要旨把握(筆者の主張を一文で) ── 問題
基礎
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 科学は真理の倉庫だと思われがちである。教科書に並ぶ法則は動かしがたい事実として教えられ、私たちはそれを暗記する。しかし科学の歴史をたどると、そこにあるのは確定した答えの積み重ねではなく、より良い説明への絶え間ない置き換えである。天動説は地動説に、ニュートン力学は相対性理論に、それぞれ「間違っていたから捨てられた」のではない。前の説明では届かなかった現象に届く、より広い説明が現れたから、古い説明はその適用範囲を限定されたのである。 ここで大切なのは、科学の強さが「正しいこと」にあるのではなく、「間違いを見つける手続きを備えていること」にある、という点だ。どんな仮説も、観察によって否定される可能性を残していなければならない。否定されようのない主張は、どれほどもっともらしく聞こえても科学の外にある。 だから科学を学ぶとは、結論を覚えることではなく、その結論がどのような手続きで支えられ、どのような観察が出れば揺らぐのかを知ることである。答えを信じる態度ではなく、答えを疑い続ける態度こそが、科学を科学たらしめている。 筆者は「否定されようのない主張」についてどのように述べているか。 (ア もっともらしく聞こえても、科学の外にある。 イ 古い理論が新しい理論に置き換わる典型である。 ウ 将来の観察によって、いずれ確かめられる。 エ 最も信頼できるので、科学の中心に置かれる。 undefined 教科書に載せて暗記すべき法則の条件である。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 効率という言葉が職場を覆って久しい。会議は短く、手順は標準化され、無駄と見なされた時間は次々と削られていく。それ自体を否定するつもりはない。同じ成果をより少ない労力で出せるなら、その分だけ人は疲れずにすむ。 しかし、削ってよい無駄と、削ってはならない余白とは、外から見ると区別がつかない。廊下での立ち話、資料を眺めるだけの午後、答えの出ない問いを抱えた通勤時間。こうした時間は、その場では何も生み出していないように見える。だが新しい着想の多くは、こうした「何もしていない時間」に、別々の場所で拾った断片が結びつくことで生まれている。 効率化が行き着く先は、決まった答えを速く出す組織である。それは既知の問題を処理するには強いが、問題そのものが変わったときには弱い。余白を削り切った組織は、変化に気づく余裕までも削ってしまっているからだ。 問われるべきは「どれだけ削れるか」ではなく、「何を残すか」である。余白は怠慢の言い訳ではなく、変化に備えるための投資として、意識して確保されなければならない。 筆者が「余白」の例として挙げているものはどれか。 (ア 短時間で切り上げられる会議の進行 イ 決まった答えを速く出す仕組み ウ 誰がやっても同じになる標準手順 エ 外から見て明らかに無駄と分かる時間 undefined 答えの出ない問いを抱えた通勤時間)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 効率という言葉が職場を覆って久しい。会議は短く、手順は標準化され、無駄と見なされた時間は次々と削られていく。それ自体を否定するつもりはない。同じ成果をより少ない労力で出せるなら、その分だけ人は疲れずにすむ。 しかし、削ってよい無駄と、削ってはならない余白とは、外から見ると区別がつかない。廊下での立ち話、資料を眺めるだけの午後、答えの出ない問いを抱えた通勤時間。こうした時間は、その場では何も生み出していないように見える。だが新しい着想の多くは、こうした「何もしていない時間」に、別々の場所で拾った断片が結びつくことで生まれている。 効率化が行き着く先は、決まった答えを速く出す組織である。それは既知の問題を処理するには強いが、問題そのものが変わったときには弱い。余白を削り切った組織は、変化に気づく余裕までも削ってしまっているからだ。 問われるべきは「どれだけ削れるか」ではなく、「何を残すか」である。余白は怠慢の言い訳ではなく、変化に備えるための投資として、意識して確保されなければならない。 この文章の表題として最も適切なものはどれか。 (ア 無駄を見抜く管理者の目 イ 何を削るかより何を残すか ウ 会議を短くする技術 エ 既知の問題を速く解く組織づくり undefined 職場の人間関係と雑談の効用)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「なんとなく」「微妙」「ヤバい」。こうした語が便利なのは、言いたいことを細かく決めなくても会話が成り立つからである。相手も同じ曖昧さで受け取ってくれるので、その場のやりとりは滞りなく進む。 けれども、言葉は伝達の道具であるだけでなく、思考の道具でもある。私たちは頭の中に完成した考えがあってそれを言葉に写すのではない。言葉を選び、並べる過程で、はじめて自分が何を考えていたのかを知る。だとすれば、曖昧な語で済ませるということは、伝達を省くだけでなく、考えることそのものを省くことになる。 「微妙」と言った瞬間、それが「期待より小さい」のか「方向が違う」のか「理由は言えないが嫌だ」のか、区別する作業は打ち切られる。区別されなかった違いは、本人の中でも存在しなかったことになる。 だから、言葉を正確に使おうとする努力は、他人のためだけのものではない。自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせるための営みである。曖昧な語を一つ言い換えるたびに、思考は一段階細かくなる。 筆者が「言葉は思考の道具でもある」と述べる根拠はどれか。 (ア 曖昧な語のほうがかえって相手に伝わりやすいから。 イ 会話では相手も同じ曖昧さで受け取ってくれるから。 ウ 語彙が豊かな人ほど社会の中で高く評価されるから。 エ 頭の中の考えは言葉にしなくても完成しているから。 undefined 言葉を選び並べる中で自分の考えを知るから。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「地図アプリを使うようになってから、道を覚えなくなった」という声をよく聞く。目的地を打ち込めば矢印が導いてくれるのだから、周囲の建物や曲がり角を記憶に刻む必要はない。これを「能力の退化」と嘆く人がいる。だが、道を覚える能力そのものに価値があったのかを、一度問い直してみたい。私たちは失われたものを数えるとき、それが何のためにあったのかを忘れがちである。 かつて道を覚えたのは、覚えなければ迷ったからである。つまりそれは、目的のための手段であって、目的そのものではなかった。手段が別の手段に置き換わったとき、古い手段が衰えるのは当然で、そこに嘆くべきものは本来ない。文字が生まれたとき、口伝えで長い物語を記憶する力は衰えたが、私たちはそれを退化とは呼ばない。 問題があるとすれば、別のところにある。矢印に従って歩く間、私たちは周囲を見ていない。道を覚えないこと自体ではなく、道を覚えようとしない間に、街を見る目まで手放していることのほうが、失ったものとしては大きい。 だから、道具に手放してよいものと、道具に手放してはならないものとを分けて考える必要がある。記憶は手放してよい。しかし、目の前の世界に注意を向ける習慣は、どんな道具にも預けてはならない。 「問題があるとすれば、別のところにある」の「別のところ」の内容として最も妥当なものはどれか。 (ア 道を覚える能力が、地図アプリを使ううちに少しずつ衰えていくこと。 イ 矢印に従って歩く間に、周囲の街を見る目まで手放してしまっていること。 ウ 口伝えで長い物語を記憶する力が、文字の発明によって失われたこと。 エ 古い手段が新しい手段に置き換わると、古い手段が使われなくなること。 undefined 目的地を打ち込む手間がかかり、歩き出すまでに時間を取られること。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「わかりやすい説明」が何よりも求められる時代である。長い文章は敬遠され、要点は三つに絞られ、図解が添えられる。伝える側の努力として、それは正しい。受け手の時間を奪わない工夫を、怠慢と呼ぶことはできない。 しかし、わかりやすさには代償がある。ものごとを三つに絞るとは、四つ目以降を捨てることであり、図にするとは、図にならない部分を消すことである。その捨てられた部分にこそ、事柄の込み入った実態が宿っていることが少なくない。わかりやすい説明を受け取った人は「わかった」という感覚を手にするが、その感覚は、削られたものの存在を知らないままの「わかった」である。 厄介なのは、この感覚が心地よいことだ。わかりにくいものに出会うと、私たちは説明の側に不備があると感じ、自分の側で理解の努力をする前に離れてしまう。世界にはもともとわかりにくいものがあり、それをわかりにくいまま受け止める力は、わかりやすい説明ばかりに触れているうちに、静かに弱っていく。説明の技術が進むほど受け手の側の体力は落ちる、という皮肉がここにある。 求められているのは、わかりやすさを捨てることではない。わかりやすい説明を受け取るとき、そこから何が削られたのかを問う姿勢を、受け手の側が持つことである。 「厄介なのは、この感覚が心地よいことだ」の「この感覚」が指す内容として最も妥当なものはどれか。 (ア 長い文章を最後まで読み通したときに得られる達成感。 イ 要点を三つに絞って相手に伝えられたときの、伝える側の満足感。 ウ 削られたものの存在を知らないままに得られる「わかった」という感覚。 エ わかりにくいものに出会ったときに感じる、説明の側への苛立ち。 undefined わかりにくいものをわかりにくいまま受け止められたときの手ごたえ。)
標準
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 科学は真理の倉庫だと思われがちである。教科書に並ぶ法則は動かしがたい事実として教えられ、私たちはそれを暗記する。しかし科学の歴史をたどると、そこにあるのは確定した答えの積み重ねではなく、より良い説明への絶え間ない置き換えである。天動説は地動説に、ニュートン力学は相対性理論に、それぞれ「間違っていたから捨てられた」のではない。前の説明では届かなかった現象に届く、より広い説明が現れたから、古い説明はその適用範囲を限定されたのである。 ここで大切なのは、科学の強さが「正しいこと」にあるのではなく、「間違いを見つける手続きを備えていること」にある、という点だ。どんな仮説も、観察によって否定される可能性を残していなければならない。否定されようのない主張は、どれほどもっともらしく聞こえても科学の外にある。 だから科学を学ぶとは、結論を覚えることではなく、その結論がどのような手続きで支えられ、どのような観察が出れば揺らぐのかを知ることである。答えを信じる態度ではなく、答えを疑い続ける態度こそが、科学を科学たらしめている。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 科学の法則は歴史の中で次々と誤りだと判明してきたのだから、教科書に載っている内容をそのまま信じるべきではない。 イ 天動説から地動説への転換に見られるように、新しい理論は古い理論を完全に否定したうえで置き換わるものである。 ウ 科学の本質は結論の正しさではなく仮説を否定できる手続きにあり、学ぶとはその手続きを知ることである。 エ 否定されようのない主張ほど確実であるから、科学はそのような揺るがない主張を目指すべきである。 undefined 科学の強さは、長い年月をかけて確定した答えを蓄積し、それを教科書として伝えてきたことにある。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 効率という言葉が職場を覆って久しい。会議は短く、手順は標準化され、無駄と見なされた時間は次々と削られていく。それ自体を否定するつもりはない。同じ成果をより少ない労力で出せるなら、その分だけ人は疲れずにすむ。 しかし、削ってよい無駄と、削ってはならない余白とは、外から見ると区別がつかない。廊下での立ち話、資料を眺めるだけの午後、答えの出ない問いを抱えた通勤時間。こうした時間は、その場では何も生み出していないように見える。だが新しい着想の多くは、こうした「何もしていない時間」に、別々の場所で拾った断片が結びつくことで生まれている。 効率化が行き着く先は、決まった答えを速く出す組織である。それは既知の問題を処理するには強いが、問題そのものが変わったときには弱い。余白を削り切った組織は、変化に気づく余裕までも削ってしまっているからだ。 問われるべきは「どれだけ削れるか」ではなく、「何を残すか」である。余白は怠慢の言い訳ではなく、変化に備えるための投資として、意識して確保されなければならない。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 廊下での立ち話や資料を眺める時間は無駄であり、こうした時間を削ることで組織は変化に強くなる。 イ 余白の確保は個人の怠慢を正当化するものであるから、組織はその使い方を厳しく管理すべきである。 ウ 既知の問題を速く処理できる組織こそが理想であり、余白はそのための手段として位置づけられる。 エ 着想を生み変化に気づくための余白は無駄と区別しにくいからこそ、意識して残す必要がある。 undefined 効率化は労働者を疲れさせるだけなので、職場から効率という考え方を取り除くべきである。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「なんとなく」「微妙」「ヤバい」。こうした語が便利なのは、言いたいことを細かく決めなくても会話が成り立つからである。相手も同じ曖昧さで受け取ってくれるので、その場のやりとりは滞りなく進む。 けれども、言葉は伝達の道具であるだけでなく、思考の道具でもある。私たちは頭の中に完成した考えがあってそれを言葉に写すのではない。言葉を選び、並べる過程で、はじめて自分が何を考えていたのかを知る。だとすれば、曖昧な語で済ませるということは、伝達を省くだけでなく、考えることそのものを省くことになる。 「微妙」と言った瞬間、それが「期待より小さい」のか「方向が違う」のか「理由は言えないが嫌だ」のか、区別する作業は打ち切られる。区別されなかった違いは、本人の中でも存在しなかったことになる。 だから、言葉を正確に使おうとする努力は、他人のためだけのものではない。自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせるための営みである。曖昧な語を一つ言い換えるたびに、思考は一段階細かくなる。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 言葉は伝達の道具にすぎないのだから、相手に通じさえすれば曖昧な語をいくら使っても何の問題もない。 イ 「微妙」「ヤバい」のような若者言葉は日本語の伝統を乱すものであり、学校教育を通じて使用をやめさせるべきである。 ウ 曖昧な語は会話を円滑にする利点があるため、正確な言葉づかいよりも優先されるべきである。 エ 人は頭の中で完成した考えを言葉に写すものであるから、語彙が豊かなほど正確に伝えられる。 undefined 曖昧な語で済ませることは考えることを省くことであり、正確な言葉づかいは自分の思考をはっきりさせる営みである。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「なんとなく」「微妙」「ヤバい」。こうした語が便利なのは、言いたいことを細かく決めなくても会話が成り立つからである。相手も同じ曖昧さで受け取ってくれるので、その場のやりとりは滞りなく進む。 けれども、言葉は伝達の道具であるだけでなく、思考の道具でもある。私たちは頭の中に完成した考えがあってそれを言葉に写すのではない。言葉を選び、並べる過程で、はじめて自分が何を考えていたのかを知る。だとすれば、曖昧な語で済ませるということは、伝達を省くだけでなく、考えることそのものを省くことになる。 「微妙」と言った瞬間、それが「期待より小さい」のか「方向が違う」のか「理由は言えないが嫌だ」のか、区別する作業は打ち切られる。区別されなかった違いは、本人の中でも存在しなかったことになる。 だから、言葉を正確に使おうとする努力は、他人のためだけのものではない。自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせるための営みである。曖昧な語を一つ言い換えるたびに、思考は一段階細かくなる。 「区別されなかった違いは、本人の中でも存在しなかったことになる」とはどういうことか。 (ア 一度言葉にした違いは、あとから取り消せないということ。 イ 違いを区別しても、相手が理解しなければ意味がないということ。 ウ 他人に伝えなかった違いは、社会の中では認められないままになるということ。 エ 曖昧な語を使う人は、もともと細かい違いを感じ取れないということ。 undefined 言葉で区別しなければ、自分でもその違いを意識できないということ。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 伝統は守るものだと言われる。だが「守る」という言葉は、伝統を博物館のガラスケースに入れて変化から遠ざける態度を連想させる。実際に長く続いてきたものを調べると、事情はむしろ逆である。 ある地方の祭りは、かつては米の収穫を祝う行事だったが、農家が減った今は地域の若者が帰ってくる日として意味を変え、演目にも新しいものが加わっている。古い型を一字一句変えずに続けていたなら、担い手を失ってとうに途絶えていただろう。伝統が続いているのは、その時代の人々が「これは自分たちのものだ」と感じられる形に、少しずつ作り替えてきたからである。 もちろん、何でも変えてよいわけではない。変えてしまえばそれではなくなってしまう核と、時代に合わせて変えてよい部分とを見分ける目が要る。その見分けこそが、受け継ぐ者の仕事である。 伝統とは、過去から届いた完成品ではなく、現在の人間が引き受け続けている進行形の営みなのだ。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 伝統は時代に合わせて何でも自由に変えてよく、古い型にこだわる必要はまったくない。 イ 伝統が続いてきたのは各時代の人々が核を見分けつつ作り替えてきたからであり、伝統は進行形の営みである。 ウ 農家が減ったことで地方の祭りは本来の意味を失い、伝統として途絶えつつある。 エ 伝統は過去から届いた完成品であるから、博物館のような場所で保存することが最も確実な継承の方法である。 undefined 伝統は変えずに守ることにこそ価値があるので、祭りの演目に新しいものを安易に加えるべきではない。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 伝統は守るものだと言われる。だが「守る」という言葉は、伝統を博物館のガラスケースに入れて変化から遠ざける態度を連想させる。実際に長く続いてきたものを調べると、事情はむしろ逆である。 ある地方の祭りは、かつては米の収穫を祝う行事だったが、農家が減った今は地域の若者が帰ってくる日として意味を変え、演目にも新しいものが加わっている。古い型を一字一句変えずに続けていたなら、担い手を失ってとうに途絶えていただろう。伝統が続いているのは、その時代の人々が「これは自分たちのものだ」と感じられる形に、少しずつ作り替えてきたからである。 もちろん、何でも変えてよいわけではない。変えてしまえばそれではなくなってしまう核と、時代に合わせて変えてよい部分とを見分ける目が要る。その見分けこそが、受け継ぐ者の仕事である。 伝統とは、過去から届いた完成品ではなく、現在の人間が引き受け続けている進行形の営みなのだ。 本文で「ある地方の祭り」の例が果たしている役割として最も妥当なものはどれか。 (ア 伝統が安易な変化によって失われてしまった失敗例を示している。 イ 農業の衰退が地方の文化に与えた悪影響を具体的に告発している。 ウ 伝統を守るには行政の支援が必要だと示している。 エ 伝統は形を変えながら続いてきたという主張を裏づけている。 undefined 若者が伝統に無関心であることを示している。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「地図アプリを使うようになってから、道を覚えなくなった」という声をよく聞く。目的地を打ち込めば矢印が導いてくれるのだから、周囲の建物や曲がり角を記憶に刻む必要はない。これを「能力の退化」と嘆く人がいる。だが、道を覚える能力そのものに価値があったのかを、一度問い直してみたい。私たちは失われたものを数えるとき、それが何のためにあったのかを忘れがちである。 かつて道を覚えたのは、覚えなければ迷ったからである。つまりそれは、目的のための手段であって、目的そのものではなかった。手段が別の手段に置き換わったとき、古い手段が衰えるのは当然で、そこに嘆くべきものは本来ない。文字が生まれたとき、口伝えで長い物語を記憶する力は衰えたが、私たちはそれを退化とは呼ばない。 問題があるとすれば、別のところにある。矢印に従って歩く間、私たちは周囲を見ていない。道を覚えないこと自体ではなく、道を覚えようとしない間に、街を見る目まで手放していることのほうが、失ったものとしては大きい。 だから、道具に手放してよいものと、道具に手放してはならないものとを分けて考える必要がある。記憶は手放してよい。しかし、目の前の世界に注意を向ける習慣は、どんな道具にも預けてはならない。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 文字が生まれたときに口伝えの記憶力が衰えたように、古い手段は新しい手段に置き換わって衰えていくものである。 イ 地図アプリの矢印は周囲の建物を表示しないので、街並みを見ながら歩ける機能を加えることが求められている。 ウ 道を覚える能力は目的そのものであり、その衰えは文字の発明が記憶力を奪ったのと同じく文明の損失である。 エ 地図アプリは街を見る目を奪ってしまうので、道具に頼らず自分の力で道を覚える習慣を取り戻すべきである。 undefined 道具に任せてよい能力と手放してはならない注意の習慣とを分けて考えるべきで、道を覚えないこと自体は嘆くに値しない。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 待つことが苦手になった。動画は数秒で始まらなければ閉じられ、返信は一時間来ないだけで不安になる。技術が待ち時間を削ってきた結果、私たちは待つ練習をする機会を失った。待てないことは、いまや個人の性格ではなく、時代の性質になりつつある。 けれども、待つことには二つの種類がある。一つは、ただ時間が過ぎるのを耐える待ち方で、これは確かに短いほどよい。もう一つは、結果が自分の手を離れたあとで、それでも見守り続ける待ち方である。種をまいた後の畑、手紙を出した後の日々、子どもが自分で靴をはこうとしている数分間。ここで急かすことは、時間を節約するのではなく、相手の中で進んでいる何かを打ち切ることになる。 前者の待ち時間を削る技術が、後者の待つ力まで削ってしまっているのではないか、というのが私の心配である。すぐに結果が出ないものを「遅い」と感じる感覚は、待たされることに慣れなくなった身体が作ったものだ。その感覚が畑や手紙や子どもに向けられたとき、相手の時間は奪われる。 待つ力は、何もしない力ではない。結果を急がずに、相手の時間を相手のものとして認める力である。それは技術が代わりに引き受けてくれるものではないから、意識して手元に残しておかなければならない。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア 子どもが自分で靴をはけるようになるためには、親が手を出さずに何分でも待ち続ける必要がある。 イ 待つことはどれも時間の浪費であり、技術によって待ち時間が短くなったことは素直に歓迎すべきである。 ウ 待つことは人間にとって欠かせない訓練なので、動画や返信の待ち時間をあえて長くする仕組みが要る。 エ 待ち時間を削る技術が相手の時間を認めて見守る力まで削っていないかを心配し、その力は意識して残すべきだと述べている。 undefined 待つことには耐える待ち方と見守る待ち方の二種類があり、前者の待ち時間は短ければ短いほどよい。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「わかりやすい説明」が何よりも求められる時代である。長い文章は敬遠され、要点は三つに絞られ、図解が添えられる。伝える側の努力として、それは正しい。受け手の時間を奪わない工夫を、怠慢と呼ぶことはできない。 しかし、わかりやすさには代償がある。ものごとを三つに絞るとは、四つ目以降を捨てることであり、図にするとは、図にならない部分を消すことである。その捨てられた部分にこそ、事柄の込み入った実態が宿っていることが少なくない。わかりやすい説明を受け取った人は「わかった」という感覚を手にするが、その感覚は、削られたものの存在を知らないままの「わかった」である。 厄介なのは、この感覚が心地よいことだ。わかりにくいものに出会うと、私たちは説明の側に不備があると感じ、自分の側で理解の努力をする前に離れてしまう。世界にはもともとわかりにくいものがあり、それをわかりにくいまま受け止める力は、わかりやすい説明ばかりに触れているうちに、静かに弱っていく。説明の技術が進むほど受け手の側の体力は落ちる、という皮肉がここにある。 求められているのは、わかりやすさを捨てることではない。わかりやすい説明を受け取るとき、そこから何が削られたのかを問う姿勢を、受け手の側が持つことである。 この文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (ア わかりにくい説明に出会ったときは伝える側に不備があるのだから、受け手が理解の努力をする必要はない。 イ 長い文章が敬遠される時代には、伝える側は図解の技術を磨いて受け手の時間を奪わないようにすべきである。 ウ わかりやすい説明には削られた部分があるので、受け手は説明を退けるのではなく、何が削られたかを問う姿勢を持つべきである。 エ わかりやすい説明は事柄の実態をゆがめてしまうので、伝える側は要点を絞ったり図解したりする工夫をやめるべきである。 undefined 要点を三つに絞ることは四つ目以降を捨てることであり、図解することは図にならない部分を消すことである。)
発展
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 科学は真理の倉庫だと思われがちである。教科書に並ぶ法則は動かしがたい事実として教えられ、私たちはそれを暗記する。しかし科学の歴史をたどると、そこにあるのは確定した答えの積み重ねではなく、より良い説明への絶え間ない置き換えである。天動説は地動説に、ニュートン力学は相対性理論に、それぞれ「間違っていたから捨てられた」のではない。前の説明では届かなかった現象に届く、より広い説明が現れたから、古い説明はその適用範囲を限定されたのである。 ここで大切なのは、科学の強さが「正しいこと」にあるのではなく、「間違いを見つける手続きを備えていること」にある、という点だ。どんな仮説も、観察によって否定される可能性を残していなければならない。否定されようのない主張は、どれほどもっともらしく聞こえても科学の外にある。 だから科学を学ぶとは、結論を覚えることではなく、その結論がどのような手続きで支えられ、どのような観察が出れば揺らぐのかを知ることである。答えを信じる態度ではなく、答えを疑い続ける態度こそが、科学を科学たらしめている。 この文章の論の進め方の説明として最も妥当なものはどれか。 (ア 世間の見方を示したうえで歴史の例からそれを修正し、科学の本質を定義して学び方の結論へ進めている。 イ 科学者の立場と一般の人々の立場の意見を対立させ、両者の妥協点を探る形で結論を導いている。 ウ 科学の具体的な法則を一つ取り上げて詳しく解説し、その正しさが歴史の中でどう証明されてきたかを示している。 エ 科学の限界を列挙して批判し、科学以外の知のあり方に価値があると主張している。 undefined 筆者自身の研究体験を時系列で語り、そこから得た教訓を読者に勧めている。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 「なんとなく」「微妙」「ヤバい」。こうした語が便利なのは、言いたいことを細かく決めなくても会話が成り立つからである。相手も同じ曖昧さで受け取ってくれるので、その場のやりとりは滞りなく進む。 けれども、言葉は伝達の道具であるだけでなく、思考の道具でもある。私たちは頭の中に完成した考えがあってそれを言葉に写すのではない。言葉を選び、並べる過程で、はじめて自分が何を考えていたのかを知る。だとすれば、曖昧な語で済ませるということは、伝達を省くだけでなく、考えることそのものを省くことになる。 「微妙」と言った瞬間、それが「期待より小さい」のか「方向が違う」のか「理由は言えないが嫌だ」のか、区別する作業は打ち切られる。区別されなかった違いは、本人の中でも存在しなかったことになる。 だから、言葉を正確に使おうとする努力は、他人のためだけのものではない。自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせるための営みである。曖昧な語を一つ言い換えるたびに、思考は一段階細かくなる。 筆者の主張を一文にまとめたものとして最も妥当なものはどれか。 (ア 曖昧な語は会話を円滑にするので、場面に応じて使い分けるべきである。 イ 若者の言葉づかいの乱れは、思考力の低下を示す社会問題である。 ウ 言葉の正確さは、他人に誤解を与えないために必要である。 エ 曖昧な語を言い換える努力は、自分の思考を細かくする営みである。 undefined 考えは言葉より先に頭の中で完成しており、語彙はそれを写す道具である。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 伝統は守るものだと言われる。だが「守る」という言葉は、伝統を博物館のガラスケースに入れて変化から遠ざける態度を連想させる。実際に長く続いてきたものを調べると、事情はむしろ逆である。 ある地方の祭りは、かつては米の収穫を祝う行事だったが、農家が減った今は地域の若者が帰ってくる日として意味を変え、演目にも新しいものが加わっている。古い型を一字一句変えずに続けていたなら、担い手を失ってとうに途絶えていただろう。伝統が続いているのは、その時代の人々が「これは自分たちのものだ」と感じられる形に、少しずつ作り替えてきたからである。 もちろん、何でも変えてよいわけではない。変えてしまえばそれではなくなってしまう核と、時代に合わせて変えてよい部分とを見分ける目が要る。その見分けこそが、受け継ぐ者の仕事である。 伝統とは、過去から届いた完成品ではなく、現在の人間が引き受け続けている進行形の営みなのだ。 筆者が「受け継ぐ者の仕事」と呼んでいるものはどれか。 (ア 担い手を増やすために地域の若者を集めること。 イ 変えてはならない核と変えてよい部分を見分けること。 ウ 伝統の由来を調べて博物館などに正確に記録として残すこと。 エ 古い型を一字一句変えることなく次の世代へ渡していくこと。 undefined 祭りの演目をできるだけ多く新しく作ること。)
- 次の文章を読んで、問いに答えなさい。 待つことが苦手になった。動画は数秒で始まらなければ閉じられ、返信は一時間来ないだけで不安になる。技術が待ち時間を削ってきた結果、私たちは待つ練習をする機会を失った。待てないことは、いまや個人の性格ではなく、時代の性質になりつつある。 けれども、待つことには二つの種類がある。一つは、ただ時間が過ぎるのを耐える待ち方で、これは確かに短いほどよい。もう一つは、結果が自分の手を離れたあとで、それでも見守り続ける待ち方である。種をまいた後の畑、手紙を出した後の日々、子どもが自分で靴をはこうとしている数分間。ここで急かすことは、時間を節約するのではなく、相手の中で進んでいる何かを打ち切ることになる。 前者の待ち時間を削る技術が、後者の待つ力まで削ってしまっているのではないか、というのが私の心配である。すぐに結果が出ないものを「遅い」と感じる感覚は、待たされることに慣れなくなった身体が作ったものだ。その感覚が畑や手紙や子どもに向けられたとき、相手の時間は奪われる。 待つ力は、何もしない力ではない。結果を急がずに、相手の時間を相手のものとして認める力である。それは技術が代わりに引き受けてくれるものではないから、意識して手元に残しておかなければならない。 「急かすことは、時間を節約するのではなく、相手の中で進んでいる何かを打ち切ることになる」の説明として最も妥当なものはどれか。 (ア 急かせば相手はより早く結果を出せるが、その分だけ出来上がりの質が下がってしまうということ。 イ 急かされた相手は反発して、それまで進めていた作業を自分から投げ出してしまうということ。 ウ 相手の中で進んでいる過程を、時間を節約するという名目で途中で止めてしまうということ。 エ 急かすことは自分の時間を無駄にするだけで、相手の側には何の影響も与えないということ。 undefined 待つ時間を削れば、相手の作業も含めた全体の時間が結果として短くなるということ。)
要旨把握(筆者の主張を一文で) ── 解答
基礎
- ア もっともらしく聞こえても、科学の外にある。 第 2 段落「否定されようのない主張は、どれほどもっともらしく聞こえても科学の外にある」がそのまま根拠。「最も信頼できる」「確かめられる」は逆。「古い理論」「教科書に載せて」はこの語について本文が述べていない無関係な内容。
- undefined 答えの出ない問いを抱えた通勤時間 第 2 段落「廊下での立ち話、資料を眺めるだけの午後、答えの出ない問いを抱えた通勤時間」が余白の例。「短い会議」「標準化」は効率化の例。「速く出す仕組み」は効率化の行き着く先。余白は「外から見ると区別がつかない」ので「明らかに無駄と分かる」は逆。
- イ 何を削るかより何を残すか 最終段落「問われるべきは『どれだけ削れるか』ではなく、『何を残すか』である」を表題化したもの。「会議を短くする」「速く解く組織」は筆者が距離を置く効率化の側。「無駄を見抜く」は本文が「区別がつかない」と述べる。「人間関係」は本文にない。
- undefined 言葉を選び並べる中で自分の考えを知るから。 第 2 段落「言葉を選び、並べる過程で、はじめて自分が何を考えていたのかを知る」が根拠。「完成している」は本文の否定した内容。「伝わりやすい」「同じ曖昧さで受け取る」は曖昧な語の便利さの説明であって思考の話ではない。「社会的に評価」は本文にない。
- イ 矢印に従って歩く間に、周囲の街を見る目まで手放してしまっていること。 直後の「矢印に従って歩く間、私たちは周囲を見ていない。道を覚えないこと自体ではなく…街を見る目まで手放していることのほうが、失ったものとしては大きい」が「別のところ」の中身。「道を覚える能力が衰える」は本文が「嘆くべきものは本来ない」と退けた側で、「別のところ」ではない。「口伝えの記憶力」「古い手段の置き換わり」は第 2 段落の例で、問題ではないと述べられている。「手間がかかる」は本文にない。
- ウ 削られたものの存在を知らないままに得られる「わかった」という感覚。 指示語は直前を探す。直前の文「その感覚は、削られたものの存在を知らないままの『わかった』である」がそのまま指す内容。「苛立ち」は「この感覚」の後に述べられる別の反応で、心地よいものではない。「伝える側の満足感」は本文が受け手の側の話をしているので主体が違う。「達成感」「手ごたえ」は本文にない。
標準
- ウ 科学の本質は結論の正しさではなく仮説を否定できる手続きにあり、学ぶとはその手続きを知ることである。 要旨は第 2 段落の「科学の強さが…『間違いを見つける手続きを備えていること』にある」と最終段落「疑い続ける態度こそが」。「信じるべきではない」は本文にない言い過ぎ(筆者は法則が誤りだったとは言っていない)。「完全に否定して」は「適用範囲を限定された」と食い違う。「確定した答えを蓄積」は第 1 段落で否定されている。「否定されようのない主張ほど確実」は「科学の外にある」の逆。
- エ 着想を生み変化に気づくための余白は無駄と区別しにくいからこそ、意識して残す必要がある。 最終段落「余白は怠慢の言い訳ではなく、変化に備えるための投資として、意識して確保されなければならない」が主張。「取り除くべき」は第 1 段落「それ自体を否定するつもりはない」と食い違う。「削ることで変化に強くなる」は第 3 段落と逆。「速く処理できる組織こそが理想」は「問題そのものが変わったときには弱い」と矛盾。「怠慢を正当化」は本文が明確に否定している。
- undefined 曖昧な語で済ませることは考えることを省くことであり、正確な言葉づかいは自分の思考をはっきりさせる営みである。 第 2 段落末「考えることそのものを省くことになる」と最終段落「自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせるための営み」が要旨。「日本語を乱す」「やめさせる」は本文にない。「伝達の道具にすぎない」は「思考の道具でもある」と食い違う。「完成した考えを言葉に写す」は本文が「のではない」と否定。「優先されるべき」は第 1 段落の利点を挙げただけで、結論はその逆。
- undefined 言葉で区別しなければ、自分でもその違いを意識できないということ。 直前の「区別する作業は打ち切られる」と、直後の「自分の考えの輪郭を、自分に対してはっきりさせる」から、言葉にしないと自分でも意識できない、という意味。「社会的には」「相手が理解しなければ」は他人の側の話で、本文は「自分に対して」と述べる。「もともと感じ取れない」は本文にない。「取り消せない」は無関係。
- イ 伝統が続いてきたのは各時代の人々が核を見分けつつ作り替えてきたからであり、伝統は進行形の営みである。 第 2 段落末「少しずつ作り替えてきたからである」、第 3 段落「核と…変えてよい部分とを見分ける目」、最終段落「進行形の営み」を合わせたもの。「変えずに守る」「完成品」「博物館で保存」は本文が「事情はむしろ逆」と退ける態度。「何でも自由に変えてよい」は「何でも変えてよいわけではない」と矛盾。「途絶えつつある」は本文の祭りは続いているので食い違う。
- エ 伝統は形を変えながら続いてきたという主張を裏づけている。 例の直後に「伝統が続いているのは…少しずつ作り替えてきたからである」とあり、例は主張の裏づけ。「失われた失敗例」は逆(続いている)。「告発」「無関心」(若者は帰ってくる)「行政の支援」は本文にない。
- undefined 道具に任せてよい能力と手放してはならない注意の習慣とを分けて考えるべきで、道を覚えないこと自体は嘆くに値しない。 最終段落「道具に手放してよいものと、道具に手放してはならないものとを分けて考える必要がある」が主張で、第 2 段落「そこに嘆くべきものは本来ない」がその前半。「道具に頼らず道を覚える習慣を」は「記憶は手放してよい」の逆。「目的そのもの」は「目的のための手段であって、目的そのものではなかった」の逆で、「文明の損失」は「退化とは呼ばない」と食い違う。「古い手段は…衰えていく」は第 2 段落の一部だけで主張ではない。「機能を加える」は本文にない。
- エ 待ち時間を削る技術が相手の時間を認めて見守る力まで削っていないかを心配し、その力は意識して残すべきだと述べている。 第 3 段落「前者の待ち時間を削る技術が、後者の待つ力まで削ってしまっているのではないか、というのが私の心配である」と最終段落「意識して手元に残しておかなければならない」が要旨。「待ち時間をあえて長くする」は本文にない言い過ぎ(耐える待ち方は「短いほどよい」)。「どれも時間の浪費」は二種類を分けた本文と逆。「二種類があり、前者は短いほどよい」は第 2 段落の一部で、主張ではない。「靴」は例の一つを取り出しただけ。
- ウ わかりやすい説明には削られた部分があるので、受け手は説明を退けるのではなく、何が削られたかを問う姿勢を持つべきである。 最終段落「求められているのは、わかりやすさを捨てることではない。…何が削られたのかを問う姿勢を、受け手の側が持つことである」が要旨。「工夫をやめるべき」は「わかりやすさを捨てることではない」の逆。「理解の努力をする必要はない」は第 3 段落で筆者が問題視している態度。「三つに絞る…消すことである」は第 2 段落の一部だけで、受け手の姿勢という主張がない。「図解の技術を磨く」は本文にない(伝える側の工夫は「正しい」と認めているが主張ではない)。
発展
- ア 世間の見方を示したうえで歴史の例からそれを修正し、科学の本質を定義して学び方の結論へ進めている。 第 1 段落冒頭「科学は真理の倉庫だと思われがちである」が通念、「しかし科学の歴史をたどると」が歴史の例による修正、第 2 段落「ここで大切なのは」が本質の定義、第 3 段落「だから科学を学ぶとは」が結論。「正しさを証明」「対立させ」「科学以外の知」「研究体験」は本文にない。
- エ 曖昧な語を言い換える努力は、自分の思考を細かくする営みである。 最終文「曖昧な語を一つ言い換えるたびに、思考は一段階細かくなる」がまとめ。「使い分けるべき」は本文にない。「他人に誤解を与えないため」は「他人のためだけのものではない」と食い違う(他人のためを否定はしていないが主張の中心ではない)。「言葉より先に完成」は本文が否定。「社会問題」は本文にない。
- イ 変えてはならない核と変えてよい部分を見分けること。 第 3 段落「変えてしまえばそれではなくなってしまう核と、時代に合わせて変えてよい部分とを見分ける目が要る。その見分けこそが、受け継ぐ者の仕事である」。「一字一句変えずに」は「途絶えていただろう」と言われる態度。「できるだけ多く新しく」は「何でも変えてよいわけではない」に反する。「博物館」「若者を集める」は本文の仕事の定義ではない。
- ウ 相手の中で進んでいる過程を、時間を節約するという名目で途中で止めてしまうということ。 直前の「結果が自分の手を離れたあとで、それでも見守り続ける待ち方」と、直後の「相手の時間を相手のものとして認める力」から、急かすことは相手の内側で進んでいる過程を止めることだという意味。「質が下がる」「反発して投げ出す」は本文にない。「相手には影響がない」は「相手の中で進んでいる何かを打ち切る」の逆。「全体の時間が短くなる」は「時間を節約するのではなく」の逆。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/bunsho/zb-01/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。