明治維新と近代国家 ── 問題
基礎
- 殖産興業の内容として正しいものはどれですか。 (ア 官営模範工場(富岡製糸場)や鉄道・郵便など近代産業を国が育てた イ 満 20 歳以上の男子に兵役の義務を課した ウ 藩主が土地と人民を天皇に返した エ 藩を廃止して府・県を置き、中央から府知事・県令を派遣した)
- 1868 年に新政府が出した、公議世論の尊重や開国和親など政治の基本方針を示したものはどれですか。 (ア 教育勅語 イ 五箇条の御誓文 ウ 五榜の掲示 エ 大日本帝国憲法)
- 地租改正の目的として正しいものはどれですか。 (ア 農民の税の負担を大きく軽くする イ 現金で税を集め、政府の財政を安定させる ウ 土地をすべて国のものにする エ 米の生産量を大きく増やす)
- 1872 年に群馬県につくられた官営模範工場はどれですか。 (ア 八幡製鉄所 イ 長崎造船所 ウ 富岡製糸場 エ 大阪紡績会社)
- 1877 年に鹿児島の士族が西郷隆盛を中心に起こした、最大で最後の士族の反乱を何といいますか。 (ア 戊辰戦争 イ 秩父事件 ウ 佐賀の乱 エ 西南戦争)
- 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という言葉で始まる書物と、その著者の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア 『東海道中膝栗毛』十返舎一九 イ 『解体新書』杉田玄白 ウ 『学問のすゝめ』福沢諭吉 エ 『社会契約論』中江兆民)
標準
- 中江兆民の業績として正しいものはどれですか。 (ア ルソーの『社会契約論』を翻訳し「東洋のルソー」と呼ばれた イ 立憲改進党を結成した(イギリス流の議会政治) ウ 西南戦争を起こして敗れた エ 『学問のすゝめ』を書き、文明開化をすすめた)
- 次の出来事を古い順に並べたとき、2 番目になるものはどれですか。【廃藩置県/西南戦争/内閣制度の創設/大日本帝国憲法の発布/第 1 回帝国議会】 (ア 内閣制度の創設 イ 第 1 回帝国議会 ウ 西南戦争 エ 廃藩置県)
- 大日本帝国憲法の特色として正しいものはどれですか。 (ア 天皇は象徴で、政治的権限をもたなかった イ 国民が主権をもち、イギリスの憲法を手本とした ウ 国民の権利は永久不可侵とされた エ 天皇が主権をもち、ドイツの憲法を手本とした)
- 1890 年の第 1 回衆議院議員総選挙で選挙権をもった人の条件はどれですか。 (ア 直接国税 15 円以上を納める満 25 歳以上の男子 イ 直接国税 15 円以上を納める満 20 歳以上の男女 ウ 満 20 歳以上のすべての男女 エ 満 25 歳以上のすべての男子)
- 1875 年の樺太・千島交換条約の内容はどれですか。 (ア 樺太を日本領、千島をロシア領とした イ 樺太をロシア領、千島全島を日本領とした ウ 北海道をロシアにゆずった エ 樺太と千島を日露の共同の領土とした)
- 1876 年の日朝修好条規の性格として正しいものはどれですか。 (ア 日本と朝鮮が対等な立場で話し合って結んだ条約 イ 日本が朝鮮に不平等な内容を押しつけた条約 ウ 朝鮮が日本に不平等を押しつけた条約 エ 清と朝鮮が結んだ条約)
- 岩倉使節団(1871〜73 年)の主な目的と結果はどれですか。 (ア ロシアとの国境を定めるために派遣された イ 朝鮮と国交を結ぶために送られた ウ 清と戦争をするために派遣された エ 条約改正の交渉は失敗し、欧米を視察した)
- 地租改正では、土地の所有者が地価の 3% を地租として現金で納めた(1873 年の決まり)。地価 2000 円の土地の地租は何円ですか。
- 明治時代初めの次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 廃藩置県が行われた イ 西南戦争が起きた ウ 五箇条の御誓文が出された (ア イ → ウ → ア イ ア → イ → ウ ウ イ → ア → ウ エ ウ → ア → イ)
- 次の史料は 1868 年に新政府が出した方針の一部(原文)である。この方針の内容として正しいものはどれですか。 「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」 (ア 外国との交流をやめ、日本古来の学問だけを学ぶようにする イ 藩主が土地と人民を天皇に返し、藩を廃止する ウ 政治は将軍が決め、会議や世論は取り入れない エ 会議を開いて世論で政治を決め、知識を世界に学ぶ)
発展
- 自由民権運動が 1880 年代半ばに衰えた理由として正しいものはどれですか。 (ア 西南戦争で政府に勝利したから イ 国会がすぐに開かれ、目的を果たしたから ウ 激化事件が起こり、政府の弾圧と分裂が進んだから エ 憲法が国民主権で、不満がなくなったから)
- 1879 年に琉球藩を廃止して沖縄県を置いたことを何といいますか。 (ア 廃藩置県 イ 開拓使の設置 ウ 琉球処分 エ 版籍奉還)
- 自由民権運動から立憲国家の成立までの次の出来事を、古い順に並べたものはどれですか。 ア 大隈重信が立憲改進党をつくった イ 民撰議院設立建白書が出された ウ 秩父事件が起きた (ア イ → ア → ウ イ ウ → イ → ア ウ ア → ウ → イ エ ア → イ → ウ)
- 次の史料は大日本帝国憲法の条文の一部(原文)である。史料から読み取れることとして正しいものはどれですか。 「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 「第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」 (ア 主権は天皇にあり、国民の自由は法律の範囲内で認められた イ 主権は議会にあり、天皇は政治に関わらない象徴とされた ウ 主権は天皇にあり、国民には言論や集会の自由がなかった エ 主権は国民にあり、国民の自由は法律でも制限できなかった)
明治維新と近代国家 ── 解答
基礎
- ア 官営模範工場(富岡製糸場)や鉄道・郵便など近代産業を国が育てた 中央集権(版籍奉還 → 廃藩置県)、近代国家の土台(学制・徴兵令・地租改正)、経済(殖産興業)。地租改正は政府の収入を米価に左右されない現金収入にするのが目的。
- イ 五箇条の御誓文 天皇が神に誓う形で示した。五榜の掲示は民衆向けの禁止事項(キリスト教禁止の継続など)。
- イ 現金で税を集め、政府の財政を安定させる 地価の 3% を現金で。負担は江戸時代と変わらず反対一揆が起こり、1877 年に 2.5% へ引き下げ。米価に左右されない税収を確保した。
- ウ 富岡製糸場 フランスの技術で生糸を生産。殖産興業の代表。八幡製鉄所は 1901 年。世界遺産。
- エ 西南戦争 徴兵制の政府軍が勝利。以後、政府への批判は武力から言論(自由民権運動)へ。
- ウ 『学問のすゝめ』福沢諭吉 福沢諭吉は『学問のすゝめ』で人間の平等と学問の大切さを説いた。中江兆民はルソーの『社会契約論』を翻訳し「東洋のルソー」と呼ばれた。
標準
- ア ルソーの『社会契約論』を翻訳し「東洋のルソー」と呼ばれた 板垣=自由党(フランス流)、大隈=立憲改進党(イギリス流)、伊藤=憲法・内閣、福沢=学問のすゝめ、中江=社会契約論、西郷=西南戦争。
- ウ 西南戦争 1871 廃藩置県 → 1874 建白書 → 1877 西南戦争 → 1881 国会開設の勅諭 → 1885 内閣制度 → 1889 憲法 → 1890 帝国議会。
- エ 天皇が主権をもち、ドイツの憲法を手本とした 1889 年 2 月 11 日発布。天皇が定めて与える欽定憲法。帝国議会は貴族院と衆議院。国民の権利は法律の範囲内で認められた。
- ア 直接国税 15 円以上を納める満 25 歳以上の男子 有権者は人口の約 1.1%。男子普通選挙は 1925 年、女性参政権は 1945 年。
- イ 樺太をロシア領、千島全島を日本領とした 国境を確定。北方領土問題の歴史的な出発点の一つ。
- イ 日本が朝鮮に不平等な内容を押しつけた条約 欧米から不平等条約を押しつけられていた日本が、同じ形を朝鮮に。日清修好条規(1871)は対等。江華島事件がきっかけ。
- エ 条約改正の交渉は失敗し、欧米を視察した 岩倉具視・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文ら。津田梅子などの女子留学生も同行。交渉は不平等条約改正の予備交渉。欧米の制度や文化を学んで帰国した。
- 60 地租 = 地価 × 3% = 2000 × 3% = 60 円。収穫高ではなく地価で決めて現金で納めさせたので、政府の収入は米の値段や豊作・不作に左右されなくなった。各地の反対一揆を受け、1877 年に 2.5% に下げた。
- エ ウ → ア → イ ア(廃藩置県が行われた)は 1871 年、イ(西南戦争が起きた)は 1877 年、ウ(五箇条の御誓文が出された)は 1868 年。古い順に ウ → ア → イ。
- エ 会議を開いて世論で政治を決め、知識を世界に学ぶ 五箇条の御誓文。「広く会議を開き、政治は世論で決める」「知識を世界に求める」など、新政府の基本方針を示した。藩主が土地と人民を返したのは 1869 年の版籍奉還。
発展
- ウ 激化事件が起こり、政府の弾圧と分裂が進んだから 松方財政の不況で農民が困窮し、自由党員と結んだ激化事件が相次いだ。自由党は解党。激化事件の例は秩父事件。
- ウ 琉球処分 琉球は清にも朝貢していたため清が抗議した。同時期に北海道では開拓使・屯田兵による開拓が進んだ。
- ア イ → ア → ウ ア(大隈重信が立憲改進党をつくった)は 1882 年、イ(民撰議院設立建白書が出された)は 1874 年、ウ(秩父事件が起きた)は 1884 年。古い順に イ → ア → ウ。
- ア 主権は天皇にあり、国民の自由は法律の範囲内で認められた 第一条で天皇が国を治めると定め、主権は天皇にあった。国民は「臣民」とされ、言論・集会などの自由は「法律ノ範囲内」で認められた(法律で制限できた)。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koko/social/h-08/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。