列強の進出とアジア(アヘン戦争・インド大反乱・開国) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 日米和親条約 (ア 1853 年 イ 1851 年 ウ 1854 年 エ 1863 年)
- 次の条約の内容として正しいものはどれですか。 日米和親条約(1854) (ア 神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の開港、自由貿易、領事裁判権、協定関税(関税自主権なし) イ 下田・箱館の開港、薪水・食料の供給、漂流民の保護、片務的最恵国待遇。貿易はなし ウ 香港の割譲、上海・広州など 5 港の開港、公行の廃止、賠償金 エ 天津など 11 港の開港、キリスト教布教の自由、外国公使の北京駐在、九竜半島の一部割譲)
- 1808 年にイギリス軍艦が長崎に侵入し、幕府が海防を強める一因になった事件はどれですか。 (ア ゴローウニン事件 イ フェートン号事件 ウ 生麦事件 エ モリソン号事件)
- 1877 年にインド帝国の皇帝に即位したイギリスの君主はどれですか。 (ア エリザベス 1 世 イ ジョージ 3 世 ウ ヴィクトリア女王 エ エドワード 7 世)
- 図のように、日本では金 1 に対して銀 5、外国では金 1 に対して銀 15 の比率で交換されていました。外国人が銀 15 枚を日本で金に換え、その金を外国で銀に換えると、銀は何枚になりますか。
標準
- 清とアジアへの列強の進出について、19 世紀前半のアジア三角貿易の構図として正しいものはどれですか。 (ア 清がイギリスにアヘンを売り、イギリスはインドに茶を売り、インドが清に綿布を売った イ イギリスはインドに綿布を売り、インド産アヘンを清に密輸し、清から茶を買った ウ インドが清に茶を売り、清はイギリスにアヘンを売り、イギリスがインドに銀を払った エ イギリスが清に綿布を売り、清からアヘンを買ってインドに売り、インドから茶を買った)
- 日本の開国について、アメリカが日本に開国を求めた理由として適切なものはどれですか。 (ア キリスト教を広めるためだけ イ 太平洋を横断する対清貿易の中継地と、捕鯨船の補給地がほしかったから ウ ロシアと同盟するため エ 日本の金を奪うため)
- 1869 年に開通し、1875 年にイギリスが株を買収してアジアへの航路を握った運河はどれですか。 (ア パナマ運河 イ コリント運河 ウ キール運河 エ スエズ運河)
- 南京条約と日米修好通商条約の共通点として正しいものはどれですか。 (ア どちらも外国との貿易を全面的に禁止した点 イ どちらも関税自主権のない不平等条約である点 ウ どちらも戦争に負けて領土を割譲させられた点 エ どちらも戦争に負けた結果として結んだ点)
- 図の金の流出に対して幕府がとった対策と、その結果の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア 金を大量に新たに鋳造して不足を補い、物価は下がった イ 金の輸出を禁止して開港場を閉じ、物価は安定した ウ 金の量を減らした万延小判を発行し、物価がさらに上昇した エ 銀の輸入を禁止して比価を日本にそろえ、外国人の両替は止まった)
- 図は 1841 年のアヘン戦争の場面を描いた版画です(右奥がイギリス船ネメシス号、手前が清の船)。この図から読み取れる、イギリスが優位に立った理由として最も適当なものはどれですか。 (ア イギリス軍の人数が清軍よりはるかに多かった イ 清の兵士がアヘンの影響で戦えなかった ウ イギリスが清の内乱(太平天国)を利用した エ 蒸気で動く鉄製の軍艦が、木造の帆船を圧倒した)
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア スエズ運河の開通 イ 林則徐のアヘン没収 ウ 薩英戦争 エ 北京条約 (ア イ → エ → ウ → ア イ イ → エ → ア → ウ ウ ウ → イ → ア → エ エ ア → ウ → エ → イ)
- 19 世紀前半のアジア三角貿易を説明した次の文章の空欄 A〜C に入る品物の組み合わせとして最も適当なものを選びなさい。 「イギリスは清から( A )を大量に買い、代金の銀が流出していた。そこでイギリスは、インドで栽培させた( B )を清に持ちこみ、インドにはイギリス製の( C )を売った。その結果、清から銀が流出するようになった。」 (ア A 茶 B アヘン C 綿布 イ A 綿布 B 茶 C アヘン ウ A アヘン B 綿布 C 茶 エ A 茶 B 綿布 C アヘン)
- 日本の開国について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X 日米和親条約で下田・箱館が開かれ、この 2 港でアメリカとの自由な貿易が始まった。 Y 日米修好通商条約で、日本は関税の率を自分で決める関税自主権を認められた。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 日米和親条約/インド大反乱/安政の大獄/桜田門外の変 (ア インド大反乱 → 日米和親条約 → 安政の大獄 → 桜田門外の変 イ 桜田門外の変 → 安政の大獄 → インド大反乱 → 日米和親条約 ウ 日米和親条約 → 安政の大獄 → インド大反乱 → 桜田門外の変 エ 日米和親条約 → インド大反乱 → 安政の大獄 → 桜田門外の変)
- インド大反乱と太平天国の乱に共通する点と、結果の違いとして正しいものはどれですか。 (ア どちらも外国の支援を受けた反乱で、両国とも成功を収めた イ どちらも民衆の抵抗で、両国とも反乱によって王朝が滅亡した ウ どちらも民衆の抵抗で、両国とも反乱の結果としてそのまま独立を達成した エ どちらも民衆の抵抗で、インドは英の直接統治、清は王朝が存続した)
- 開国後、日本の綿織物業が打撃を受けた一方で製糸業(生糸)が発展した理由はどれですか。 (ア 安い機械製綿布が輸入され、生糸は欧州で需要が高かったから イ 気候の変化で、綿花が日本で育たなくなったから ウ 幕府が綿織物の生産を禁止し、代わりに生糸の生産を奨励したから エ 外国商人が生糸しか買わず、綿製品の輸出が止まったから)
- 生徒のトモさんとリコさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 トモ「1859 年に貿易が始まってから、日本では物価が大きく上がったんだって。」 リコ「理由は 2 つあるよ。1 つは( )。もう 1 つは、金と銀の交換比率の違いで金貨が流出して、幕府が金の量を減らした小判をつくったことだね。」 (ア 外国人の居留地が増えて、日本人の人口が急に減ってしまったこと イ 幕府が生糸の輸出を全面的に禁止して、農家の収入が減ったこと ウ 生糸などの輸出が急に増えて、国内で品物が足りなくなったこと エ 安い外国製品の輸入が急に増えて、国内の品物が余ってしまったこと)
- 薩摩藩と長州藩が攘夷から開国・倒幕へと方針を変えた流れとして、最も適当なものを選びなさい。 (ア 外国人殺傷や外国船砲撃を行う → 薩英戦争・四国艦隊の下関砲撃で勝利する → 攘夷に自信を深める → 開国・倒幕へ イ アヘン戦争の情報が入る → 薩摩・長州が異国船打払令を出す → 外国船がすべて撤退する → 開国・倒幕へ ウ 外国人殺傷や外国船砲撃を行う → 薩英戦争・四国艦隊の下関砲撃で反撃を受ける → 攘夷の不可能を知る → 開国・倒幕へ エ 幕府が無勅許で条約に調印する → 薩摩・長州が条約に賛成する → 幕府と協力して攘夷を行う → 開国・倒幕へ)
列強の進出とアジア(アヘン戦争・インド大反乱・開国) ── 解答
基礎
- ウ 1854 年 答え:1854 年。アヘン戦争(1840)の 2 年後に薪水給与令、ペリー(1853)→ 和親(1854)→ 修好通商(1858)。
- イ 下田・箱館の開港、薪水・食料の供給、漂流民の保護、片務的最恵国待遇。貿易はなし 答え:下田・箱館の開港、薪水・食料の供給、漂流民の保護、片務的最恵国待遇。貿易はなし。
- イ フェートン号事件 1825 年の異国船打払令、1837 年のモリソン号事件(アメリカ商船を砲撃)へとつながる。
- ウ ヴィクトリア女王 イギリスはヒンドゥーとイスラームを対立させる分割統治でインドを支配した。
- 45 日本で銀 15 枚 → 金 3 枚(15 ÷ 5)。外国で金 3 枚 → 銀 45 枚(3 × 15)。銀が 3 倍になるので、くり返せば日本の金貨が大量に流出した。
標準
- イ イギリスはインドに綿布を売り、インド産アヘンを清に密輸し、清から茶を買った 答え:イギリスはインドに綿布を売り、インド産アヘンを清に密輸し、清から茶を買った。
- イ 太平洋を横断する対清貿易の中継地と、捕鯨船の補給地がほしかったから 答え:太平洋を横断する対清貿易の中継地と、捕鯨船の補給地がほしかったから。
- エ スエズ運河 ヨーロッパ〜アジアの航路が大幅に短縮され、イギリスのインド支配・アジア進出を支えた。
- イ どちらも関税自主権のない不平等条約である点 どちらも領事裁判権を認め、関税自主権がなかった。日本は戦争をせずに条約を結んだが、条件は清とほぼ同じだった。改正は 1894・1911 年(ht-04)。
- ウ 金の量を減らした万延小判を発行し、物価がさらに上昇した 万延小判(1860)は金の含有量を減らして比価を外国にそろえたが、貨幣の価値が下がり、輸出超過による品不足と合わせて物価上昇が進んだ。
- エ 蒸気で動く鉄製の軍艦が、木造の帆船を圧倒した 煙突から煙を上げる鉄製の蒸気船が、帆船のジャンクを砲撃で爆破している。産業革命の技術力の差が戦争の結果を分けた。太平天国の乱は 1851 年からで、アヘン戦争(1840〜42)より後。
- ア イ → エ → ウ → ア 古い順に 林則徐のアヘン没収(1839 年)、北京条約(1860 年)、薩英戦争(1863 年)、スエズ運河の開通(1869 年)。答え:イ → エ → ウ → ア。
- ア A 茶 B アヘン C 綿布 イギリス → インドへ綿布、インド → 清へアヘン(密輸)、清 → イギリスへ茶。アヘンの代金で銀が清から流れ出し、林則徐のアヘン没収(1839)からアヘン戦争(1840〜42)に至った。
- エ X 誤・Y 誤 X:和親条約は薪水・食料の供給と漂流民の保護が中心で、貿易は定めていない。貿易は 1858 年の修好通商条約で決まり、1859 年に始まった。Y:協定関税で関税自主権はなく、領事裁判権も認めた不平等条約。
発展
- エ 日米和親条約 → インド大反乱 → 安政の大獄 → 桜田門外の変 年:日米和親条約 1854・インド大反乱 1857・安政の大獄 1858・桜田門外の変 1860。答え:日米和親条約 → インド大反乱 → 安政の大獄 → 桜田門外の変。
- エ どちらも民衆の抵抗で、インドは英の直接統治、清は王朝が存続した インドでは反乱後にムガル帝国が滅び、イギリスが直接統治を始めた。清では王朝が存続し、洋務運動を進めた。同じ 1850 年代に起こった 2 つの大反乱を比べる問題は歴史総合の典型。
- ア 安い機械製綿布が輸入され、生糸は欧州で需要が高かったから ヨーロッパで蚕の病気が流行して生糸の需要が高まり、主要な輸出品になった。明治の殖産興業で富岡製糸場(1872)が建てられ、生糸は 1930 年代まで日本最大の輸出品だった。
- ウ 生糸などの輸出が急に増えて、国内で品物が足りなくなったこと 輸出の中心は生糸(約 8 割)と茶で、輸出超過のため国内で品不足になり物価が上がった。さらに金銀比価の違い(日本 1:5・外国 1:15)で金が流出し、幕府は金の量を減らした万延小判に改鋳したため物価が一層上がった。
- ウ 外国人殺傷や外国船砲撃を行う → 薩英戦争・四国艦隊の下関砲撃で反撃を受ける → 攘夷の不可能を知る → 開国・倒幕へ 薩摩は生麦事件(1862)から薩英戦争(1863)、長州は外国船砲撃から四国艦隊下関砲撃事件(1864)で欧米の軍事力を思い知り、攘夷は無理だと悟った。両藩は西洋の技術を取り入れる方向に転じ、倒幕へ進んだ。異国船打払令(1825)は幕府の法令。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/daigaku/social/ht-03/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。