冷戦と戦後日本(占領・改革・独立・高度経済成長) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 天皇の人間宣言・農地改革・日本国憲法の公布・東京裁判の開始 (ア 1964 年 イ 1946 年 ウ 1972 年 エ 1947 年)
- 占領期の改革について、選挙法改正(1945)の内容はどれですか。 (ア 不在地主の全小作地と在村地主の 1 町歩超を国が買収して小作人に売り、自作農を増やした(小作地 46% → 10%) イ 教育基本法・学校教育法(1947)で 6・3・3・4 制、義務教育 9 年、男女共学、教育委員会 ウ 20 歳以上の男女に選挙権。1946 年の総選挙で女性議員 39 名 エ 持株会社の解体と独占禁止法・過度経済力集中排除法で、軍国主義の経済的基盤を除く)
- 連合国軍最高司令官として日本の占領を指揮した人物はどれですか。 (ア マッカーサー イ アイゼンハワー ウ トルーマン エ ニミッツ)
- 1956 年の経済白書に書かれ、復興の終わりを示した言葉はどれですか。 (ア 「所得倍増」 イ 「臥薪嘗胆」 ウ 「欲しがりません勝つまでは」 エ 「もはや戦後ではない」)
標準
- 冷戦について、1949 年にドイツで起こったことはどれですか。 (ア 東西のドイツが統一されて一つの国になり、ベルリンが首都に戻った イ ドイツ全土がソ連に併合され、ソ連の一共和国として社会主義化された ウ ドイツが米ソどちらの陣営にも属さない永世中立国となり、軍隊をもたないことを決めた エ 西側のドイツ連邦共和国と東側のドイツ民主共和国に分断された)
- 占領と独立について、1951 年の日米安全保障条約の内容と問題点はどれですか。 (ア 日本がアメリカを防衛する義務を負い、自衛隊が海外に派遣されることになった イ 日本の核兵器の保有を認め、アメリカが核技術を提供することになった ウ 米軍の日本からの完全撤退を決め、日本は非武装中立国になった エ 米軍の日本駐留を認めたが、アメリカの日本防衛義務は明記されず、基地問題(内灘・砂川)が起こった)
- 55 年体制と高度経済成長について、公害問題への対応として正しいものはどれですか。 (ア 企業が自主的に被害者に補償して解決し、政府の規制や裁判は必要なかった イ 1967 年に公害対策基本法、1971 年に環境庁が設置された ウ 1950 年に環境省が設置され、四大公害病が発生する前から規制が整っていた エ 公害は経済成長の代償として放置され、法律も役所も 1980 年代まで作られなかった)
- 農地改革が日本の農村と政治に与えた長期的な影響として適切なものはどれですか。 (ア 自作農が大半になり、農村は保守政党の安定した支持基盤になった イ いったん解体された地主制が、すぐに復活した ウ 農地を失った小作人が都市にあふれ、農村が共産党の支持基盤になった エ 大規模農業が発達し、農家の数が激減した)
- 日本の高度経済成長を支えた国際的な条件として正しいものはどれですか。 (ア 戦前からの植民地を保ち、資源を安く得たこと イ ソ連との貿易で、石油や鉄鉱石などの資源を得たこと ウ 鎖国して輸入を断ち、国内市場だけで成長したこと エ 冷戦下の自由貿易体制と固定相場、安い中東の石油)
- 図は日本国憲法の原本の冒頭(上諭)で、「帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」とあります。ここから分かることとして正しいものはどれですか。 (ア 日本国憲法は形式上、帝国憲法の改正手続きで成立した イ 日本国憲法は国民投票によって直接成立した ウ 日本国憲法は GHQ が帝国議会を通さずに公布した エ 日本国憲法は大日本帝国憲法と同時に効力を持った)
- 次の出来事ア〜エを古い順に並べたものはどれですか。 ア 自衛隊の発足 イ 日中平和友好条約 ウ 55 年体制の成立 エ 公害対策基本法 (ア ウ → ア → エ → イ イ ア → ウ → エ → イ ウ ア → ウ → イ → エ エ エ → ア → イ → ウ)
- 次の資料は農地改革(1946 年〜)の前後の変化を説明したものです。資料から読み取れることとして最も適当なものを選びなさい。 資料 不在地主の全小作地と、在村地主の 1 町歩(北海道は 4 町歩)をこえる小作地を国が強制的に買い取り、小作人に安く売り渡した。その結果、全耕地に占める小作地の割合は約 46% から約 10% に下がった。 (ア 改革の前は耕地の半分近くが小作地だったが、改革後は 1 割ほどに減った イ 国が買い取った土地は地主に返され、小作人はそのまま地主に従った ウ 改革の前から小作地は 1 割ほどで、改革後もほとんど変わらなかった エ 改革によって小作地の割合は約 46% 上がり、地主の力が強まった)
- 生徒のコハルさんとミナトさんの会話を読み、空欄に入る内容として最も適当なものを選びなさい。 コハル「1955 年から 1973 年まで、日本は年平均 10% 前後の成長を続けたんだって。どうしてそんなに伸びたのかな。」 ミナト「国内では技術革新や高い貯蓄率があったし、国際的には( )も大きかったんだよ。」 (ア 安い石油と 1 ドル = 360 円の固定相場、自由貿易の体制があったこと イ 防衛費が国家予算の半分を占め、軍需生産が経済の中心になっていたこと ウ 石油の価格が急に上がり、変動相場制のもとで円の価値が大きく上がっていたこと エ ブロック経済で外国製品を締め出し、国内の市場を独占できたこと)
- 日本の独立と安全保障について述べた次の文 X・Y の正誤の組み合わせとして正しいものを選びなさい。 X サンフランシスコ講和会議には中国が招かれず、ソ連は平和条約に調印しなかった。 Y 1960 年の日米新安全保障条約では、アメリカの日本防衛義務が明記された。 (ア X 正・Y 正 イ X 正・Y 誤 ウ X 誤・Y 正 エ X 誤・Y 誤)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 サンフランシスコ平和条約/自衛隊発足/55 年体制/国連加盟/新安保条約 (ア サンフランシスコ平和条約 → 55 年体制 → 自衛隊発足 → 新安保条約 → 国連加盟 イ サンフランシスコ平和条約 → 自衛隊発足 → 55 年体制 → 国連加盟 → 新安保条約 ウ 自衛隊発足 → サンフランシスコ平和条約 → 国連加盟 → 55 年体制 → 新安保条約 エ 新安保条約 → 国連加盟 → 55 年体制 → 自衛隊発足 → サンフランシスコ平和条約)
- 日本の戦後が「冷戦という世界の構造の中で決まった」といえる例として適切なものはどれですか。 (ア 朝鮮戦争の特需と再軍備、ソ連抜きの講和と日米安保 イ 日本がソ連陣営に入り、社会主義の道を選んだこと ウ 日本が他国の影響を受けず、独自にすべてを決めたこと エ 日本が中立国となり、米ソどちらとも同盟しなかったこと)
- サンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」の範囲をめぐる日本政府の立場はどれですか。 (ア 千島列島の全島が固有の領土で、返還を求めている イ 北方四島は千島列島に含まれない固有の領土で、返還を求めている ウ 樺太の全島が日本の固有の領土で、返還を求めている エ 北方四島も放棄した千島列島に含まれるとして、返還は求めていない)
- 次の資料 1・2 から、占領政策が「逆コース」と呼ばれる方向に転じた理由として最も適当なものを選びなさい。 資料 1(日本) 1947 年 二・一ゼネストに GHQ が中止を命令/1949 年 ドッジ=ラインで経済の安定を優先/1950 年 警察予備隊の設置 資料 2(世界) 1947 年 トルーマン=ドクトリン(共産主義の封じ込め)/1949 年 中華人民共和国の成立/1950 年 朝鮮戦争の開始 (ア 中国と日本が同盟を結び、アメリカが日本の民主化をさらに急いだため イ 冷戦が激しくなり、アメリカが日本を反共の拠点として経済復興と再軍備を急いだため ウ 朝鮮戦争で日本が敗れ、連合国が日本に新たな賠償を求めたため エ 冷戦が終わり、アメリカが日本から軍を引きあげて自主防衛を求めたため)
- 朝鮮戦争が日本に与えた影響の流れとして、最も適当なものを選びなさい。 (ア 朝鮮戦争が始まる → 米軍が日本から撤退する → 日本の工業が衰えて不況が長引く イ 朝鮮戦争が終わる → 日本が北朝鮮から賠償を受け取る → 高度経済成長が始まる ウ 戦争が始まる → 米軍からの特需が増える → ドッジ=ライン後の不況から回復する エ 朝鮮戦争が始まる → 日本が国連軍の一員として参戦する → 戦費がかさんで国の財政が破綻する)
冷戦と戦後日本(占領・改革・独立・高度経済成長) ── 解答
基礎
- イ 1946 年 答え:1946 年。
- ウ 20 歳以上の男女に選挙権。1946 年の総選挙で女性議員 39 名 答え:20 歳以上の男女に選挙権。1946 年の総選挙で女性議員 39 名。
- ア マッカーサー GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のトップ。1951 年に朝鮮戦争の方針をめぐってトルーマン大統領に解任された。
- エ 「もはや戦後ではない」 1955 年に国民所得が戦前の水準を回復した。ここから高度経済成長へ。
標準
- エ 西側のドイツ連邦共和国と東側のドイツ民主共和国に分断された 答え:西側のドイツ連邦共和国と東側のドイツ民主共和国に分断された。
- エ 米軍の日本駐留を認めたが、アメリカの日本防衛義務は明記されず、基地問題(内灘・砂川)が起こった 答え:米軍の日本駐留を認めたが、アメリカの日本防衛義務は明記されず、基地問題(内灘・砂川)が起こった。
- イ 1967 年に公害対策基本法、1971 年に環境庁が設置された 答え:1967 年に公害対策基本法、1971 年に環境庁が設置された。
- ア 自作農が大半になり、農村は保守政党の安定した支持基盤になった 寄生地主制が解体された。小規模な自作農が多数生まれたことは、のちの農業の大規模化の妨げにもなった。
- エ 冷戦下の自由貿易体制と固定相場、安い中東の石油 アメリカの安全保障の傘、IMF・GATT の自由貿易体制、1 ドル=360 円の固定相場が条件になった。この条件は 1971 年のドル=ショックと 1973 年の石油危機で崩れ、高度成長は終わった(ht-11)。
- ア 日本国憲法は形式上、帝国憲法の改正手続きで成立した GHQ 案をもとにした政府案が帝国議会(衆議院・貴族院)で修正・可決され、1946 年 11 月 3 日に公布、1947 年 5 月 3 日に施行された。主権は天皇から国民に移ったが、手続きは旧憲法の改正の形をとった。
- イ ア → ウ → エ → イ 古い順に 自衛隊の発足(1954 年)、55 年体制の成立(1955 年)、公害対策基本法(1967 年)、日中平和友好条約(1978 年)。答え:ア → ウ → エ → イ。
- ア 改革の前は耕地の半分近くが小作地だったが、改革後は 1 割ほどに減った 小作地は約 46%(半分近く)から約 10% に減り、多くの農民が自作農になった。寄生地主制が解体されて農村の民主化が進む一方、自作農は土地を守る保守的な安定層となり、のちの保守政党の支持基盤にもなった。
- ア 安い石油と 1 ドル = 360 円の固定相場、自由貿易の体制があったこと 安い石油(エネルギー革命)、円安の 360 円の固定相場、IMF・GATT のもとの自由貿易が輸出と工業化を支えた。石油価格の高騰(1973 年の石油危機)は高度成長を終わらせた側。防衛費は小さかった。
- ア X 正・Y 正 X:正しい(ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアは調印せず、単独講和と呼ばれる)。Y:正しい。旧安保条約(1951)では防衛義務が明記されていなかった。新条約には事前協議の制度も入り、「戦争に巻きこまれる」と安保闘争が起きた。
発展
- イ サンフランシスコ平和条約 → 自衛隊発足 → 55 年体制 → 国連加盟 → 新安保条約 答え:サンフランシスコ平和条約 → 自衛隊発足 → 55 年体制 → 国連加盟 → 新安保条約。1945 → 1946 → 1947 → 1949 → 1950/1947 → 1949.4 → 1949.10 → 1950 → 1955/1951 → 1954 → 1955 → 1956 → 1960/1960 → 1964 → 1965 → 1967 → 1972。
- ア 朝鮮戦争の特需と再軍備、ソ連抜きの講和と日米安保 ほかに占領政策の転換、沖縄の長期の米統治、ニクソン訪中後の日中国交正常化も同じ構図。歴史総合では日本史の出来事を世界の文脈で説明できるかが問われる。
- イ 北方四島は千島列島に含まれない固有の領土で、返還を求めている 1956 年の日ソ共同宣言は平和条約締結後の歯舞・色丹の引き渡しを定めたが、平和条約は未締結。
- イ 冷戦が激しくなり、アメリカが日本を反共の拠点として経済復興と再軍備を急いだため 資料 2 の冷戦の激化と、資料 1 の労働運動の抑制・経済安定・再軍備の動きは同じ時期に重なる。アメリカは日本を「反共の防波堤」とするため、非軍事化・民主化から経済復興・再軍備へと占領政策を転換した。
- ウ 戦争が始まる → 米軍からの特需が増える → ドッジ=ライン後の不況から回復する 1950 年に朝鮮戦争が始まると、米軍が武器・車両の修理や物資を日本に大量に注文し(特需)、ドッジ=ラインで生じた安定恐慌から景気が回復した。同じ年、在日米軍の出動のあとを埋めるため警察予備隊がつくられた。日本は参戦していない。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/daigaku/social/ht-10/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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