古代〜中世(律令・摂関・院政・鎌倉・室町) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 墾田永年私財法 (ア 1086 年 イ 1221 年 ウ 1185 年 エ 743 年 undefined 1167 年)
- 最澄が開いた宗派と、その特色の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア 浄土宗 ── 専修念仏 イ 日蓮宗 ── 題目と『立正安国論』 ウ 天台宗 ── 比叡山延暦寺 エ 曹洞宗 ── 只管打坐 undefined 時宗 ── 踊念仏)
- 律令制度のもとでの税と土地の説明として正しいものはどれですか。 (ア 口分田は一度与えると子孫に永久に相続され、国に返す必要はなかった イ 6 歳以上の男女に口分田を与え、租として収穫の一部の稲を納めさせた ウ 成人男子だけに口分田を与え、女性には土地も税も課されなかった エ 租・庸・調はすべて銭で納めることになっており、稲や布は使われなかった undefined 調は都に住む貴族だけに課され、地方の農民は租のみを負担した)
- 摂関政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 藤原氏が娘を天皇の后として外戚となり、摂政・関白の地位を独占して政治を動かした イ 天皇が摂政・関白を廃止して蔵人頭を置き、直接政治を行った ウ 有力な武士が太政大臣となり、朝廷の高官を一族で占めて政治を動かした エ 地方の豪族が郡司として国司を任命し、中央の政治に参加した undefined 天皇を退いた上皇が院庁を開き、天皇の父として政治の実権を握った)
- 応仁の乱(1467〜77 年)の説明として正しいものはどれですか。 (ア 将軍足利義教が守護の赤松満祐に殺された事件で、幕府の力が急速に衰えるきっかけとなった イ 御家人が元寇の恩賞不足に不満をもって幕府に反乱を起こし、鎌倉幕府が滅亡した ウ 将軍足利義政の後継争いに細川氏と山名氏の対立が結びついて起こり、将軍の権威が失われて下剋上の時代に入った エ 浄土真宗の門徒が守護を倒して国を支配した一揆で、約 100 年にわたって続いた undefined 後醍醐天皇と足利尊氏の対立から起こり、朝廷が南朝と北朝に分かれる原因となった)
標準
- 古代〜中世の制度・出来事について、院政のしくみの説明として正しいものはどれですか。 (ア 藤原氏が娘を天皇の后とし、生まれた子を天皇に立てて外戚として政治の実権を握った イ 天皇の位を退いた上皇が、天皇の父・祖父として摂関家を抑え、院庁を通じて政治を動かした ウ 武士が太政大臣となって朝廷の高官を一族で占め、貿易の利益を財源として政治を行った エ 天皇が律令を立て直すため蔵人頭や検非違使を置き、貴族に頼らず直接政治を行った undefined 幼い天皇に代わって摂政が、成人した天皇を補佐して関白が政務をとり、院はそれに従った)
- 天平文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 平安初期・密教中心。最澄の延暦寺と空海の金剛峯寺 イ 摂関期・かな文字と浄土教。『源氏物語』『枕草子』、寝殿造、平等院鳳凰堂 ウ 推古朝の頃・最初の仏教文化。法隆寺 エ 武士と庶民に広がった新仏教。東大寺南大門金剛力士像・『平家物語』『方丈記』 undefined 聖武天皇の頃・国際色豊かな仏教文化。東大寺大仏・正倉院・『古事記』『日本書紀』『万葉集』)
- 桓武天皇の政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 蔵人頭と検非違使を新たに置き、律令にない役職で政治の実務を進めた イ 平城京に都を移し、大宝律令を完成させて中央に二官八省の官制を整えた ウ 国分寺・国分尼寺を建て、東大寺に大仏を造って仏教の力で国を守ろうとした エ 遣唐使を停止して唐との公的な交流を絶ち、国風文化が育つきっかけをつくった undefined 平安京に都を移し、勘解由使を置いて国司の交代を監督させ、坂上田村麻呂を派遣して蝦夷を征討した)
- 鎌倉幕府の将軍と御家人の関係の説明として正しいものはどれですか。 (ア 将軍は御家人の子弟を官僚として都で教育し、御家人は寺社の造営に労働力を出した イ 将軍は御家人の土地を定期的に取り上げて配り直し、御家人は開墾で応えた ウ 将軍は御家人の先祖伝来の土地を保障し新しい土地を与え、御家人は戦時の軍役や京都・鎌倉の警備で応えた エ 将軍は御家人を国司に任命して一国の行政を任せ、御家人は年貢の半分を幕府に納めた undefined 将軍は御家人に毎年の俸給を銭で支払い、御家人は税の徴収と都までの運搬で応えた)
- 室町幕府のしくみの説明として正しいものはどれですか。 (ア 執権には北条氏が代々就き、京都には六波羅探題を置いて朝廷を監視させた イ 老中が政務を統括し、京都所司代が朝廷と西国大名を監視した ウ 太政官のもとに八省を置き、地方には国司を派遣して直接支配した エ 管領には細川・斯波・畠山の三氏が交代で就き、関東には鎌倉府を置いて足利氏の一族に治めさせた undefined 将軍が守護の任免権を持たず、守護は世襲で国を治め幕府には従わなかった)
- 国風文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 密教が中心で、最澄が延暦寺、空海が金剛峯寺を開いて山中で修行する仏教が広まった イ 武士の気風を反映して力強い彫刻がつくられ、運慶・快慶が金剛力士像を制作した ウ 禅宗の影響で書院造や枯山水の庭園がつくられ、雪舟が水墨画を大成した エ かな文字が発達して『源氏物語』『枕草子』が書かれ、末法思想を背景に阿弥陀堂の平等院鳳凰堂が建てられた undefined 唐の影響の強い国際色豊かな仏教文化で、東大寺の大仏や正倉院の宝物が残された)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 正長の土一揆/建武の新政/加賀の一向一揆/南北朝の合一/応仁の乱 (ア 建武の新政 → 南北朝の合一 → 正長の土一揆 → 応仁の乱 → 加賀の一向一揆 イ 建武の新政 → 正長の土一揆 → 南北朝の合一 → 応仁の乱 → 加賀の一向一揆 ウ 建武の新政 → 南北朝の合一 → 応仁の乱 → 正長の土一揆 → 加賀の一向一揆 エ 南北朝の合一 → 建武の新政 → 正長の土一揆 → 加賀の一向一揆 → 応仁の乱 undefined 加賀の一向一揆 → 応仁の乱 → 正長の土一揆 → 南北朝の合一 → 建武の新政)
- 古代〜中世の土地制度の変化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 寄進地系荘園が墾田永年私財法で禁止され、公地公民が回復して鎌倉時代には全国の土地が幕府のものになった イ 鎌倉時代に班田収授法が始まり、室町時代に墾田永年私財法で開墾地の私有が認められて荘園が生まれた ウ 律令制のもとで守護と地頭が置かれ、平安時代に廃止されたのち鎌倉幕府が復活させた エ 荘園は平安時代に完全に消滅し、鎌倉・室町時代の土地はすべて幕府が直接支配した undefined 班田収授法による公地公民が墾田永年私財法で崩れ始め、寄進地系荘園が広がり、鎌倉時代には地頭が荘園に置かれた)
- 平氏政権の説明として正しいものはどれですか。 (ア 清盛は摂関家と結んで院政を支え、宋との貿易を禁じて国内の貨幣経済を抑えた イ 清盛は鎌倉に幕府を開き、御家人との主従関係をもとに東国を支配した ウ 承久の乱で後鳥羽上皇を破った清盛が征夷大将軍となり、守護・地頭を置いて全国を支配した エ 清盛は院政を廃止して天皇親政を復活させ、公家法にもとづく政治を行った undefined 保元・平治の乱を経て台頭した清盛が太政大臣となり、娘を天皇の后とし、大輪田泊を整備して日宋貿易を行った)
古代〜中世(律令・摂関・院政・鎌倉・室町) ── 解答
基礎
- エ 743 年 答え:743 年。645 乙巳の変 → 701 大宝律令 → 743 墾田永年私財法 → 794 平安京 → 1086 院政 → 1185 守護・地頭 → 1221 承久の乱 → 1232 御成敗式目 → 1274 文永の役 → 1334 建武の新政 → 1392 南北朝合一 → 1467 応仁の乱。
- ウ 天台宗 ── 比叡山延暦寺 最澄は天台宗 ── 比叡山延暦寺。鎌倉新仏教は「開祖 ── 宗派 ── 特色」を組で覚える。最澄・空海は平安初期(密教)。
- イ 6 歳以上の男女に口分田を与え、租として収穫の一部の稲を納めさせた 班田収授法は 6 歳以上の男女に口分田を班給し、死後は国に返す。租は稲、庸は労役の代わりの布、調は特産物で、庸・調は農民が都まで運んだ(運脚)。
- ア 藤原氏が娘を天皇の后として外戚となり、摂政・関白の地位を独占して政治を動かした 866 年に藤原良房が臣下で初めて摂政、887 年に基経が関白。道長・頼通の頃(11 世紀前半)が全盛。上皇が院庁で政治を行うのは院政、武士が太政大臣になるのは平氏政権の説明。
- ウ 将軍足利義政の後継争いに細川氏と山名氏の対立が結びついて起こり、将軍の権威が失われて下剋上の時代に入った 応仁の乱は京都を主戦場に 11 年続き、守護大名が在京している間に領国では家臣が力を伸ばした(下剋上)。後醍醐天皇と尊氏の対立は南北朝の分裂、義教の殺害は嘉吉の変(1441)、門徒の国支配は加賀の一向一揆(1488〜)。
標準
- イ 天皇の位を退いた上皇が、天皇の父・祖父として摂関家を抑え、院庁を通じて政治を動かした 答え:天皇の位を退いた上皇が、天皇の父・祖父として摂関家を抑え、院庁を通じて政治を動かした。
- undefined 聖武天皇の頃・国際色豊かな仏教文化。東大寺大仏・正倉院・『古事記』『日本書紀』『万葉集』 天平文化は「聖武天皇の頃・国際色豊かな仏教文化。東大寺大仏・正倉院・『古事記』『日本書紀』『万葉集』」。文化は「担い手」と「時期の政権」で区別する。金閣 = 義満(北山)、銀閣 = 義政(東山)。
- undefined 平安京に都を移し、勘解由使を置いて国司の交代を監督させ、坂上田村麻呂を派遣して蝦夷を征討した 桓武天皇(在位 781〜806)は平安京遷都(794)・勘解由使・健児の制・蝦夷征討。蔵人頭・検非違使は嵯峨天皇、国分寺・大仏は聖武天皇、遣唐使停止は宇多天皇の時代(894・菅原道真の建議)。
- ウ 将軍は御家人の先祖伝来の土地を保障し新しい土地を与え、御家人は戦時の軍役や京都・鎌倉の警備で応えた 御恩(本領安堵・新恩給与)と奉公(軍役・番役)。土地を仲立ちにした主従関係が武家政権の土台で、元寇で新しい土地が得られなかったことがこの関係を崩した。
- エ 管領には細川・斯波・畠山の三氏が交代で就き、関東には鎌倉府を置いて足利氏の一族に治めさせた 三管領(細川・斯波・畠山)と四職(赤松・山名・一色・京極)。鎌倉府の長は鎌倉公方(足利氏)。執権と六波羅探題は鎌倉幕府、老中と京都所司代は江戸幕府、太政官と国司は律令制の説明。守護の任免権は将軍にあったが、実際は守護大名の連合の上に立つ政権だった。
- エ かな文字が発達して『源氏物語』『枕草子』が書かれ、末法思想を背景に阿弥陀堂の平等院鳳凰堂が建てられた 国風文化は摂関期(10〜11 世紀)。大仏・正倉院は天平文化、密教は弘仁・貞観文化、書院造・雪舟は東山文化、運慶・快慶は鎌倉文化。
発展
- ア 建武の新政 → 南北朝の合一 → 正長の土一揆 → 応仁の乱 → 加賀の一向一揆 答え:建武の新政 → 南北朝の合一 → 正長の土一揆 → 応仁の乱 → 加賀の一向一揆。701 → 710 → 743 → 794 → 894/1016 → 1086 → 1156 → 1167 → 1185/1221 → 1232 → 1274 → 1297 → 1333/1334 → 1392 → 1428 → 1467 → 1488。
- undefined 班田収授法による公地公民が墾田永年私財法で崩れ始め、寄進地系荘園が広がり、鎌倉時代には地頭が荘園に置かれた 公地公民(律令)→ 三世一身法(723)→ 墾田永年私財法(743)→ 初期荘園 → 寄進地系荘園(不輸・不入)→ 守護・地頭(1185)→ 半済令・守護請(室町)→ 守護領国・戦国大名。荘園は太閤検地(zj-02)で最終的に消滅する。
- undefined 保元・平治の乱を経て台頭した清盛が太政大臣となり、娘を天皇の后とし、大輪田泊を整備して日宋貿易を行った 平氏政権は外戚関係(娘の徳子を高倉天皇の后に)・知行国・荘園・日宋貿易を基盤とし、貴族的な性格が強かった。宋銭の流入は貨幣経済を広げた。征夷大将軍・守護地頭・鎌倉の幕府は源頼朝の説明。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-01/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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