古代〜中世(律令・摂関・院政・鎌倉・室町) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 守護・地頭の設置(壇の浦の戦いの年) (ア 1297 年 イ 1232 年 ウ 1221 年 エ 1467 年 undefined 1185 年)
- 日蓮が開いた宗派と、その特色の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア 真言宗 ── 高野山金剛峯寺 イ 日蓮宗 ── 題目と『立正安国論』 ウ 臨済宗 ── 坐禅と公案 エ 天台宗 ── 比叡山延暦寺 undefined 曹洞宗 ── 只管打坐)
- 律令制度のもとでの税と土地の説明として正しいものはどれですか。 (ア 口分田は一度与えると子孫に永久に相続され、国に返す必要はなかった イ 6 歳以上の男女に口分田を与え、租として収穫の一部の稲を納めさせた ウ 成人男子だけに口分田を与え、女性には土地も税も課されなかった エ 租・庸・調はすべて銭で納めることになっており、稲や布は使われなかった undefined 調は都に住む貴族だけに課され、地方の農民は租のみを負担した)
- 摂関政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 藤原氏が娘を天皇の后として外戚となり、摂政・関白の地位を独占して政治を動かした イ 天皇が摂政・関白を廃止して蔵人頭を置き、直接政治を行った ウ 有力な武士が太政大臣となり、朝廷の高官を一族で占めて政治を動かした エ 地方の豪族が郡司として国司を任命し、中央の政治に参加した undefined 天皇を退いた上皇が院庁を開き、天皇の父として政治の実権を握った)
- 応仁の乱(1467〜77 年)の説明として正しいものはどれですか。 (ア 将軍足利義教が守護の赤松満祐に殺された事件で、幕府の力が急速に衰えるきっかけとなった イ 御家人が元寇の恩賞不足に不満をもって幕府に反乱を起こし、鎌倉幕府が滅亡した ウ 将軍の後継争いに細川氏と山名氏の対立が結びついて起こり、下剋上の時代に入った エ 浄土真宗の門徒が守護を倒して国を支配した一揆で、約 100 年にわたって続いた undefined 後醍醐天皇と足利尊氏の対立から起こり、朝廷が南朝と北朝に分かれる原因となった)
- 奈良時代の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 桓武天皇が長岡京から平安京に都を移し、坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北に派遣した イ 北条泰時が評定衆を置いて合議制を整え、武家の慣習をもとに御成敗式目を定めた ウ 聖武天皇が国分寺・国分尼寺の建立と大仏の造立を命じ、仏教の力で国を守る鎮護国家の考えを進めた エ 白河天皇が幼い皇子に位を譲って上皇となり、院庁を通じて摂関家を抑えて政治を動かした undefined 足利義満が南朝と北朝を合一させ、明の皇帝から日本国王と認められて勘合貿易を始めた)
- 飛鳥時代の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 藤原不比等らが編纂した養老律令が施行され、太政官のもとに八省を置く官制が本格的に運用された イ 藤原頼通が宇治に平等院鳳凰堂を建て、末法思想を背景に阿弥陀仏にすがる浄土教が都の貴族たちの間に広まった ウ 源頼朝が平氏を壇の浦で滅ぼし、国ごとに守護、荘園・公領ごとに地頭を置くことを朝廷に認めさせた エ 足利尊氏が建武式目を定めて京都に幕府を開き、後醍醐天皇は吉野に逃れて南北朝の対立が始まった undefined 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒し、公地公民をめざす改新の詔が出されて天皇中心の国づくりが始まった)
標準
- 古代〜中世の制度・出来事について、元寇(1274・1281 年)が鎌倉幕府にもたらした影響として正しいものはどれですか。 (ア 元を撃退した功績で御家人に多くの土地が与えられ、御恩と奉公の関係はいっそう強まった イ 元との戦いで西国の守護が力を失い、幕府は六波羅探題を廃止して西国支配から撤退した ウ 防衛戦で新たな土地が得られず御家人への恩賞が不足し、御家人の窮乏と幕府への不満が進んだ エ 元との講和で日元貿易が始まり、幕府は貿易の利益で財政を立て直して支配を安定させた undefined 元の要求を受けて幕府が朝貢を始めたため朝廷が反発し、承久の乱が起こる原因となった)
- 国風文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 摂関期・かな文字と浄土教。『源氏物語』『枕草子』、寝殿造、平等院鳳凰堂 イ 武士と庶民に広がった新仏教。東大寺南大門金剛力士像・『平家物語』『方丈記』 ウ 聖武天皇の頃・国際色豊かな仏教文化。東大寺大仏・正倉院・『古事記』『日本書紀』『万葉集』 エ 平安初期・密教中心。最澄の延暦寺と空海の金剛峯寺 undefined 足利義政の頃。銀閣、書院造、枯山水、雪舟の水墨画、侘び茶)
- 桓武天皇の政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 蔵人頭と検非違使を新たに置き、律令にない役職(令外官)で政治の実務を進めた イ 平城京に都を移し、大宝律令を完成させて中央に二官八省の官制を整えた ウ 国分寺・国分尼寺を建て、東大寺に大仏を造って仏教の力で国を守ろうとした エ 遣唐使を停止して唐との公的な交流を絶ち、国風文化が育つきっかけをつくった undefined 平安京に遷都し、勘解由使を置いて国司の交代を監督させ、坂上田村麻呂に蝦夷を征討させた)
- 鎌倉幕府の将軍と御家人の関係の説明として正しいものはどれですか。 (ア 将軍は御家人の子弟を官僚として都で教育し、御家人は寺社の造営に労働力を出した イ 将軍は御家人の土地を定期的に取り上げて配り直し、御家人は開墾で応えた ウ 将軍は御家人の先祖伝来の土地を保障し新たな土地を与え、御家人は軍役や警備で応えた エ 将軍は御家人を国司に任命して一国の行政を任せ、御家人は年貢の半分を幕府に納めて応えた undefined 将軍は御家人に毎年の俸給を銭で支払い、御家人は税の徴収と都までの運搬で応えた)
- 室町幕府のしくみの説明として正しいものはどれですか。 (ア 執権には北条氏が代々就き、京都には六波羅探題を置いて朝廷を監視させた イ 老中が政務を統括し、京都には所司代を置いて朝廷と西国大名を監視させた ウ 太政官のもとに八省を置き、地方には国司を派遣して直接支配した エ 管領に細川・斯波・畠山の三氏が交代で就き、関東には鎌倉府を置いた undefined 将軍が守護の任免権を持たず、守護は世襲で国を治め幕府には従わなかった)
- 国風文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 密教が中心で、最澄が延暦寺、空海が金剛峯寺を開いて山中で修行する仏教が広まった イ 武士の気風を反映して力強い彫刻がつくられ、運慶・快慶が金剛力士像を制作した ウ 禅宗の影響で書院造や枯山水の庭園がつくられ、雪舟が水墨画を大成した エ かな文字が発達して『源氏物語』『枕草子』が書かれ、平等院鳳凰堂が建てられた undefined 唐の影響の強い国際色豊かな仏教文化で、東大寺の大仏や正倉院の宝物が残された)
- 日本で白河上皇による院政の開始(1086 年)が起こった頃、世界で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア オスマン帝国がコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ帝国が滅んだ イ フランク王国のカール大帝がローマ教皇から西ローマ皇帝の帝冠を受けた ウ フビライ=ハンが南宋を滅ぼし、中国全土を元の支配下に置いた エ 節度使の朱全忠が唐を滅ぼし、五代十国の分裂時代が始まった undefined クレルモン宗教会議での教皇の呼びかけで第 1 回十字軍が出発した)
- 鎌倉時代の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 後三条天皇が延久の荘園整理令を出し、記録荘園券契所を置いて摂関家の荘園を含めて基準に合わないものを停止した イ 平清盛が大輪田泊を修築して日宋貿易を進め、娘の徳子を高倉天皇の后に立てて外戚として朝廷を動かした ウ 足利義教が専制的な政治を進め、鎌倉公方の足利持氏を永享の乱で滅ぼしたが、のちに守護の赤松満祐に殺された エ 北条時宗のとき元軍が二度にわたって九州北部に襲来し、幕府は御家人に異国警固番役を課して博多湾に石塁を築かせた undefined 三世一身法に続いて墾田永年私財法が出され、開墾した土地の永久私有が認められて貴族や寺社の初期荘園が生まれる原因になった)
- 室町時代の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 藤原氏の他氏排斥が進み、安和の変で源高明が左遷されたのちは摂政・関白がほぼ常に置かれるようになった イ 口分田を班給する班田収授法が定められ、6 歳以上の男女に田が与えられて租として稲を納めさせた ウ 国司の交代を監督する勘解由使が置かれ、東北では胆沢城・志波城が築かれて蝦夷への支配が広げられた エ 幕府が朝廷方の所領に新たに地頭を置き、京都に六波羅探題を設けて朝廷の監視と西国御家人の統率にあたらせた undefined 幕府が守護に一国内の荘園・公領の年貢の半分を軍費として取ることを認め、守護は国人を家臣に組み入れて守護大名へと成長した)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 文永の役/承久の乱/鎌倉幕府の滅亡/御成敗式目/永仁の徳政令 (ア 承久の乱 → 御成敗式目 → 永仁の徳政令 → 文永の役 → 鎌倉幕府の滅亡 イ 承久の乱 → 御成敗式目 → 文永の役 → 永仁の徳政令 → 鎌倉幕府の滅亡 ウ 承久の乱 → 文永の役 → 御成敗式目 → 永仁の徳政令 → 鎌倉幕府の滅亡 エ 御成敗式目 → 承久の乱 → 文永の役 → 鎌倉幕府の滅亡 → 永仁の徳政令 undefined 鎌倉幕府の滅亡 → 永仁の徳政令 → 文永の役 → 御成敗式目 → 承久の乱)
- 古代〜中世の土地制度の変化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 寄進地系荘園が墾田永年私財法で禁止され、公地公民が回復して、鎌倉時代には全国の土地がすべて幕府のものになった イ 鎌倉時代に班田収授法が始まり、室町時代に墾田永年私財法で開墾地の私有が認められて荘園が生まれた ウ 律令制のもとで守護と地頭が置かれ、平安時代に廃止されたのち鎌倉幕府が復活させた エ 荘園は平安時代に完全に消滅し、鎌倉・室町時代の土地はすべて幕府が直接支配した undefined 班田収授法による公地公民が墾田永年私財法で崩れ始め、寄進地系荘園が広がり、鎌倉時代には地頭が荘園に置かれた)
- 平氏政権の説明として正しいものはどれですか。 (ア 清盛は摂関家と結んで院政を支え、宋との貿易を禁じて国内の貨幣経済を抑えた イ 清盛は鎌倉に幕府を開き、御家人との主従関係をもとに東国を支配した ウ 承久の乱で後鳥羽上皇を破った清盛が征夷大将軍となり、守護・地頭を置いて全国を支配した エ 清盛は院政を廃止して天皇親政を復活させ、公家法にもとづく政治を行った undefined 保元・平治の乱で台頭した清盛が太政大臣となり、娘を天皇の后とし、日宋貿易を進めた)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 壬申の乱/国分寺建立の詔/東大寺大仏の開眼供養/長岡京への遷都/平城京への遷都 (ア 壬申の乱 → 平城京への遷都 → 国分寺建立の詔 → 長岡京への遷都 → 東大寺大仏の開眼供養 イ 壬申の乱 → 国分寺建立の詔 → 平城京への遷都 → 東大寺大仏の開眼供養 → 長岡京への遷都 ウ 壬申の乱 → 平城京への遷都 → 国分寺建立の詔 → 東大寺大仏の開眼供養 → 長岡京への遷都 エ 平城京への遷都 → 壬申の乱 → 国分寺建立の詔 → 東大寺大仏の開眼供養 → 長岡京への遷都 undefined 長岡京への遷都 → 東大寺大仏の開眼供養 → 国分寺建立の詔 → 平城京への遷都 → 壬申の乱)
- 平安時代の政治の流れを説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア 桓武天皇が蔵人頭と検非違使を置いて律令にない官職で政治を進め、その子の嵯峨天皇が平安京に遷都して勘解由使を置いた イ 藤原氏が摂関政治を確立したのち、後鳥羽上皇が院政を始めて摂関家を抑え、その院政のもとで平清盛が太政大臣となった ウ 白河上皇の院政のもとで藤原道長・頼通の父子が摂関政治の全盛期を築き、その後に保元・平治の乱を経て平氏が台頭した エ 後三条天皇が院政を始めて荘園整理令を出し、その荘園整理に反発した藤原道長が娘を天皇の后に立てて摂政となった undefined 藤原氏が他氏を排斥して摂関政治を確立したのち、摂関家を外戚としない後三条天皇が親政を行い、次の白河天皇が譲位して院政を始めた)
古代〜中世(律令・摂関・院政・鎌倉・室町) ── 解答
基礎
- undefined 1185 年 答え:1185 年。645 乙巳の変 → 701 大宝律令 → 743 墾田永年私財法 → 794 平安京 → 1086 院政 → 1185 守護・地頭 → 1221 承久の乱 → 1232 御成敗式目 → 1274 文永の役 → 1334 建武の新政 → 1392 南北朝合一 → 1467 応仁の乱。
- イ 日蓮宗 ── 題目と『立正安国論』 日蓮は日蓮宗 ── 題目と『立正安国論』。鎌倉新仏教は「開祖 ── 宗派 ── 特色」を組で覚える。最澄・空海は平安初期(密教)。
- イ 6 歳以上の男女に口分田を与え、租として収穫の一部の稲を納めさせた 班田収授法は 6 歳以上の男女に口分田を班給し、死後は国に返す。租は稲、庸は労役の代わりの布、調は特産物で、庸・調は農民が都まで運んだ(運脚)。
- ア 藤原氏が娘を天皇の后として外戚となり、摂政・関白の地位を独占して政治を動かした 866 年に藤原良房が臣下で初めて摂政、887 年に基経が関白。道長・頼通の頃(11 世紀前半)が全盛。上皇が院庁で政治を行うのは院政、武士が太政大臣になるのは平氏政権の説明。
- ウ 将軍の後継争いに細川氏と山名氏の対立が結びついて起こり、下剋上の時代に入った 応仁の乱は京都を主戦場に 11 年続き、守護大名が在京している間に領国では家臣が力を伸ばした(下剋上)。後醍醐天皇と尊氏の対立は南北朝の分裂、義教の殺害は嘉吉の変(1441)、門徒の国支配は加賀の一向一揆(1488〜)。
- ウ 聖武天皇が国分寺・国分尼寺の建立と大仏の造立を命じ、仏教の力で国を守る鎮護国家の考えを進めた 奈良時代(710〜794 年)は聖武天皇の鎮護国家(741 年国分寺建立の詔・743 年大仏造立の詔)。2 は平安初期(794 年)、3 は院政(1086 年〜)、4 は鎌倉(1232 年)、5 は室町(1392 年・1404 年)。「妥当なもの」を選ぶ型は、各肢の人物と時代を先に当てて 1 つだけ残す。
- undefined 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒し、公地公民をめざす改新の詔が出されて天皇中心の国づくりが始まった 乙巳の変(645 年)と大化の改新は飛鳥時代。2 は奈良(養老律令の施行は 757 年)、3 は平安末〜鎌倉(1185 年)、4 は平安中期(1053 年)、5 は南北朝(1336 年)。
標準
- ウ 防衛戦で新たな土地が得られず御家人への恩賞が不足し、御家人の窮乏と幕府への不満が進んだ 答え:防衛戦で新たな土地が得られず御家人への恩賞が不足し、御家人の窮乏と幕府への不満が進んだ。
- ア 摂関期・かな文字と浄土教。『源氏物語』『枕草子』、寝殿造、平等院鳳凰堂 国風文化は「摂関期・かな文字と浄土教。『源氏物語』『枕草子』、寝殿造、平等院鳳凰堂」。文化は「担い手」と「時期の政権」で区別する。金閣 = 義満(北山)、銀閣 = 義政(東山)。
- undefined 平安京に遷都し、勘解由使を置いて国司の交代を監督させ、坂上田村麻呂に蝦夷を征討させた 桓武天皇(在位 781〜806)は平安京遷都(794)・勘解由使・健児の制・蝦夷征討。蔵人頭・検非違使は嵯峨天皇、国分寺・大仏は聖武天皇、遣唐使停止は宇多天皇の時代(894・菅原道真の建議)。
- ウ 将軍は御家人の先祖伝来の土地を保障し新たな土地を与え、御家人は軍役や警備で応えた 御恩(本領安堵・新恩給与)と奉公(軍役・番役)。土地を仲立ちにした主従関係が武家政権の土台で、元寇で新しい土地が得られなかったことがこの関係を崩した。
- エ 管領に細川・斯波・畠山の三氏が交代で就き、関東には鎌倉府を置いた 三管領(細川・斯波・畠山)と四職(赤松・山名・一色・京極)。鎌倉府の長は鎌倉公方(足利氏)。執権と六波羅探題は鎌倉幕府、老中と京都所司代は江戸幕府、太政官と国司は律令制の説明。守護の任免権は将軍にあったが、実際は守護大名の連合の上に立つ政権だった。
- エ かな文字が発達して『源氏物語』『枕草子』が書かれ、平等院鳳凰堂が建てられた 国風文化は摂関期(10〜11 世紀)。大仏・正倉院は天平文化、密教は弘仁・貞観文化、書院造・雪舟は東山文化、運慶・快慶は鎌倉文化。
- undefined クレルモン宗教会議での教皇の呼びかけで第 1 回十字軍が出発した 答え:クレルモン宗教会議での教皇の呼びかけで第 1 回十字軍が出発した。同時代の対応は、701 大宝律令 ↔ 711 ウマイヤ朝のイベリア進出/794 平安京 ↔ 800 カールの戴冠/894 遣唐使停止 ↔ 907 唐の滅亡/1086 院政開始 ↔ 1096 第 1 回十字軍/1274 文永の役 ↔ 1279 南宋滅亡/1334 建武の新政 ↔ 1339 百年戦争開始/1467 応仁の乱 ↔ 1453 ビザンツ帝国滅亡。日本の出来事の年から前後 20 年ほどの世界史を思い出す。
- エ 北条時宗のとき元軍が二度にわたって九州北部に襲来し、幕府は御家人に異国警固番役を課して博多湾に石塁を築かせた 元寇は文永の役(1274 年)・弘安の役(1281 年)で、執権北条時宗のとき。2 は平安後期(1069 年)、3 は室町(1439 年永享の乱・1441 年嘉吉の乱)、4 は奈良(743 年)、5 は平安末(12 世紀後半)。
- undefined 幕府が守護に一国内の荘園・公領の年貢の半分を軍費として取ることを認め、守護は国人を家臣に組み入れて守護大名へと成長した 半済令(1352 年観応の半済令が最初)と守護請で守護の領国支配が進み、守護大名が成立した。2 は鎌倉(1221 年承久の乱後)、3 は平安初期(桓武天皇)、4 は平安中期(969 年)、5 は飛鳥〜奈良の律令制。
発展
- イ 承久の乱 → 御成敗式目 → 文永の役 → 永仁の徳政令 → 鎌倉幕府の滅亡 答え:承久の乱 → 御成敗式目 → 文永の役 → 永仁の徳政令 → 鎌倉幕府の滅亡。701 → 710 → 743 → 794 → 894/1016 → 1086 → 1156 → 1167 → 1185/1221 → 1232 → 1274 → 1297 → 1333/1334 → 1392 → 1428 → 1467 → 1488。
- undefined 班田収授法による公地公民が墾田永年私財法で崩れ始め、寄進地系荘園が広がり、鎌倉時代には地頭が荘園に置かれた 公地公民(律令)→ 三世一身法(723)→ 墾田永年私財法(743)→ 初期荘園 → 寄進地系荘園(不輸・不入)→ 守護・地頭(1185)→ 半済令・守護請(室町)→ 守護領国・戦国大名。荘園は太閤検地(zj-02)で最終的に消滅する。
- undefined 保元・平治の乱で台頭した清盛が太政大臣となり、娘を天皇の后とし、日宋貿易を進めた 平氏政権は外戚関係(娘の徳子を高倉天皇の后に)・知行国・荘園・日宋貿易を基盤とし、貴族的な性格が強かった。宋銭の流入は貨幣経済を広げた。征夷大将軍・守護地頭・鎌倉の幕府は源頼朝の説明。
- ウ 壬申の乱 → 平城京への遷都 → 国分寺建立の詔 → 東大寺大仏の開眼供養 → 長岡京への遷都 答え:壬申の乱 → 平城京への遷都 → 国分寺建立の詔 → 東大寺大仏の開眼供養 → 長岡京への遷都(672 → 710 → 741 → 752 → 784)。年を全部覚えていなくても、「誰が実権を握っていた時期か」(天武系の天皇/桓武〜藤原氏/院と平氏/北条氏/足利氏)で前後を切り分けられる。
- undefined 藤原氏が他氏を排斥して摂関政治を確立したのち、摂関家を外戚としない後三条天皇が親政を行い、次の白河天皇が譲位して院政を始めた 順序は、摂関政治の確立(969 年安和の変以降)→ 道長・頼通の全盛(11 世紀前半)→ 後三条天皇の親政(1068 年〜・延久の荘園整理令)→ 白河上皇の院政(1086 年〜)→ 保元・平治の乱(1156・1159 年)→ 平清盛が太政大臣(1167 年)。2 は院政を始めたのが後鳥羽ではなく白河、3 は蔵人頭・検非違使を置いたのが嵯峨天皇で平安京遷都が桓武天皇(順序と人物が逆)、4 は道長(11 世紀前半)が後三条(11 世紀後半)より前、5 は道長・頼通が院政より前。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-01/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。