市民革命と国民国家(アメリカ独立・フランス革命・ウィーン体制) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 アメリカ合衆国憲法の制定 (ア 1799 年 イ 1871 年 ウ 1804 年 エ 1787 年)
- 次の人物の業績はどれですか。 ワシントン (ア ラテンアメリカ諸国の独立を指導した イ アメリカ独立戦争の総司令官、初代大統領 ウ クリミア戦争の敗北後、ロシアで農奴解放令を出した エ 千人隊で南イタリアを征服し、サルデーニャ王に献上した)
- フランス革命で「第三身分」とよばれた人々はどれですか。 (ア 聖職者(カトリックの司祭など) イ 貴族(領主・高級官職など) ウ 国王とその家族(王族) エ 平民(農民・市民・商人など))
- フランス革命の記念日になっている 7 月 14 日に起こった出来事はどれですか。 (ア バスティーユ牢獄の襲撃 イ 人権宣言の採択 ウ ナポレオンの皇帝即位 エ ルイ 16 世の処刑)
標準
- アメリカ独立革命について、独立宣言の思想的な土台になった啓蒙思想家と考え方はどれですか。 (ア ビスマルクの鉄血政策 イ メッテルニヒの正統主義 ウ マルクスの社会主義 エ ロックの社会契約説(政府が人民の権利を守らなければ人民は抵抗できる))
- フランス革命とナポレオンについて、ルイ 16 世が 1789 年に三部会を召集した目的はどれですか。 (ア 財政難を解決するための課税を認めさせること イ 憲法を制定すること ウ 共和政にすること エ 革命を起こすこと)
- ウィーン体制と国民国家の形成について、アメリカ南北戦争の北部と南部の対立点として正しいものはどれですか。 (ア 北部は王政を支持し、南部は共和政を支持して大統領の権限をめぐって対立 イ 北部はカトリック、南部はプロテスタントで、宗教の違いから対立 ウ 北部は工業・保護貿易・奴隷制反対、南部は綿花プランテーション・自由貿易・奴隷制維持 エ 北部は農業・自由貿易・奴隷制維持、南部は工業・保護貿易・奴隷制反対)
- アメリカ独立宣言とフランス人権宣言に共通する考え方はどれですか。 (ア 国家は民族ごとにつくり、民族の統一を優先する イ 国王の権力は神から与えられ、人民は国王に従う ウ 人は生まれながら自由・平等で、政府は人民の同意による エ 労働者が政権を握り、私有財産を廃止するべきだ)
- ドイツ帝国憲法(1871)が明治憲法の手本になった理由はどれですか。 (ア 国民主権を徹底し、議会が皇帝よりはるかに強い力をもっていたから イ 大統領制で、国民が選挙で元首を選ぶしくみだったから ウ 議会はあるが皇帝の権限が強く、君主中心の国に合っていたから エ 成文の憲法がなく、慣習にもとづいて政治が行われたから)
- 図は 1789 年 8 月に国民議会が採択したフランス人権宣言です。この宣言の内容として正しいものはどれですか。 (ア 国王の権力は神から授けられたもので、法の上に立つ イ 人は生まれながら自由で、権利において平等である ウ 女性にも男性と同じ参政権を認める エ 第一身分・第二身分の免税特権を保障する)
- 次の資料は、1776 年のアメリカ独立宣言の一部を要約したものです。この資料の考え方の土台になった思想として最も適当なものを選びなさい。 「すべての人は平等につくられ、生命・自由・幸福の追求の権利を与えられている。この権利を守るために政府がつくられた。政府がこの目的をこわすときは、人民は政府を改めたり廃止したりする権利をもつ。」 (ア 金銀をため輸出をふやして国を富ませる重商主義 イ 国王の権力は神から授けられたとする王権神授説 ウ 革命前の王朝を正しいものとして復活させる正統主義 エ ロックの社会契約説と、人民の抵抗権の考え方)
- 生徒のミナさんとユウさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 ミナ「19 世紀のヨーロッパの国々は、身分や地域で分かれていた人々を『同じ国民』にまとめようとしたんだって。」 ユウ「そのために( )。でも、その裏で少数民族の言葉や文化がおさえられることもあったんだね。」 (ア 標準語と共通の歴史を学校で教え、国旗・国歌や徴兵制で国民としての一体感をつくった イ 各地方がそれぞれの言葉と通貨を使い続けられるよう、中央の権限を弱めて地方に任せた ウ 身分ごとに別の学校と別の法律を定め、それぞれの身分の誇りを高めるようにした エ 国境を越えた移動と貿易を自由にし、国という単位を意識しなくてすむようにした)
- 19 世紀の欧米について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X 1848 年の革命の広がりの中でメッテルニヒが失脚し、ウィーン体制は崩れた。 Y アメリカの南北戦争で、南部は工業を守るため保護貿易を主張し、北部は自由貿易を主張した。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 三部会の召集/バスティーユ牢獄襲撃/人権宣言/第一共和政/ルイ 16 世処刑 (ア バスティーユ牢獄襲撃 → 三部会の召集 → 人権宣言 → ルイ 16 世処刑 → 第一共和政 イ ルイ 16 世処刑 → 第一共和政 → 人権宣言 → バスティーユ牢獄襲撃 → 三部会の召集 ウ 三部会の召集 → 人権宣言 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世処刑 → 第一共和政 エ 三部会の召集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → 第一共和政 → ルイ 16 世処刑)
- 19 世紀の「国民国家」の形成で学校教育が重視された理由はどれですか。 (ア 工場労働者の数を減らし、農業に人を戻して国内の食料を増やすため イ 貴族の子どもだけを教育し、国を治める支配層を育てるため ウ 外国語を普及させ、植民地や外国との交流を広げるため エ 標準語と共通の歴史を教え、「同じ国民」という意識をつくるため)
- ラテンアメリカ諸国の独立(1810〜20 年代)がウィーン体制のもとで成功した理由として適切なものはどれですか。 (ア 本国スペインの混乱と、英米の干渉反対があったから イ スペインが財政難から自発的に植民地を手放したから ウ ウィーン会議が民族自決の原則で独立を認めたから エ フランスが軍を送って独立派を支援したから)
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア ルイ 16 世の処刑 イ リンカンの奴隷解放宣言 ウ ナポレオンのクーデタ エ フランス人権宣言 (ア エ → ウ → ア → イ イ ウ → エ → イ → ア ウ ア → エ → ウ → イ エ エ → ア → ウ → イ)
- アメリカ独立戦争が始まるまでの流れとして、原因から結果の順に最も適当なものを選びなさい。 (ア 七年戦争で植民地が財政難 → 植民地がイギリスに課税 → 「課税なくして代表なし」と反発 → 独立戦争 イ 七年戦争で財政難 → イギリスが植民地の議員を本国議会に招く → 植民地が歓迎 → 独立戦争 ウ 七年戦争で財政難 → イギリスが植民地に課税 → 「代表なくして課税なし」と反発 → 独立戦争 エ フランス革命が起こる → イギリスが植民地に課税 → 「代表なくして課税なし」と反発 → 独立戦争)
- 次の資料 1・2 を読み、資料 2 の筆者が資料 1 を批判した点として最も適当なものを選びなさい。 資料 1 1789 年のフランス人権宣言(要約):「人は自由で、権利において平等なものとして生まれる。」「あらゆる主権の源は国民にある。」 資料 2 1791 年にオランプ=ド=グージュが著した文書(要約):「女性は自由なものとして生まれ、権利において男性と平等である。」「あらゆる主権の源は、女性と男性の結合である国民にある。」 (ア 資料 1 がうたう「人」や「国民」の権利に、実際には女性が含まれていなかった点 イ 資料 1 が所有権を認めず、すべての土地を国有にしようとしていた点 ウ 資料 1 が身分による特権を残し、聖職者と貴族の免税を認めていた点 エ 資料 1 が国王の権力を認めず、王政をただちに廃止しようとしていた点)
市民革命と国民国家(アメリカ独立・フランス革命・ウィーン体制) ── 解答
基礎
- エ 1787 年 答え:1787 年。
- イ アメリカ独立戦争の総司令官、初代大統領 答え:アメリカ独立戦争の総司令官、初代大統領。
- エ 平民(農民・市民・商人など) 第三身分は人口の約 98% を占めた。第一身分 = 聖職者、第二身分 = 貴族。この 2 つは免税特権をもっていた。
- ア バスティーユ牢獄の襲撃 1789 年 7 月 14 日。人権宣言は同年 8 月 26 日。
標準
- エ ロックの社会契約説(政府が人民の権利を守らなければ人民は抵抗できる) 答え:ロックの社会契約説(政府が人民の権利を守らなければ人民は抵抗できる)。
- ア 財政難を解決するための課税を認めさせること 答え:財政難を解決するための課税を認めさせること。
- ウ 北部は工業・保護貿易・奴隷制反対、南部は綿花プランテーション・自由貿易・奴隷制維持 答え:北部は工業・保護貿易・奴隷制反対、南部は綿花プランテーション・自由貿易・奴隷制維持。
- ウ 人は生まれながら自由・平等で、政府は人民の同意による 社会契約説・人民主権の考え方で、政府は人民の権利を守るためにつくられる。ロック・ルソーの啓蒙思想が両方の土台。日本国憲法の前文・13 条にもこの考えが流れこんでいる(kk-02)。
- ウ 議会はあるが皇帝の権限が強く、君主中心の国に合っていたから 伊藤博文はウィーンとベルリンで憲法を学んだ(ht-04)。
- イ 人は生まれながら自由で、権利において平等である 第 1 条「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」、第 3 条「主権は国民にある」、第 17 条「所有権は神聖不可侵」。女性の権利は含まれず、オランプ=ド=グージュが『女性の権利宣言』(1791)で批判した。
- エ ロックの社会契約説と、人民の抵抗権の考え方 権利を守るために人々が政府をつくり、政府が権利を侵せば人民はそれを改められる――これはロックの社会契約説と抵抗権。起草者ジェファソンはロックの思想にもとづいた。正統主義はウィーン体制(メッテルニヒ)の原則。
- ア 標準語と共通の歴史を学校で教え、国旗・国歌や徴兵制で国民としての一体感をつくった 国民国家は、国語(標準語)・学校教育・国旗や国歌・国民的祝日・徴兵制・統一した通貨や度量衡で「国民」の一体感をつくった。その裏で少数民族の同化や排除が進み、ナショナリズムは帝国主義とも結びついた。
- イ X 正・Y 誤 X:正しい(1848 年革命、諸国民の春)。Y:逆。工業が発達した北部が保護貿易、綿花をイギリスへ輸出する南部が自由貿易を主張した。奴隷制のほか、連邦と州の権限も争点だった。
発展
- エ 三部会の召集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → 第一共和政 → ルイ 16 世処刑 答え:三部会の召集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → 第一共和政 → ルイ 16 世処刑。フランス革命:1789.5 三部会 → 7 月 バスティーユ → 8 月 人権宣言 → 1792 共和政 → 1793 処刑。アメリカ:1776 → 1783 → 1787 → 1789。イタリア 1861 → 奴隷解放 1863 → 普墺 1866 → ドイツ 1871。
- エ 標準語と共通の歴史を教え、「同じ国民」という意識をつくるため フランスの義務教育(1880 年代)、日本の学制(1872)・教育勅語(1890)も同じ役割。
- ア 本国スペインの混乱と、英米の干渉反対があったから ナポレオン戦争で本国スペインが混乱し、独立後の市場を望むイギリスとモンロー宣言(1823)のアメリカがヨーロッパの干渉に反対した。独立後も大土地所有とモノカルチャー経済が残り、経済的にはイギリス・アメリカに従属した。
- エ エ → ア → ウ → イ 古い順に フランス人権宣言(1789 年)、ルイ 16 世の処刑(1793 年)、ナポレオンのクーデタ(1799 年)、リンカンの奴隷解放宣言(1863 年)。答え:エ → ア → ウ → イ。
- ウ 七年戦争で財政難 → イギリスが植民地に課税 → 「代表なくして課税なし」と反発 → 独立戦争 七年戦争(1756〜63)の戦費で財政難になったイギリスは、印紙法(1765)・茶法(1773)で 13 植民地に課税した。本国議会に代表を送っていない植民地は「代表なくして課税なし」と反発し、ボストン茶会事件を経て 1775 年に独立戦争が始まった。フランス革命(1789)は独立戦争のあと。
- ア 資料 1 がうたう「人」や「国民」の権利に、実際には女性が含まれていなかった点 グージュは人権宣言の文言を「女性」に置きかえて書き直し、革命が女性に政治的権利を認めないことを批判した。人権宣言は身分特権の廃止と所有権の不可侵をうたっており、他の選択肢は内容と合わない。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/daigaku/social/ht-02/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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