庁を 1 府 12 省庁に再編するとともに、内閣府を新設し、内閣総理大臣の閣議における発議権を内閣法に明記した 1 府 22 省庁を 1 府 12 省庁に再編するとともに、内閣府を新設し、内閣総理大臣の閣議における発議権を内閣法に明記した。1955 成立 → 1993 崩壊 → 1994 政治改革四法 → 2001 省庁再編・内閣機能強化 → 2005 郵政解散 → 2014 内閣人事局。
- イ 辻清明 戦後日本の政策決定について「官僚優位論」を唱えた政治学者は誰ですか。── 辻清明。
- ア 中選挙区制のもとでは同じ選挙区に自民党の候補者が複数立つため、党ではなく派閥と個人後援会が候補者を支え、派閥は総裁選挙・ポスト配分・資金配分の単位として党内の擬似的な政権交代の役割を果たした 派閥=中選挙区制(同一選挙区に複数の自民党候補)の産物。総裁選・ポスト・資金の単位。族議員は政策分野ごとの議員で派閥とは別の軸。
- ウ リクルート事件などの「政治とカネ」の問題を背景に政治改革をめぐって自民党が分裂し、衆議院選挙で自民党が過半数を失って、非自民 8 党派による細川護熙連立内閣が成立した 1993 年:自民党分裂 → 衆院選で過半数割れ → 非自民 8 党派の細川内閣。並立制の初選挙は 1996 年。1994 年には自社さの村山内閣で自民党が政権復帰。
標準
- エ 憲法の予定する議院内閣制とは異なり、各大臣が省庁の代表として振る舞い内閣が官僚機構の連合体のようになっている状態を「官僚内閣制」と呼び、政府与党二元体制が首相のリーダーシップを弱めていたとした 憲法の予定する議院内閣制とは異なり、各大臣が省庁の代表として振る舞い内閣が官僚機構の連合体のようになっている状態を「官僚内閣制」と呼び、政府与党二元体制が首相のリーダーシップを弱めていたとした。辻=官僚優位、村松=政党優位(クラウスとの共著ではパターン化された多元主義)、青木=仕切られた多元主義、猪口=官僚主導大衆包括型多元主義、飯尾=官僚内閣制、升味=55 年体制の命名。
- エ 2014 年 内閣人事局の設置── 2014 年。1955 → 1993 → 1994(政治改革四法・村山内閣)→ 2001 → 2005 → 2009 → 2014 の順で固定する。
- ウ 政治家個人への企業・団体献金は 2000 年から全面的に禁止されたが、政党や政治資金団体への企業・団体献金は認められており、政党助成法により国民 1 人あたり 250 円を基準とする政党交付金が政党に交付される 政治家個人(資金管理団体)宛ての企業・団体献金は 2000 年から禁止。政党・政治資金団体宛ては可。政党交付金=250 円 × 人口を基準に議員数と得票数で配分。要件は議員 5 人以上または議員 1 人以上かつ得票率 2%以上。
- ア 官僚が大臣に代わって国会で答弁する政府委員制度を廃止し、各省に副大臣・大臣政務官を置き、与野党の党首討論を導入して、政治主導の国会審議をめざした 国会審議活性化法(1999 年)=政府委員制度の廃止・副大臣と大臣政務官の設置(2001 年から)・党首討論の導入。内閣人事局は 2014 年。
- エ 内閣法の改正で内閣総理大臣が閣議において内閣の重要政策に関する基本方針を発議できることが明文化され、内閣府が新設されて経済財政諮問会議などの重要政策会議が置かれ、首相のもとで予算編成の基本方針を決める仕組みが整った 内閣法 4 条の改正(発議権の明文化)、内閣府の新設(省庁より一段高い総合調整)、経済財政諮問会議(骨太の方針)。小泉内閣はこれらを使って官邸主導を行った。
- エ 日本の法律は内閣提出法案が中心で、そのほとんどを各省庁の官僚が起草しており、自民党政権下では閣議決定の前に与党の事前審査を経ることが慣行とされてきた 内閣提出法案が中心(官僚が起草)。事前審査は慣行(政調部会 → 総務会 → 閣議)。族議員が官僚を従わせるという見方は政党優位論。
- ウ 特定の支持政党をもたない無党派層が 1990 年代以降に急増し、政党帰属意識が弱い分テレビや候補者イメージの影響を受けやすく、選挙ごとの「風」を生んで選挙結果を左右する存在になった 無党派層=支持政党なし。1990 年代以降に急増、選挙の「風」を生む。投票率は低下傾向で若年層がとくに低い(18 歳選挙権後も)。
発展
- イ 小選挙区制の導入により公認権と政党交付金の配分権をもつ党執行部の力が強まり、内閣機能の強化と内閣人事局の設置により首相が省庁と幹部人事を統制できるようになったことで、官邸主導が強まったと説明される 政治改革(小選挙区制・政党助成)→ 党執行部の力。行政改革(内閣府・発議権・内閣人事局)→ 省庁と人事の統制。あわせて「首相支配」(竹中治堅)。
- undefined 「政治主導」を掲げて事務次官会議の廃止や政務三役による政策決定を試みたが、党と内閣の調整に苦しみ、2012 年の衆議院選挙で自民党に政権を明け渡した 2009 年鳩山内閣(本格的な政権交代)。政治主導(事務次官会議廃止・政務三役)。2012 年に自民党が復帰。内閣人事局は 2014 年(自民党政権)。
- ア 憲法改正・日米安保・自衛隊をめぐる保守と革新のイデオロギー対立を軸に、国会運営は与野党の国会対策委員会どうしの交渉で進められ、1960 年代以降は公明党・民社党の伸長で多党化が進み、1970 年代には保革伯仲の時期があった 保守 対 革新・国対政治。1960 年代の多党化(公明党 1964 年・民社党 1960 年)。1976 年に自民党が結党以来初めて過半数割れ(追加公認で回復)=保革伯仲。
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