世界恐慌とファシズム・日本の軍部台頭 ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 大政翼賛会 (ア 1929 年 イ 1931 年 ウ 1940 年 エ 1938 年)
- 世界恐慌への対応として、ソ連(スターリン)がとった政策はどれですか。 (ア ブロック経済:金本位制停止、オタワ連邦会議で植民地・自治領との特恵関税 イ 金輸出再禁止と円安による輸出拡大・軍事費増大(高橋財政)、満州事変による大陸侵略 ウ ファシスト党の独裁とエチオピア侵攻 エ 五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲))
- 世界恐慌のときアメリカの失業者はおよそ何人で、労働者の何人に 1 人でしたか。 (ア 約 1,300 万人、4 人に 1 人 イ 約 10 万人、1,000 人に 1 人 ウ 約 100 万人、100 人に 1 人 エ 約 5,000 万人、2 人に 1 人)
- 五・一五事件で暗殺された犬養毅首相が残したとされる言葉はどれですか。 (ア 「話せばわかる」 イ 「閥族打破・憲政擁護」 ウ 「国民政府を対手とせず」 エ 「臥薪嘗胆」)
標準
- 世界恐慌とファシズムについて、ニューディールの政策に含まれないものはどれですか。 (ア 金本位制の採用 イ ワグナー法(労働者の団結権の保障)と社会保障法の制定 ウ TVA(テネシー川流域開発公社)による公共事業と雇用の創出 エ AAA(農業調整法)による生産制限と農産物価格の引き上げ)
- 日本の恐慌と軍部の台頭について、日本が国際連盟を脱退した経過はどれですか。 (ア 1931 年、満州事変の開始と同時に日本は国際連盟からの脱退を通告した イ 1937 年、日中戦争の開始を理由に国際連盟の総会で日本の除名が決議された ウ 1933 年、連盟総会が撤兵勧告を 42:1 で採択すると、松岡洋右代表が退場し脱退を通告した エ 1940 年、日独伊三国同盟の締結にともなって国際連盟を脱退した)
- 日中戦争と戦時体制について、朝鮮・台湾で行われた皇民化政策の内容はどれですか。 (ア 朝鮮・台湾に自治を拡大し、戦争への協力の見返りに戦後の独立を約束した イ 創氏改名・日本語の強制・神社参拝・のちに徴兵 ウ 日本人の朝鮮・台湾への移住を禁止し、現地の人々の土地と産業を守った エ 朝鮮語・中国語の教育を奨励し、現地の文化を尊重する統治に転換した)
- 1933 年に国際連盟を脱退した 2 つの国はどれですか。 (ア 日本とドイツ イ ドイツとソ連 ウ 日本とイタリア エ アメリカとイギリス)
- 日本が 1930 年代前半に主要国で最も早く恐慌から脱出できた理由として適切なものはどれですか。 (ア 金本位制を守って通貨を安定させ、外国の信用を得たから イ 農業を中心に自給自足に戻り、輸入を減らしたから ウ ブロック経済で植民地との貿易を独占し、輸出先を確保したから エ 円安で輸出が伸び、軍事費と公共事業が需要を生んだから)
- 図は 1936 年にアメリカの農業安定局(FSA)が記録した、カリフォルニアの季節労働者の母子の写真です。この写真が撮られた当時のアメリカの政策として正しいものはどれですか。 (ア フーヴァー大統領の高関税政策(スムート=ホーリー法)で輸入を止めた イ ソ連にならって五か年計画を導入し、計画経済に移った ウ 金本位制に復帰して、ドルの価値を守った エ ローズヴェルト大統領のニューディール(公共事業などで困窮に対応))
- 次の資料は世界恐慌(1929 年〜)の影響をまとめたものです。資料から読み取れることとして最も適当なものを選びなさい。 項目|恐慌による変化 アメリカの失業者|約 1,300 万人(労働者の 4 人に 1 人) 世界の工業生産|約 4 割減少 世界の貿易|約 6 割減少 (ア 世界の貿易の落ちこみは、工業生産の落ちこみより小さかった イ 世界の工業生産は、恐慌の前と比べて約 6 割に減った ウ アメリカでは、労働者の半数をこえる人々が仕事を失った エ 世界の貿易は、世界の工業生産よりも大きな割合で落ちこんだ)
- 生徒のユキさんとハルトさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 ユキ「1930 年に浜口内閣が金解禁をしたら、昭和恐慌になってしまったんだね。」 ハルト「金解禁で円高になったうえ、( )から、輸出が激減して不況が深まったんだ。」 (ア ちょうど大戦景気の最中で、ヨーロッパからの注文が日本の生産を上回っていた イ 同時に金輸出を再禁止したので、円の価値が下がって輸入品が値上がりした ウ ちょうど世界恐慌が起きた直後で、アメリカ向けの生糸などの需要が落ちこんでいた エ 同時にブロック経済に加わったので、日本の製品が世界中で売れすぎてしまった)
- 世界恐慌への各国の対応について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X イギリスはオタワ連邦会議で、植民地や自治領との貿易の関税を引き上げ、世界の自由貿易を広げようとした。 Y ソ連は恐慌の影響で五か年計画を中止し、市場経済を全面的に取り入れて工業の立て直しを図った。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 ムッソリーニ政権/ナチ党第一党/ヒトラー首相/全権委任法/再軍備宣言/ラインラント進駐 (ア ムッソリーニ政権 → ヒトラー首相 → ナチ党第一党 → 再軍備宣言 → 全権委任法 → ラインラント進駐 イ ムッソリーニ政権 → ナチ党第一党 → ヒトラー首相 → 全権委任法 → 再軍備宣言 → ラインラント進駐 ウ ナチ党第一党 → ムッソリーニ政権 → 全権委任法 → ヒトラー首相 → 再軍備宣言 → ラインラント進駐 エ ラインラント進駐 → 再軍備宣言 → 全権委任法 → ヒトラー首相 → ナチ党第一党 → ムッソリーニ政権)
- 「持てる国」と「持たざる国」という見方で 1930 年代を説明したものとして適切なものはどれですか。 (ア 持てる国と持たざる国の区別は、恐慌の広がりや国際対立と無関係だった イ 英米仏がブロック経済を固め、独伊日は領土拡大で不況を脱しようとした ウ 持たざる国が国際協調で資源を分け合い、恐慌を乗り切った エ 持てる国が植民地を手放したため、世界の貿易が回復した)
- 大日本帝国憲法下で軍部が政治を動かせるようになった制度上の要因として適切なものはどれですか。 (ア 議会が軍に命令する権限をもち、軍事予算を自由に決められたこと イ 統帥権の独立と軍部大臣現役武官制で、軍が内閣を左右できたこと ウ 憲法で軍人が首相になることが義務づけられていたこと エ 国民投票で軍事行動の開始が決められ、世論が軍を後押ししたこと)
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア 満州事変 イ 盧溝橋事件 ウ 独ソ不可侵条約 エ 日本の国際連盟脱退の通告 (ア イ → ア → ウ → エ イ ウ → イ → エ → ア ウ ア → エ → イ → ウ エ エ → ア → イ → ウ)
- 次の資料 1・2 から考えられることとして最も適当なものを選びなさい。 資料 1 世界恐慌のあと、ドイツの失業者は約 600 万人(労働者の 3 人に 1 人)に達した。ドイツはヴェルサイユ条約の巨額の賠償金も負っていた。 資料 2 ナチ党は 1932 年の選挙で第一党となり、1933 年 1 月にヒトラーが首相に任命された。 (ア ナチ党はクーデタで政権を奪ったので、選挙での支持はほとんど得ていなかった イ 賠償金がすべて免除されたため、ドイツ国民は国際協調を進める政党を選んだ ウ 失業者が減って社会が安定したため、国民は議会政治をやめて独裁を選んだ エ 失業と条約への不満が広がる中で、仕事と国の誇りの回復を訴えたナチ党が支持を集めた)
- 二・二六事件のあと、軍部の政治への影響力が強まった流れとして、最も適当なものを選びなさい。 (ア 事件で皇道派が政権を握る → 軍部大臣現役武官制が廃止 → 文官が陸軍大臣になれるようになる イ 事件が鎮圧され統制派が陸軍を掌握 → 軍部大臣現役武官制が復活 → 軍が大臣を出さなければ内閣がつくれなくなる ウ 事件が鎮圧され政党が力を回復 → 憲政の常道が復活 → 軍の意向に関係なく政党内閣が続く エ 事件で天皇が退位 → 新しい憲法が制定 → 軍が内閣を直接指揮する制度ができる)
世界恐慌とファシズム・日本の軍部台頭 ── 解答
基礎
- ウ 1940 年 答え:1940 年。恐慌 1929 → 満州事変 1931 → 連盟脱退 1933 → 二・二六 1936 → 日中戦争 1937 → 総動員法 1938 → 大戦 1939。
- エ 五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲) 持てる国(米:ニューディール、英仏:ブロック経済)と持たざる国(独伊日:ファシズム・侵略)、計画経済のソ連。答え:五か年計画:計画経済で恐慌の影響をほぼ受けずに工業化(農業集団化で犠牲)。
- ア 約 1,300 万人、4 人に 1 人 ドイツは約 600 万人で 3 人に 1 人。失業率のグラフから国を当てる問題が出る。
- ア 「話せばわかる」 襲撃者は「問答無用」と応じた。言論による政治が暴力に屈した象徴として語られる。
標準
- ア 金本位制の採用 答え:金本位制の採用。
- ウ 1933 年、連盟総会が撤兵勧告を 42:1 で採択すると、松岡洋右代表が退場し脱退を通告した 答え:1933 年、連盟総会が撤兵勧告を 42:1 で採択すると、松岡洋右代表が退場し脱退を通告した。
- イ 創氏改名・日本語の強制・神社参拝・のちに徴兵 答え:創氏改名・日本語の強制・神社参拝・のちに徴兵。
- ア 日本とドイツ イタリアは 1937 年に脱退。ソ連は 1934 年に加盟し 1939 年に除名。国際連盟は大国が抜けて機能を失った。
- エ 円安で輸出が伸び、軍事費と公共事業が需要を生んだから 金輸出再禁止(1931)による円安で綿製品などの輸出が伸びた。ただし輸出拡大はイギリスなどから「ソーシャル=ダンピング」と非難され、ブロック経済で締め出される方向に働いた。
- エ ローズヴェルト大統領のニューディール(公共事業などで困窮に対応) FSA は農村の貧困を記録する写真班を持ち、ドロシア・ラングらの写真は救済政策への支持を集めた。高関税法は 1930 年(フーヴァー)、金本位制からの離脱は 1933 年。
- エ 世界の貿易は、世界の工業生産よりも大きな割合で落ちこんだ 貿易は約 6 割減、工業生産は約 4 割減で、貿易の方が大きく落ちこんだ。各国がブロック経済や高関税で自国の市場を囲いこんだことも貿易の縮小を大きくした。アメリカの失業は 4 人に 1 人。工業生産が 4 割減なら、残りは約 6 割。
- ウ ちょうど世界恐慌が起きた直後で、アメリカ向けの生糸などの需要が落ちこんでいた 金解禁(旧平価での金本位制復帰)は円高で輸出に不利だった。そのうえ実施が世界恐慌の直後で、対米生糸輸出が崩れ、農業恐慌も重なった。金輸出再禁止(1931)は高橋財政で行われ、円安で輸出が回復した。
- エ X 誤・Y 誤 X:オタワ会議(1932)では、本国と植民地・自治領の間の関税を低くし(特恵関税)、域外には高関税をかけるブロック経済をつくった。Y:ソ連は計画経済のため恐慌の影響をほとんど受けず、五か年計画で工業化を進めた。
発展
- イ ムッソリーニ政権 → ナチ党第一党 → ヒトラー首相 → 全権委任法 → 再軍備宣言 → ラインラント進駐 答え:ムッソリーニ政権 → ナチ党第一党 → ヒトラー首相 → 全権委任法 → 再軍備宣言 → ラインラント進駐。1927 → 1929 → 1930 → 1931.9 → 1931.12/1931.9 → 1932.3 → 1932.5 → 1932.10 → 1933.3/1922 → 1932 → 1933.1 → 1933.3 → 1935 → 1936/1935 → 1936 → 1937 → 1938 → 1940。
- イ 英米仏がブロック経済を固め、独伊日は領土拡大で不況を脱しようとした 第二次世界大戦後、この教訓から自由貿易体制(IMF・GATT)がつくられた(kk-09)。
- イ 統帥権の独立と軍部大臣現役武官制で、軍が内閣を左右できたこと 日本国憲法は文民統制(66 条:大臣は文民)と戦争放棄(9 条)でこれを断った(kk-02)。
- ウ ア → エ → イ → ウ 古い順に 満州事変(1931 年)、日本の国際連盟脱退の通告(1933 年)、盧溝橋事件(1937 年)、独ソ不可侵条約(1939 年)。答え:ア → エ → イ → ウ。
- エ 失業と条約への不満が広がる中で、仕事と国の誇りの回復を訴えたナチ党が支持を集めた 大量失業とヴェルサイユ条約への屈辱感の中で、ナチ党は雇用の回復と条約の打破、反共産主義を掲げて中間層や資本家の支持を得た。ヒトラーは選挙で第一党になったあと大統領から首相に任命され、全権委任法で独裁を固めた。
- イ 事件が鎮圧され統制派が陸軍を掌握 → 軍部大臣現役武官制が復活 → 軍が大臣を出さなければ内閣がつくれなくなる 二・二六事件(1936)は天皇の意思で鎮圧され、皇道派は排除されて統制派が陸軍の主導権を握った。同年、軍部大臣現役武官制が復活し、陸海軍が大臣を出さなければ内閣が成立・存続できなくなったため、軍の発言力が強まった。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/daigaku/social/ht-08/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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