平安時代 ── 問題
基礎
- 真言宗・高野山金剛峯寺の作者(または中心人物)はだれですか。 (ア 藤原頼通 イ 藤原道長 ウ 清少納言 エ 空海)
- 関白の説明として正しいものはどれですか。 (ア 荘園が税を納めなくてよい権利 イ 天皇が幼いときに天皇に代わって政治を行う役職 ウ 天皇が成人したあとに天皇を補佐する役職 エ 荘園に国司の役人が立ち入れない権利)
- 794 年に平安京に都を移した天皇はだれですか。 (ア 聖武天皇 イ 天武天皇 ウ 推古天皇 エ 桓武天皇)
- 藤原氏が政治の実権をにぎることができた方法はどれですか。 (ア 武力で天皇を倒し、政治を行った イ 自ら天皇の位につき、自分で政治を行った ウ 娘を天皇のきさきにし、摂政や関白になった エ 仏教の力で天皇をおさえつけた)
- 「この世をば わが世とぞ思う もち月の かけたることも なしと思えば」とよんだ人物はだれですか。 (ア 平清盛 イ 藤原道長 ウ 菅原道真 エ 藤原頼通)
- 国風文化が生まれた背景として正しいものはどれですか。 (ア 武士が力をつけ、文化の中心になった イ 遣唐使が増えて、唐の文化がそのまま多く入ってきた ウ 仏教が禁止され、神道が広まった エ 遣唐使が停止され、日本の風土に合った文化が育った)
標準
- 次の出来事を古い順に並べたとき、3 番目になるものはどれですか。【平安京への遷都/遣唐使の停止/藤原道長の全盛/白河上皇の院政の開始/平清盛が太政大臣になる】 (ア 白河上皇の院政の開始 イ 遣唐使の停止 ウ 平清盛が太政大臣になる エ 藤原道長の全盛)
- 浄土信仰について正しいものはどれですか。 (ア 座禅を組み、自分の力で悟りを開くことをめざした イ 山奥で厳しい修行をして悟りを得ることをめざした ウ 念仏を唱え、極楽浄土に生まれ変わることを願った エ 神と仏を切り離した)
- 平安時代の貴族の住居の様式を何といいますか。 (ア 校倉造 イ 数寄屋造 ウ 寝殿造 エ 書院造)
- 院政が始まったことで起こった変化として正しいものはどれですか。 (ア 律令制が復活し、天皇が直接治めた イ 藤原氏の摂関政治の力がこれまで以上に強まった ウ 武士が力を失い、いなくなった エ 上皇が武士を用いて、武士が中央に進出した)
- 平清盛の政治として正しいものはどれですか。 (ア 鎌倉に幕府を開き、御家人を従えた イ 武士として初めて太政大臣となり、日宋貿易を行った ウ 東北の蝦夷を征討し、征夷大将軍となった エ 遣唐使を復活させ、唐と貿易した)
- 最澄と空海が開いた宗派の共通点はどれですか。 (ア 座禅による悟り イ 唐で学び、山奥で厳しい修行をする仏教 ウ 民衆に広く信仰された踊念仏 エ 念仏を唱えれば救われると説いた)
- 『古今和歌集』について正しいものはどれですか。 (ア 奈良時代にまとめられた最古の和歌集 イ 鎌倉時代に藤原定家らが編集した最初の和歌集 ウ 905 年に紀貫之らが編集した最初の勅撰和歌集 エ 清少納言が宮廷の生活を書いた随筆)
- 894 年に遣唐使の停止を提案した人物はだれですか。 (ア 紀貫之 イ 坂上田村麻呂 ウ 菅原道真 エ 藤原道長)
- かな文字の発達がもたらしたことはどれですか。 (ア 漢字がまったく使われなくなった イ 感情を表しやすくなり、女性の文学が発達した ウ 仏教の経典が読まれなくなった エ 武士が文学を独占するようになった)
- 資料は藤原道長と天皇の関係を説明したものである。資料から読み取れる、藤原氏が権力をにぎったしくみとして正しいものはどれですか。 「道長の娘の彰子は一条天皇のきさきとなり、生まれた皇子が幼くして後一条天皇として即位した。道長は祖父として摂政となった。」 (ア 自分が天皇の位につき、娘を摂政にして政治を任せた イ 上皇となって院で政治を行い、武士を味方につけた ウ 武士として太政大臣となり、日宋貿易で富をたくわえた エ 娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てて外戚となった)
発展
- 平将門の乱・藤原純友の乱が歴史上もった意味として正しいものはどれですか。 (ア 貴族が自ら戦い、貴族の力が強まった イ 乱をきっかけに律令制が完成した ウ 乱の結果、荘園がすべてなくなった エ 朝廷が武士の力で鎮圧し、武士の地位が高まった)
- 荘園の「寄進」とは何ですか。 (ア 農民が荒れ地を開墾して田にすること イ 天皇が手柄のあった貴族に新しい土地を与えること ウ 荘園を貴族や寺社にゆずり、保護を受けること エ 国が農民に口分田として土地を与えること)
- 平安時代の次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 白河上皇が院政を始めた イ 菅原道真の提案で遣唐使が停止された ウ 平治の乱で平清盛が源義朝を破った (ア ウ → イ → ア イ イ → ウ → ア ウ ウ → ア → イ エ イ → ア → ウ)
- 平安時代の荘園について、次の資料の流れから読み取れることとして正しいものはどれですか。 「地方の有力者が開いた土地 →(寄進)→ 都の有力な貴族や寺社。貴族や寺社の力で、税を納めない権利(不輸の権)と国司の役人を入れない権利(不入の権)が認められた。」 (ア 国司の力が強まり、荘園からとれる税で朝廷の収入が大きく増えた イ 有力者は土地をすべて失い、貴族や寺社の奴隷として働くようになった ウ 有力者は国司の税の取り立てを免れ、貴族や寺社は収入を増やした エ 貴族や寺社は荘園を国に返し、公地公民の原則がふたたび強まった)
平安時代 ── 解答
基礎
- エ 空海 源氏物語=紫式部、枕草子=清少納言、古今和歌集・土佐日記=紀貫之、平等院鳳凰堂=藤原頼通(道長の子)、天台宗=最澄、真言宗=空海。
- ウ 天皇が成人したあとに天皇を補佐する役職 摂政(幼少)・関白(成人)を藤原氏が独占したのが摂関政治。1086 年白河上皇から院政。不輸・不入の権で荘園が国の支配から離れた。
- エ 桓武天皇 奈良の仏教勢力や貴族の争いから離れ政治を立て直すため。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じた。
- ウ 娘を天皇のきさきにし、摂政や関白になった 摂関政治。11 世紀前半の藤原道長・頼通のときが全盛。生まれた子を天皇に立て、その外戚として権力をにぎった。
- イ 藤原道長 娘 4 人を天皇のきさきにし、摂関政治の全盛を築いた。
- エ 遣唐使が停止され、日本の風土に合った文化が育った 894 年、菅原道真の提案で停止。907 年に唐が滅びる。仮名文字の発達で女性文学が開花。
標準
- エ 藤原道長の全盛 794 平安京 → 894 遣唐使停止 → 11 世紀前半 道長 → 1086 院政 → 1167 清盛太政大臣。
- ウ 念仏を唱え、極楽浄土に生まれ変わることを願った 1052 年から末法の世に入るとされた。平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂は阿弥陀堂。空也・源信が広めた。末法思想が広まる中、阿弥陀仏を信じた。
- ウ 寝殿造 白木づくりで庭に池を配置。書院造は室町、校倉造は正倉院。
- エ 上皇が武士を用いて、武士が中央に進出した 1086 年白河上皇。僧兵の圧力への対抗や天皇家内部の争い(保元・平治の乱)で源氏・平氏が活躍。実権は摂関家から上皇に移った。
- イ 武士として初めて太政大臣となり、日宋貿易を行った 1167 年太政大臣。藤原氏と同じ外戚の手法。宋銭が流入。厳島神社を信仰。一族の独占が反発を招き源氏の挙兵へ。娘を天皇のきさきにし、大輪田泊を整えた。
- イ 唐で学び、山奥で厳しい修行をする仏教 天台宗(比叡山)・真言宗(高野山)。貴族に広まった。
- ウ 905 年に紀貫之らが編集した最初の勅撰和歌集 勅撰=天皇の命令で編集。万葉集は奈良、新古今は鎌倉。
- ウ 菅原道真 唐の衰えと航海の危険を理由に。道真はのちに藤原氏により大宰府へ左遷された。
- イ 感情を表しやすくなり、女性の文学が発達した 源氏物語(紫式部)・枕草子(清少納言)。かたかなは漢字の一部、ひらがなは漢字をくずしたもの。
- エ 娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立てて外戚となった 藤原氏は娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に立て、天皇の母方の祖父(外戚)として摂政・関白の地位についた。院政は白河上皇、太政大臣と日宋貿易は平清盛。
発展
- エ 朝廷が武士の力で鎮圧し、武士の地位が高まった 935〜941 年。以後、源氏・平氏が武士団の棟梁として成長。前九年・後三年合戦で源氏が東国に基盤。
- ウ 荘園を貴族や寺社にゆずり、保護を受けること 不輸・不入の権を得るため。藤原氏の経済的基盤になった。地方の有力者が藤原氏などに名義上ゆずり、実際の支配は続けた。
- エ イ → ア → ウ ア(白河上皇が院政を始めた)は 1086 年、イ(菅原道真の提案で遣唐使が停止された)は 894 年、ウ(平治の乱で平清盛が源義朝を破った)は 1159 年。古い順に イ → ア → ウ。
- ウ 有力者は国司の税の取り立てを免れ、貴族や寺社は収入を増やした 寄進した有力者は荘園の管理を続けながら、不輸・不入の権によって国司の介入や税を免れた。受け取った貴族・寺社は年貢の一部を得た。荘園が増えるほど国(公領)の税収は減った。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koko/social/h-03/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。