列強の進出とアジア(アヘン戦争・インド大反乱・開国) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 薩英戦争 (ア 1840 年 イ 1842 年 ウ 1863 年 エ 1851 年)
- 次の条約の内容として正しいものはどれですか。 北京条約(1860) (ア 神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の開港、自由貿易、領事裁判権、協定関税(関税自主権なし) イ 天津など 11 港の開港、キリスト教布教の自由、外国公使の北京駐在、九竜半島の一部割譲 ウ 下田・箱館の開港、薪水・食料の供給、漂流民の保護、片務的最恵国待遇。貿易はなし エ 香港の割譲、上海・広州など 5 港の開港、公行の廃止、賠償金)
- 1808 年にイギリス軍艦が長崎に侵入し、幕府が海防を強める一因になった事件はどれですか。 (ア ゴローウニン事件 イ フェートン号事件 ウ 生麦事件 エ モリソン号事件)
- 1877 年にインド帝国の皇帝に即位したイギリスの君主はどれですか。 (ア エリザベス 1 世 イ ジョージ 3 世 ウ ヴィクトリア女王 エ エドワード 7 世)
標準
- 清とアジアへの列強の進出について、アヘン戦争の直接のきっかけになった清の官僚と行動はどれですか。 (ア 林則徐がイギリス商人のアヘンを没収・廃棄した イ 康有為が変法を唱えてイギリスとの貿易を全面的に禁止する法令を出した ウ 李鴻章が洋務運動を始めてイギリスの武器を買い、代金の支払いを拒んだ エ 洪秀全が南京を占領して太平天国を建て、イギリス商館を焼き打ちした)
- 日本の開国について、開国後の物価上昇の原因として適切なものはどれですか。 (ア 生糸などの輸出超過による国内の品不足と、万延小判への改鋳による貨幣価値の下落 イ 人口が減ったから ウ 輸入品が増えて物が余ったから エ 幕府が税を下げたから)
- 1869 年に開通し、1875 年にイギリスが株を買収してアジアへの航路を握った運河はどれですか。 (ア パナマ運河 イ コリント運河 ウ キール運河 エ スエズ運河)
- 南京条約と日米修好通商条約の共通点として正しいものはどれですか。 (ア どちらも貿易を禁止した点 イ 領事裁判権や関税自主権の欠如などを含む不平等条約で、西洋列強が自国に有利な条件でアジアの国を開かせた点 ウ どちらも領土を割譲した点 エ どちらも戦争に負けて結んだ点)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 日米和親条約/インド大反乱/安政の大獄/桜田門外の変 (ア 日米和親条約(1854)→ インド大反乱(1857)→ 安政の大獄(1858)→ 桜田門外の変(1860) イ 桜田門外の変 → 安政の大獄 → インド大反乱 → 日米和親条約 ウ 日米和親条約 → 安政の大獄 → インド大反乱 → 桜田門外の変 エ インド大反乱 → 日米和親条約 → 安政の大獄 → 桜田門外の変)
- インド大反乱と太平天国の乱に共通する点と、結果の違いとして正しいものはどれですか。 (ア どちらも外国の支援で成功した イ どちらも王朝が滅亡した ウ どちらも独立を達成した エ 共通点は外国の進出と重税・困窮への民衆の抵抗。違いは、インドでは反乱後に宗主国が直接統治を始め、清では王朝が存続して洋務運動を進めた)
- 開国後、日本の綿織物業が打撃を受けた一方で製糸業(生糸)が発展した理由はどれですか。 (ア 安い機械製綿織物が輸入されて国内の綿織物は競争に負けたが、生糸はヨーロッパで蚕の病気が流行して需要が高く、主要な輸出品になったから イ 綿花が日本で育たなくなったから ウ 幕府が綿織物を禁止し生糸を奨励したから エ 外国人が生糸しか買わなかったから)
列強の進出とアジア(アヘン戦争・インド大反乱・開国) ── 解答
基礎
- ウ 1863 年 答え:1863 年。アヘン戦争(1840)の 2 年後に薪水給与令、ペリー(1853)→ 和親(1854)→ 修好通商(1858)。
- イ 天津など 11 港の開港、キリスト教布教の自由、外国公使の北京駐在、九竜半島の一部割譲 答え:天津など 11 港の開港、キリスト教布教の自由、外国公使の北京駐在、九竜半島の一部割譲。
- イ フェートン号事件 1825 年の異国船打払令、1837 年のモリソン号事件(アメリカ商船を砲撃)へとつながる。
- ウ ヴィクトリア女王 イギリスはヒンドゥーとイスラームを対立させる分割統治でインドを支配した。
標準
- ア 林則徐がイギリス商人のアヘンを没収・廃棄した 答え:林則徐がイギリス商人のアヘンを没収・廃棄した。
- ア 生糸などの輸出超過による国内の品不足と、万延小判への改鋳による貨幣価値の下落 答え:生糸などの輸出超過による国内の品不足と、万延小判への改鋳による貨幣価値の下落。
- エ スエズ運河 ヨーロッパ〜アジアの航路が大幅に短縮され、イギリスのインド支配・アジア進出を支えた。
- イ 領事裁判権や関税自主権の欠如などを含む不平等条約で、西洋列強が自国に有利な条件でアジアの国を開かせた点 日本は戦争をせずに条約を結んだが、条件は清とほぼ同じだった。改正は 1894・1911 年(ht-04)。
発展
- ア 日米和親条約(1854)→ インド大反乱(1857)→ 安政の大獄(1858)→ 桜田門外の変(1860) 答え:日米和親条約(1854)→ インド大反乱(1857)→ 安政の大獄(1858)→ 桜田門外の変(1860)。
- エ 共通点は外国の進出と重税・困窮への民衆の抵抗。違いは、インドでは反乱後に宗主国が直接統治を始め、清では王朝が存続して洋務運動を進めた 同じ 1850 年代に起こった 2 つの大反乱を比べる問題は歴史総合の典型。
- ア 安い機械製綿織物が輸入されて国内の綿織物は競争に負けたが、生糸はヨーロッパで蚕の病気が流行して需要が高く、主要な輸出品になったから 明治の殖産興業で富岡製糸場(1872)が建てられ、生糸は 1930 年代まで日本最大の輸出品だった。
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