帝国主義と日清・日露戦争 ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 中華民国の成立・清の滅亡 (ア 1894 年 イ 1898 年 ウ 1912 年 エ 1910 年)
- 次の条約・取り決めの内容として正しいものはどれですか。 三国干渉(1895) (ア 韓国に対する日本の指導権、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道、樺太の南半分。賠償金なし イ 朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金 2 億両、4 港の開港 ウ ロシア・フランス・ドイツが日本に遼東半島の返還を要求し、日本が受け入れた エ ロシアの南下を警戒するイギリスと日本が結んだ同盟)
- 山県有朋が 1890 年の議会で唱えた「主権線」と「利益線」の意味はどれですか。 (ア 主権線は本州、利益線は北海道。北海道の開拓を主張した イ 主権線は国境、利益線は朝鮮半島。利益線を守る軍備拡張を主張した ウ 主権線は憲法、利益線は貿易。憲法を守る政党内閣と議会政治を主張した エ 主権線は天皇、利益線は議会。天皇親政への復帰を主張した)
- 日露戦争のときに「君死にたまふことなかれ」を発表した人物はどれですか。 (ア 平塚らいてう イ 与謝野晶子 ウ 津田梅子 エ 樋口一葉)
- 年表の X(1902 年)にあてはまる出来事はどれですか。 (ア ポーツマス条約 イ 韓国併合 ウ 日英同盟 エ 下関条約)
標準
- 帝国主義と列強の進出について、帝国主義の経済的な背景として正しいものはどれですか。 (ア 土地を失った農民が海外の土地を求めて移住し、植民地の開拓を進めた イ 巨大化・独占化した企業と銀行(金融資本)が、原料供給地・市場・資本の投資先として植民地を求めた ウ 貿易が完全に自由化されて関税がなくなり、植民地をもつ必要がなくなった エ 小規模な手工業の職人が海外に移住し、各地で工房を開いて市場を広げた)
- 日清戦争と日露戦争について、日清戦争の直接のきっかけになった出来事はどれですか。 (ア 義和団事件(1900)で清が列強に宣戦し、日本が 8 か国連合軍として出兵したこと イ 甲午農民戦争(東学の乱)で朝鮮政府が清に出兵を求め、日本も天津条約を理由に出兵したこと ウ 閔妃殺害事件(1895)で日本公使が関与し、清が日本に抗議して出兵したこと エ 江華島事件(1875)で日本の軍艦が朝鮮に砲撃され、清が朝鮮を守るために出兵したこと)
- 韓国併合・辛亥革命・日本の産業革命について、1910 年の大逆事件の内容と影響はどれですか。 (ア 伊藤博文が暗殺された イ 天皇暗殺計画を理由に幸徳秋水ら社会主義者が処刑され、社会主義運動は「冬の時代」に入った ウ 普通選挙が実現した エ 労働組合が結成された)
- 三国干渉で返還させた遼東半島の旅順・大連を、1898 年にロシア自身が租借したことが日本に与えた影響はどれですか。 (ア 日本は清と同盟を結び、ロシアの南下に共同で備えた イ 日本は満州から撤退し、大陸への進出をあきらめた ウ 日本はロシアへの対抗をあきらめ、ロシアと同盟を結んだ エ ロシアへの反感と警戒が強まり、日英同盟と日露戦争への道を開いた)
- ベトナムの独立運動家ファン=ボイ=チャウが進めた東遊運動とは何ですか。 (ア 日露戦争後、ベトナムの青年を日本に留学させ、日本に学ぶ運動 イ フランスに対して武装蜂起し、ただちに独立を宣言した運動 ウ ベトナムの青年を中国に送り、科挙の学問を学ばせた運動 エ アメリカへの移民を進め、海外の同胞から独立運動を支えようとした運動)
- 年表の 1895 年の三国干渉から 1902 年の X までの流れの説明として正しいものはどれですか。 (ア 三国干渉でロシアと接近した日本が、義和団事件でイギリスと対立したのち同盟を結び直した イ 三国干渉後ロシアと対立した日本が、満州に居すわるロシアに対抗してイギリスと同盟した ウ 義和団事件で清が滅亡したため、日本とイギリスが清の領土を分けあう同盟を結んだ エ 下関条約で朝鮮を領有した日本が、イギリスの反発を抑えるために同盟を申し入れた)
- 図は 1898 年のフランスの新聞にのった風刺画です。「CHINE(中国)」と書かれた菓子を、イギリス・ドイツ・ロシア・フランス・日本の人物が切り分け、後ろで清の役人が怒っています。この絵が表している状況はどれですか。 (ア 列強が協力して太平天国の乱をしずめている イ 清が列強と同盟を結んで日本に対抗している ウ 清が列強に賠償金を分けて支払っている エ 列強が中国の領土や利権を分け合っている(中国分割))
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア ジョン=ヘイの門戸開放宣言 イ 中華民国の成立 ウ 義和団事件 エ 韓国併合 (ア ウ → ア → エ → イ イ ア → ウ → エ → イ ウ ア → ウ → イ → エ エ エ → ア → イ → ウ)
- 生徒のサラさんとダイさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 サラ「日露戦争での日本の勝利は、アジアの民族運動を勇気づけたんだって。ベトナムからは日本へ留学する東遊運動も起きたんだよね。」 ダイ「でも、その期待はやがて失望に変わったんだ。( )からだよ。」 (ア 日本が中国同盟会の結成を禁じ、孫文を本国へ送り返した イ 日本がロシアに敗れて、アジアから軍を引きあげることになった ウ 日本が欧米との条約をすべて破棄し、アジアの国々と断交した エ 日本自身が韓国を保護国とし、やがて併合して植民地支配を進めた)
- 日清戦争前後について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X 下関条約で清は朝鮮の独立を認め、日本に遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲した。 Y 三国干渉で日本が返還した遼東半島の旅順・大連は、のちにロシアが租借した。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 第 2 次日韓協約/ハーグ密使事件/伊藤博文暗殺/韓国併合/辛亥革命 (ア 第 2 次日韓協約 → 伊藤博文暗殺 → ハーグ密使事件 → 辛亥革命 → 韓国併合 イ 第 2 次日韓協約 → ハーグ密使事件 → 伊藤博文暗殺 → 韓国併合 → 辛亥革命 ウ ハーグ密使事件 → 第 2 次日韓協約 → 韓国併合 → 伊藤博文暗殺 → 辛亥革命 エ 辛亥革命 → 韓国併合 → 伊藤博文暗殺 → ハーグ密使事件 → 第 2 次日韓協約)
- 日清戦争の賠償金 2 億両(約 3 億 1,000 万円)の使い道として正しいものはどれですか。 (ア 大部分を軍備拡張にあて、八幡製鉄所の建設費にも使った イ 三国干渉による批判を受けて、清に全額を返還した ウ 全額を戦争で家族を失った国民などに分配した エ 全額を学校の建設や教員の養成など教育の充実に使った)
- 日露戦争後にアメリカと日本の関係が悪化し始めた理由として適切なものはどれですか。 (ア アメリカがロシアと同盟を結び、日本を東西から挟み撃ちにしようとしたから イ 日本がアメリカ領フィリピンを攻撃したから ウ アメリカが日本の憲法の天皇制に反対したから エ 満州の権益をめぐって対立し、米国で日本人移民排斥も起きたから)
- 次の資料 1・2 をもとに、1905 年に日比谷焼打ち事件が起きた理由を説明したものとして最も適当なものを選びなさい。 資料 1 日露戦争の戦費は約 17 億円で、英米での外債と国内の増税でまかなわれた。日本の戦死者は 8 万人を超えた。 資料 2 ポーツマス条約で日本は、韓国に対する指導権、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道、樺太の南半分などを得たが、賠償金は得られなかった。 (ア 外債が返せなくなり、英米が日本の領土を差し押さえようとしたことに反発した イ 樺太の全島と賠償金を得たが、韓国への指導権を得られなかったことに怒った ウ 賠償金で減税が約束されたのに、政府がそれを国民に配らなかったことに怒った エ 増税と多くの犠牲に耐えたのに賠償金が得られず、講和の内容への不満が爆発した)
- 日清戦争の賠償金が日本の産業に結びついた流れとして、最も適当なものを選びなさい。 (ア 北京議定書で巨額の賠償金 → 大阪紡績会社の設立 → 綿糸の輸入が急増 イ 下関条約で巨額の賠償金 → すべて国民に分配して減税 → 農村の生活が向上し軽工業が衰退 ウ ポーツマス条約で巨額の賠償金 → 軍備拡張と八幡製鉄所の建設、金本位制の確立 → 重工業の発展 エ 下関条約で巨額の賠償金 → 軍備拡張と八幡製鉄所の建設、金本位制の確立 → 重工業の発展)
帝国主義と日清・日露戦争 ── 解答
基礎
- ウ 1912 年 答え:1912 年。日清 1894 → 三国干渉 1895 → 中国分割 1898 → 義和団 1900 → 日英同盟 1902 → 日露 1904 → 併合 1910 → 辛亥 1911。
- ウ ロシア・フランス・ドイツが日本に遼東半島の返還を要求し、日本が受け入れた 答え:ロシア・フランス・ドイツが日本に遼東半島の返還を要求し、日本が受け入れた。
- イ 主権線は国境、利益線は朝鮮半島。利益線を守る軍備拡張を主張した 朝鮮を勢力下に置くことが日清・日露戦争の目的になった。
- イ 与謝野晶子 旅順にいる弟を思う詩。内村鑑三(キリスト教)・幸徳秋水(社会主義)の非戦論とともに出題される。
- ウ 日英同盟 義和団事件(1900)後もロシアが満州に駐兵したため、イギリスと日英同盟(1902)を結んだ。下関条約は 1895、ポーツマス条約は 1905、韓国併合は 1910。
標準
- イ 巨大化・独占化した企業と銀行(金融資本)が、原料供給地・市場・資本の投資先として植民地を求めた 答え:巨大化・独占化した企業と銀行(金融資本)が、原料供給地・市場・資本の投資先として植民地を求めた。
- イ 甲午農民戦争(東学の乱)で朝鮮政府が清に出兵を求め、日本も天津条約を理由に出兵したこと 答え:甲午農民戦争(東学の乱)で朝鮮政府が清に出兵を求め、日本も天津条約を理由に出兵したこと。
- イ 天皇暗殺計画を理由に幸徳秋水ら社会主義者が処刑され、社会主義運動は「冬の時代」に入った 答え:天皇暗殺計画を理由に幸徳秋水ら社会主義者が処刑され、社会主義運動は「冬の時代」に入った。
- エ ロシアへの反感と警戒が強まり、日英同盟と日露戦争への道を開いた 「返せと言った土地を自分が取った」という構図。
- ア 日露戦争後、ベトナムの青年を日本に留学させ、日本に学ぶ運動 のちに日本がフランスの要請で留学生を追放し、失望を招いた。日仏協約(1907)で日本はフランスの植民地支配を認めた。日本への期待と失望の典型例。
- イ 三国干渉後ロシアと対立した日本が、満州に居すわるロシアに対抗してイギリスと同盟した 三国干渉(露・独・仏)→ 「臥薪嘗胆」→ 中国分割 → 義和団事件(1900)後のロシアの満州占領 → 日英同盟(1902)→ 日露戦争(1904)。清の滅亡は 1912 年。
- エ 列強が中国の領土や利権を分け合っている(中国分割) 日清戦争で清の弱さが明らかになると、列強は租借地と勢力範囲を競って手に入れた(1898 年:ドイツが膠州湾、ロシアが旅順・大連、イギリスが威海衛・九竜半島、フランスが広州湾)。日本も台湾の対岸の福建を勢力範囲にした。
- イ ア → ウ → エ → イ 古い順に ジョン=ヘイの門戸開放宣言(1899 年)、義和団事件(1900 年)、韓国併合(1910 年)、中華民国の成立(1912 年)。答え:ア → ウ → エ → イ。
- エ 日本自身が韓国を保護国とし、やがて併合して植民地支配を進めた 日本は日露戦争後に韓国の外交権を奪って保護国化し(1905)、1910 年に併合した。欧米と同じ帝国主義国としてふるまったため、アジアの民族運動家の期待は失望に変わった。孫文は東京で中国同盟会を結成している(1905)。
- ア X 正・Y 正 X:正しい(1895 年)。Y:正しい(1898 年)。ロシア・フランス・ドイツに返還させられた土地をロシア自身が手に入れたため、日本では「臥薪嘗胆」の反ロシア感情が強まった。
発展
- イ 第 2 次日韓協約 → ハーグ密使事件 → 伊藤博文暗殺 → 韓国併合 → 辛亥革命 答え:第 2 次日韓協約 → ハーグ密使事件 → 伊藤博文暗殺 → 韓国併合 → 辛亥革命。1894 → 1895.4 → 1895.4 → 1898 → 1900/1902 → 1904.2 → 1905.5 → 1905.9 → 1905.9/1905 → 1907 → 1909 → 1910 → 1911/1884 → 1898 → 1899 → 1900 → 1904。
- ア 大部分を軍備拡張にあて、八幡製鉄所の建設費にも使った 金本位制の準備金にもあてられた。当時の国家予算の 3 倍以上。日露戦争への準備と重工業化の資金になった。
- エ 満州の権益をめぐって対立し、米国で日本人移民排斥も起きたから 満州の門戸開放を求めるアメリカと、満鉄を独占する日本の利害が対立した。1906 年サンフランシスコの日本人学童隔離、1924 年の移民法(ht-07)へ続く。
- エ 増税と多くの犠牲に耐えたのに賠償金が得られず、講和の内容への不満が爆発した 国民は増税と多くの戦死者という大きな負担を負ったが、ロシアにも戦争を続ける余力が残る中での講和で、賠償金はとれなかった。その不満が日比谷焼打ち事件となり、戒厳令が出された。樺太は南半分のみで、韓国への指導権は得ている。
- エ 下関条約で巨額の賠償金 → 軍備拡張と八幡製鉄所の建設、金本位制の確立 → 重工業の発展 日清戦争の下関条約(1895)で得た 2 億両(約 3 億 1,000 万円)は軍備拡張のほか、八幡製鉄所(1901 年操業)の建設や金本位制(1897)の準備にあてられた。日露戦争のポーツマス条約では賠償金は得られなかった。大阪紡績会社は 1883 年設立。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/daigaku/social/ht-05/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。