近代化への問い(18 世紀のアジアと世界・産業革命) ── 問題
基礎
- 江戸時代の「四つの口」について、長崎の相手はどこですか。 (ア アイヌ(蝦夷地) イ 琉球王国 ウ 朝鮮(朝鮮通信使が来日) エ オランダと中国(清))
- 大西洋三角貿易で、アフリカからアメリカ大陸へ運ばれた主なものはどれですか。 (ア 武器・綿布・雑貨 イ 砂糖・タバコ・綿花・コーヒー ウ 奴隷(16〜19 世紀に 1,000 万人以上) エ 茶・絹・陶磁器)
- 産業革命の発明・技術について、鉄道と蒸気船によって移動や輸送の時間が大幅に短縮された変化を何といいますか。 (ア 価格革命 イ 生活革命 ウ 農業革命 エ 交通革命)
- 18 世紀の清の最盛期を築いた 3 人の皇帝はどれですか。 (ア 太宗・高宗・玄宗 イ 光緒帝・宣統帝・西太后 ウ 洪武帝・永楽帝・万暦帝 エ 康熙帝・雍正帝・乾隆帝)
- 江戸時代に識字率が高かった理由として正しいものはどれですか。 (ア 全国の城下町に大学が置かれ、庶民も通えたから イ 幕府が義務教育を定め、全国の子どもを通わせたから ウ 寺子屋が広まり、町人や農民の子どもが読み書きを学んだから エ 外国人教師が多く招かれ、各地で教えていたから)
- 年表の X(1776 年)にあてはまる出来事はどれですか。 (ア フランス革命 イ 名誉革命 ウ ウィーン会議 エ アメリカ独立宣言)
標準
- 18 世紀の世界と産業革命の背景について、18 世紀の世界貿易の構図として正しいものはどれですか。 (ア アジアとヨーロッパの貿易はなかった イ アジア(清・ムガル)の茶・綿布・陶磁器が世界商品で、ヨーロッパは新大陸の銀でそれを買っていた ウ アフリカが世界貿易の中心だった エ ヨーロッパの工業製品をアジアが銀で買っていた)
- 産業革命がもたらした社会の変化について、「世界の工場」となったイギリスが主張した貿易政策と、その根拠となった経済学者はどれですか。 (ア 自由貿易。アダム=スミス『国富論』(1776) イ 重商主義。コルベール ウ 鎖国。徳川家光 エ 保護貿易。リスト)
- 近代化の指標として「時間規律」が挙げられる理由はどれですか。 (ア 宗教の教えで、一日の時間が細かく決められたから イ それまでの農村には、時間という考え方がなかったから ウ 時計が発明されたのが、ちょうど産業革命が始まった時期だったから エ 工場労働や鉄道で、時計に合わせて行動することが求められたから)
- 奴隷貿易がアフリカに与えた長期的な影響として正しいものはどれですか。 (ア 働き盛りの人口を大量に失い、社会が混乱して発展が遅れた イ ヨーロッパの技術が伝わり、アフリカが工業化した ウ 奴隷の代金が流れこんで人口が増え、経済が発展した エ 奴隷貿易の規模は小さく、長期的な影響はなかった)
- 年表の 1757 年から 1846 年までのイギリスの動きの説明として正しいものはどれですか。 (ア インドをフランスに奪われたため、国内の農業を保護しようと穀物法を制定した イ インドで優位に立ち、蒸気機関で工業化し、穀物法廃止で自由貿易へ向かった ウ 清との貿易で銀が流入し続けたため、工業化を急ぐ必要がなかった エ 蒸気機関の改良より先に営業鉄道を開業し、それを機に工場法を廃止した)
- 図は 1788 年にイギリスで印刷された奴隷船ブルックス号の積載図です。この図を印刷して配った人々のねらいとして最も適当なものはどれですか。 (ア 西インド諸島の砂糖の生産量を投資家に示す イ より多くの奴隷を効率よく積み込む方法を船主に教える ウ 大西洋を横断する航路と所要日数を船員に示す エ 奴隷貿易の残酷さを広く知らせ、廃止を求める世論を高める)
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア 七年戦争の終結(パリ条約) イ アメリカ独立宣言 ウ 『解体新書』の刊行 エ プラッシーの戦い (ア ウ → エ → イ → ア イ ア → エ → ウ → イ ウ エ → ア → ウ → イ エ イ → ウ → ア → エ)
- 生徒のアヤさんとショウさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 アヤ「18 世紀のヨーロッパは、アジアから茶や絹や綿布をたくさん買っていたんだって。代金はどうしていたんだろう。」 ショウ「( )と習ったよ。だから、当時の世界の富はむしろアジアに集まっていたともいえるね。」 (ア アメリカ大陸で採れた銀がヨーロッパを経てアジアへ流れ、代金にあてられた イ アジアの国々から銀を借り入れ、それを返さないまま代金にあてていた ウ ヨーロッパの工場でつくった安い綿布をアジアへ大量に輸出して支払った エ アフリカで採れた金をアジアへ運び、茶や絹の代金としてすべて支払った)
- 18 世紀の世界について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X イギリスの産業革命は、綿工業の技術革新から始まり、蒸気機関の改良で工場が川沿いに縛られなくなった。 Y 江戸幕府は「鎖国」のもとでも、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの口を通じて交易や情報の入手を行っていた。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 名誉革命/七年戦争終結/マカートニーの清訪問/穀物法廃止 (ア 名誉革命 → 七年戦争終結 → マカートニーの清訪問 → 穀物法廃止 イ 七年戦争終結 → 名誉革命 → マカートニーの清訪問 → 穀物法廃止 ウ 名誉革命 → マカートニーの清訪問 → 七年戦争終結 → 穀物法廃止 エ 穀物法廃止 → 名誉革命 → 七年戦争終結 → マカートニーの清訪問)
- 「産業革命で人々の生活はすぐに豊かになった」という説明の問題点はどれですか。 (ア 産業革命で人々の生活は永久に悪化し、その後も回復しなかったから イ 産業革命は農村だけの出来事で、都市は変わらなかったから ウ 初期の労働者は長時間・低賃金で、生活の向上は遅かったから エ 産業革命で貴族が消え、身分の差がすぐになくなったから)
- 18 世紀にイギリスが茶の代金として銀を中国へ支払い続けたことが、19 世紀にもたらした出来事はどれですか。 (ア イギリスが中国に茶の栽培をやめさせ、インドで生産した イ 中国がイギリスに銀を返還し、両国の貿易は対等になった ウ 銀の流出を止めるためインド産アヘンを密輸し、アヘン戦争を招いた エ イギリスが茶を飲まなくなり、中国との貿易が途絶えた)
- 次の資料 1・2 から考えられることとして最も適当なものを選びなさい。 資料 1 イギリスの人口:1750 年 約 600 万人 → 1850 年 約 1,800 万人 資料 2 「マンチェスターでは綿工場が次々に建ち、農村から移ってきた人々が工場の近くの狭い家にひしめき合って暮らしている。」(当時の様子をもとにした説明文) (ア 100 年で人口は約 3 倍になり、増えた人々の多くが工業都市に集まった イ 人口が増えたのは、おもに植民地から本国へ多くの移民が来たためである ウ 100 年で人口は約 2 倍になり、増えた人々の多くが農村にとどまった エ 工業都市では人口が増えた結果、労働者の住まいはすぐに広く清潔になった)
- インドとイギリスの綿布の関係が 18〜19 世紀に逆転した流れとして、原因から結果の順に最も適当なものを選びなさい。 (ア イギリス綿布がインドで人気 → インドで機械による綿布生産が発達 → 安いインド綿布がイギリスへ → イギリスの綿工業が衰退 イ インド綿布がイギリスで人気 → イギリスで機械による綿布生産が発達 → 安い機械製綿布がインドへ → インドの手織り綿布業が衰退 ウ インド綿布がイギリスで人気 → イギリスがインド綿布の関税を撤廃 → インド綿布の輸出が急増 → インドが世界の工場になる エ インドで綿花が不作 → イギリスが綿花の輸出を禁止 → インドで毛織物業が発達 → インドの綿布業が衰退)
近代化への問い(18 世紀のアジアと世界・産業革命) ── 解答
基礎
- エ オランダと中国(清) 「鎖国」でも 4 つの窓口で交易と情報が入っていた。答え:オランダと中国(清)。
- ウ 奴隷(16〜19 世紀に 1,000 万人以上) 武器(欧 → 阿)→ 奴隷(阿 → 米)→ 砂糖・綿花(米 → 欧)。富はヨーロッパに蓄積し、アフリカは人口を失った。答え:奴隷(16〜19 世紀に 1,000 万人以上)。
- エ 交通革命 綿工業(ジェニー紡績機・力織機)→ 動力(ワットの蒸気機関)→ 交通(スティーヴンソンの機関車・フルトンの蒸気船)。答え:交通革命。
- エ 康熙帝・雍正帝・乾隆帝 人口は約 3 億で世界の 3 分の 1。茶・絹・陶磁器の輸出で銀が流入した。
- ウ 寺子屋が広まり、町人や農民の子どもが読み書きを学んだから 明治の近代化が速かった土台の 1 つ。
- エ アメリカ独立宣言 1776 年はアメリカ独立宣言とアダム=スミス『国富論』。フランス革命は 1789 年、名誉革命は 1689 年、ウィーン会議は 1814〜15 年。
標準
- イ アジア(清・ムガル)の茶・綿布・陶磁器が世界商品で、ヨーロッパは新大陸の銀でそれを買っていた 答え:アジア(清・ムガル)の茶・綿布・陶磁器が世界商品で、ヨーロッパは新大陸の銀でそれを買っていた。
- ア 自由貿易。アダム=スミス『国富論』(1776) 答え:自由貿易。アダム=スミス『国富論』(1776)。
- エ 工場労働や鉄道で、時計に合わせて行動することが求められたから 日本でも明治 5 年(1872)に太陽暦と定時法を採用し、鉄道が開通した。
- ア 働き盛りの人口を大量に失い、社会が混乱して発展が遅れた イギリスは 1807 年に奴隷貿易を、1833 年に奴隷制を廃止した。
- イ インドで優位に立ち、蒸気機関で工業化し、穀物法廃止で自由貿易へ向かった プラッシーの戦い(1757)→ 綿工業の技術革新・ワット(1769)→ 鉄道(1825)→ 工場法(1833)→ 穀物法廃止(1846)。茶の輸入で銀は清へ流出していた。
- エ 奴隷貿易の残酷さを広く知らせ、廃止を求める世論を高める 人を「積み荷」として詰め込む断面図・平面図は、奴隷貿易廃止運動(ウィルバーフォースら)が配った代表的な宣伝印刷物。イギリスは 1807 年に奴隷貿易を、1833 年に奴隷制を廃止した。
- ウ エ → ア → ウ → イ 古い順に プラッシーの戦い(1757 年)、七年戦争の終結(パリ条約)(1763 年)、『解体新書』の刊行(1774 年)、アメリカ独立宣言(1776 年)。答え:エ → ア → ウ → イ。
- ア アメリカ大陸で採れた銀がヨーロッパを経てアジアへ流れ、代金にあてられた 18 世紀の世界貿易の中心はアジア(清・ムガル)。ヨーロッパは新大陸の銀でアジアの商品を買い、銀はアメリカ → ヨーロッパ → アジアと流れた。イギリス製綿布がアジアに流れこむのは産業革命のあと。
- ア X 正・Y 正 X:正しい。飛び杼・ジェニー紡績機など綿工業から始まり、ワットの蒸気機関で水力に頼らない工場が可能になった。Y:正しい。長崎(オランダ・中国)・対馬(朝鮮)・薩摩(琉球)・松前(アイヌ)。
発展
- ア 名誉革命 → 七年戦争終結 → マカートニーの清訪問 → 穀物法廃止 年:名誉革命 1689・七年戦争終結 1763・マカートニーの清訪問 1793・穀物法廃止 1846。答え:名誉革命 → 七年戦争終結 → マカートニーの清訪問 → 穀物法廃止。
- ウ 初期の労働者は長時間・低賃金で、生活の向上は遅かったから 「近代化は誰にとっての進歩か」を問うのが歴史総合の視点。
- ウ 銀の流出を止めるためインド産アヘンを密輸し、アヘン戦争を招いた イギリス → インド(綿布)→ 中国(アヘン)→ イギリス(茶)のアジア三角貿易。アヘン戦争は 1840 年。
- ア 100 年で人口は約 3 倍になり、増えた人々の多くが工業都市に集まった 600 万 → 1,800 万で約 3 倍。食料増産・衛生・医療の改善で人口が増え、第 2 次囲い込みで土地を失った農民が工業都市へ移った。都市には過密な住宅やスラムが生まれ、生活環境の悪化が社会問題になった。
- イ インド綿布がイギリスで人気 → イギリスで機械による綿布生産が発達 → 安い機械製綿布がインドへ → インドの手織り綿布業が衰退 インドの綿布(キャラコ)は 18 世紀に世界商品だった。イギリスはその需要を国産で満たすため紡績機・力織機を発達させ(輸入代替)、19 世紀には安い機械製綿布がインドに流れこんで手織り綿布業が壊滅した。インドは綿布の輸出国から輸入国へ逆転した。
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