近世(織豊政権・江戸の政治と三大改革) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 本能寺の変 (ア 1590 年 イ 1575 年 ウ 1573 年 エ 1582 年 undefined 1588 年)
- 次の政策を行ったのはどの政治(人物)ですか。 目安箱の設置・相対済し令 (ア 享保の改革(徳川吉宗) イ 寛政の改革(松平定信) ウ 新井白石の政治 エ 田沼政治(田沼意次) undefined 天保の改革(水野忠邦))
- 織田信長の政策の説明として正しいものはどれですか。 (ア 禁中並公家諸法度で朝廷を統制し、京都所司代を置いて公家を監視した イ 楽市楽座で座の特権を否定し関所を撤廃して商業を自由にし、比叡山延暦寺を焼き討ちして寺社の力を抑えた ウ 太閤検地で全国の土地を石高で把握し、刀狩で農民から武器を取り上げて兵農分離を進めた エ 武家諸法度で大名を統制し、参勤交代を義務づけて大名の財力を消耗させた undefined バテレン追放令で宣教師を国外に追放し、明の征服をめざして朝鮮に出兵した)
- 江戸幕府の大名統制の説明として正しいものはどれですか。 (ア 大名に石高に応じた俸給を銭で支払い、領国からの年貢はすべて幕府が直接徴収した イ 外様大名を江戸の周辺と要地に配置し、譜代大名を九州・東北などの遠方に置いて監視させた ウ 大名に毎年の江戸滞在を義務づけたが、妻子は領国に置くことを認め、家臣の同行は禁じた エ 大名を親藩・譜代・外様に分け、武家諸法度で城の修築や大名どうしの婚姻を制限し、違反すれば改易などの処分をした undefined すべての大名を幕府の直轄地に住まわせ、領国の政治は幕府から派遣した国司に行わせた)
- 化政文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 16 世紀末の大名・豪商を担い手とし、城郭建築と狩野永徳の障壁画が生まれた イ 15 世紀後半の将軍と武士を担い手とし、書院造や枯山水、雪舟の水墨画が生まれた ウ 19 世紀前半の江戸の町人を担い手とし、葛飾北斎・歌川広重の風景版画や十返舎一九の滑稽本が生まれた エ 17 世紀末の上方の町人を担い手とし、井原西鶴の浮世草子や近松門左衛門の人形浄瑠璃が生まれた undefined 18 世紀後半の蘭学者を担い手とし、『解体新書』と伊能忠敬の日本地図が生まれた)
標準
- 近世の政治・社会について、刀狩令(1588 年)の説明として正しいものはどれですか。 (ア 町人が武器を売買することを禁じ、鉄砲の生産を堺と国友の御用鍛冶に限定した イ 農民が武器をもって兵士として働くことを認め、大名の軍役に農民を組み込むしくみを整えた ウ 寺社の武力を解体するために僧兵の武器を取り上げ、比叡山や石山本願寺の政治力を奪った エ 武士からも刀を取り上げて幕府の常備軍に集め、戦国大名の私兵を解体して統一政権の軍とした undefined 一揆の防止を名目に農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進めた)
- 松尾芭蕉の業績として正しいものはどれですか。 (ア 侘び茶の大成(桃山文化) イ 『古事記伝』(国学) ウ 『解体新書』(蘭学・1774 年) エ 人形浄瑠璃『曽根崎心中』(元禄文化) undefined 俳諧『奥の細道』(元禄文化))
- 享保の改革の説明として正しいものはどれですか。 (ア 5 代将軍綱吉が、生類憐みの令を出し、貨幣の質を落とす改鋳で財政をまかなった イ 8 代将軍吉宗が、上げ米の制で大名から米を上納させ、定免法で年貢を安定させ、公事方御定書で裁判の基準を整えた ウ 老中松平定信が、囲米で飢饉に備えさせ、棄捐令で旗本の借金を帳消しにし、朱子学以外の儒学を禁じた エ 老中田沼意次が、株仲間を公認して運上・冥加を取り、印旛沼の干拓や蝦夷地の開発を計画した undefined 老中水野忠邦が、株仲間を解散させ、人返しの法で農民を村に帰し、江戸・大坂周辺を直轄地にしようとした)
- 寛政の改革の説明として正しいものはどれですか。 (ア 享保の飢饉のあと徳川吉宗が行い、上げ米と足高の制で財政と人材登用を改めた イ 天明の飢饉のあと松平定信が行い、囲米・旧里帰農令で農村の復興をはかり、棄捐令と寛政異学の禁を出した ウ 天保の飢饉のあと水野忠邦が行い、株仲間の解散と人返しの法を出し、上知令が反対で失敗した エ 天明の飢饉の最中に田沼意次が行い、株仲間を公認して商業の利益から財源を得ようとした undefined 元禄期に新井白石が行い、貨幣の質を元に戻し長崎貿易を制限して金銀の流出を防いだ)
- 江戸時代の農民統制の説明として正しいものはどれですか。 (ア 農民を城下町に集めて住まわせ、村には武士を置いて直接年貢を取り立てた イ 農民に銭で年貢を納めさせ、米の生産よりも商品作物の栽培を奨励した ウ 五人組で年貢や犯罪の連帯責任を負わせ、田畑永代売買の禁止令や分地制限令で本百姓の没落を防ごうとした エ 農民から武器を取り上げる刀狩を初めて行い、農民が武士になることを禁じた undefined 農民に土地の自由な売買と分割を認め、有力な農民に土地を集めて大規模な経営をさせた)
- 江戸時代の学問の説明として正しいものはどれですか。 (ア 国学は仏教と儒教を重んじて日本の古典を批判し、蘭学者と対立して幕府に弾圧された イ 朱子学は幕府の正学として上下の秩序を説き、国学は本居宣長が日本の古典から古来の精神を探り、蘭学は『解体新書』などで西洋の学問を紹介した ウ 蘭学は徳川吉宗が禁止したため幕末まで発達せず、『解体新書』は明治になってから翻訳された エ 国学は幕府の正学として昌平坂学問所で教えられ、朱子学は本居宣長が『古事記伝』で大成した undefined 朱子学は寛政異学の禁で禁止され、代わりに陽明学と古学が幕府の正学とされた)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 ペリー来航/異国船打払令/大政奉還/大塩平八郎の乱/日米修好通商条約 (ア 大塩平八郎の乱 → 異国船打払令 → ペリー来航 → 大政奉還 → 日米修好通商条約 イ 異国船打払令 → 大塩平八郎の乱 → 日米修好通商条約 → ペリー来航 → 大政奉還 ウ 大政奉還 → 日米修好通商条約 → ペリー来航 → 大塩平八郎の乱 → 異国船打払令 エ 異国船打払令 → 大塩平八郎の乱 → ペリー来航 → 日米修好通商条約 → 大政奉還 undefined 異国船打払令 → ペリー来航 → 大塩平八郎の乱 → 日米修好通商条約 → 大政奉還)
- 田沼意次の政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 倹約令と株仲間の解散で物価を下げようとし、上知令で幕府の直轄地を増やそうとしたが大名の反対で失脚した イ 株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行、長崎貿易の奨励など商業資本を財源に取り込もうとしたが、天明の飢饉と賄賂への批判で失脚した ウ 貨幣の質を元に戻して物価を安定させ、長崎貿易を制限して金銀の流出を防いだが、将軍の交代で退いた エ 上げ米の制と新田開発で年貢の増収をはかり、目安箱で庶民の意見を聞いたが、飢饉と米価の問題に悩んだ undefined 農村の復興のため旧里帰農令を出し、朱子学以外の儒学を禁じたが、厳しすぎる統制への反発で退いた)
- 開国後の日本の経済と政局の説明として正しいものはどれですか。 (ア 生糸の輸出で国内が品不足となり物価が上がり、金銀比価の違いで金が流出したため、攘夷運動が高まった イ 銀が大量に流入して物価が下がり、農村の不況から百姓一揆が減少した ウ 貿易は幕府が独占して利益をあげ、その財力で幕府の権威が回復して倒幕運動は収まった エ 開港後も外国との貿易額はわずかで経済への影響はなく、政局は朝廷と幕府の対立だけで動いた undefined 外国の安い綿製品が入って国内の綿織物業が発達し、物価が下がって庶民の生活は安定した)
近世(織豊政権・江戸の政治と三大改革) ── 解答
基礎
- エ 1582 年 答え:1582 年。1573 室町幕府滅亡 → 1582 本能寺 → 1590 統一 → 1600 関ヶ原 → 1603 幕府 → 1615 武家諸法度 → 1635 参勤交代 → 1641 出島 → 1716 享保 → 1787 寛政 → 1841 天保 → 1853 ペリー → 1858 修好通商 → 1867 大政奉還。
- ア 享保の改革(徳川吉宗) 目安箱の設置・相対済し令 → 享保の改革(徳川吉宗)。享保 = 吉宗(年貢増収・実学)、田沼 = 商業資本の活用、寛政 = 定信(農村復興・思想統制)、天保 = 忠邦(株仲間解散・上知令)。
- イ 楽市楽座で座の特権を否定し関所を撤廃して商業を自由にし、比叡山延暦寺を焼き討ちして寺社の力を抑えた 信長は楽市楽座(安土など)・関所撤廃・比叡山焼き討ち(1571)・石山本願寺との戦い・安土城。太閤検地・刀狩・バテレン追放令・朝鮮出兵は秀吉、武家諸法度・禁中並公家諸法度は江戸幕府。
- エ 大名を親藩・譜代・外様に分け、武家諸法度で城の修築や大名どうしの婚姻を制限し、違反すれば改易などの処分をした 親藩(徳川一門)・譜代(関ヶ原以前からの家臣)は要地に、外様は遠方に配置。武家諸法度違反の改易・減封・転封。参勤交代では妻子を江戸に置かせた。
- ウ 19 世紀前半の江戸の町人を担い手とし、葛飾北斎・歌川広重の風景版画や十返舎一九の滑稽本が生まれた 化政文化(文化・文政期)は江戸の町人文化。元禄文化(上方)との対比が問われる。
標準
- undefined 一揆の防止を名目に農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進めた 答え:一揆の防止を名目に農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進めた。
- undefined 俳諧『奥の細道』(元禄文化) 松尾芭蕉 → 俳諧『奥の細道』(元禄文化)。元禄 = 上方町人(西鶴・近松・芭蕉)、化政 = 江戸町人(北斎・広重・一九)、学問は朱子学・国学・蘭学の 3 系統で整理する。
- イ 8 代将軍吉宗が、上げ米の制で大名から米を上納させ、定免法で年貢を安定させ、公事方御定書で裁判の基準を整えた 享保の改革(1716〜45)は年貢増収と倹約、実学の重視(漢訳洋書輸入の緩和・目安箱・小石川養生所)。定免法は豊凶にかかわらず一定の年貢率にする方式。
- イ 天明の飢饉のあと松平定信が行い、囲米・旧里帰農令で農村の復興をはかり、棄捐令と寛政異学の禁を出した 寛政の改革(1787〜93)。囲米は米の備蓄、旧里帰農令は江戸へ出た農民の帰村を奨励、棄捐令は札差からの借金帳消し、人足寄場は無宿人の収容・職業訓練。
- ウ 五人組で年貢や犯罪の連帯責任を負わせ、田畑永代売買の禁止令や分地制限令で本百姓の没落を防ごうとした 本百姓が年貢を納める土台なので、幕府は土地の売買・細分化を禁じて本百姓の維持をはかった。年貢は米(石高)が基本。刀狩は秀吉(1588)。
- イ 朱子学は幕府の正学として上下の秩序を説き、国学は本居宣長が日本の古典から古来の精神を探り、蘭学は『解体新書』などで西洋の学問を紹介した 朱子学(林羅山・幕府の正学)、国学(本居宣長・古典から日本古来の精神を探る・儒仏を外来として批判)、蘭学(杉田玄白『解体新書』1774、吉宗の漢訳洋書輸入緩和が土台)。
発展
- エ 異国船打払令 → 大塩平八郎の乱 → ペリー来航 → 日米修好通商条約 → 大政奉還 答え:異国船打払令 → 大塩平八郎の乱 → ペリー来航 → 日米修好通商条約 → 大政奉還。1575 → 1582 → 1588 → 1600 → 1615/1615 → 1635 → 1637 → 1641 → 1685〜/1716 → 1772 → 1782〜87 → 1787 → 1841/1825 → 1837 → 1853 → 1858 → 1867。
- イ 株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行、長崎貿易の奨励など商業資本を財源に取り込もうとしたが、天明の飢饉と賄賂への批判で失脚した 田沼政治(1772〜86)は三大改革(農本主義・倹約)と対比される重商主義的な政策。上げ米・目安箱は享保、旧里帰農令・異学の禁は寛政、株仲間解散・上知令は天保、貨幣の質の回復は正徳の治(新井白石)。
- ア 生糸の輸出で国内が品不足となり物価が上がり、金銀比価の違いで金が流出したため、攘夷運動が高まった 開港(1859)後は生糸・茶の輸出超過で品不足と物価上昇、金銀比価(日本 1:5、海外 1:15)の差で金が海外へ流出。生活苦が攘夷運動と倒幕の背景になった。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-02/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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