近世(織豊政権・江戸の政治と三大改革) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 本能寺の変 (ア 1641 年 イ 1582 年 ウ 1787 年 エ 1841 年 undefined 1853 年)
- 次の政策を行ったのはどの政治(人物)ですか。 上げ米の制・足高の制・公事方御定書 (ア 田沼政治(田沼意次) イ 天保の改革(水野忠邦) ウ 享保の改革(徳川吉宗) エ 新井白石の政治 undefined 寛政の改革(松平定信))
- 織田信長の政策の説明として正しいものはどれですか。 (ア 禁中並公家諸法度で朝廷を統制し、京都所司代を置いて公家を監視した イ 楽市楽座で座の特権を否定し関所を撤廃して商業を自由にし、比叡山延暦寺を焼き討ちして寺社の力を抑えた ウ 太閤検地で全国の土地を石高で把握し、刀狩で農民から武器を取り上げて兵農分離を進めた エ 武家諸法度で大名を統制し、参勤交代を義務づけて大名の財力を消耗させた undefined バテレン追放令で宣教師を国外に追放し、明の征服をめざして朝鮮に出兵した)
- 江戸幕府の大名統制の説明として正しいものはどれですか。 (ア 大名に石高に応じた俸給を銭で支払い、領国からの年貢はすべて幕府が直接徴収した イ 外様大名を江戸の周辺と要地に配置し、譜代大名を九州・東北などの遠方に置いて監視させた ウ 大名に毎年の江戸滞在を義務づけたが、妻子は領国に置くことを認め、家臣の同行は禁じた エ 大名を親藩・譜代・外様に分け、武家諸法度で城の修築や婚姻を制限し、違反すれば改易した undefined すべての大名を幕府の直轄地に住まわせ、領国の政治は幕府から派遣した国司に行わせた)
- 化政文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 16 世紀末の大名・豪商を担い手とし、城郭建築と狩野永徳の障壁画が生まれた イ 15 世紀後半の将軍と武士を担い手とし、書院造や枯山水、雪舟の水墨画が生まれた ウ 19 世紀前半の江戸の町人を担い手とし、葛飾北斎・歌川広重の風景版画や十返舎一九の滑稽本が生まれた エ 17 世紀末の上方の町人を担い手とし、井原西鶴の浮世草子や近松門左衛門の人形浄瑠璃の台本などが生まれた undefined 18 世紀後半の蘭学者を担い手とし、『解体新書』と伊能忠敬の日本地図が生まれた)
- 安土桃山時代の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 井伊直弼が勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、反対した公家や大名・志士を安政の大獄で処罰した イ 徳川綱吉が生類憐みの令を出して犬などの殺生を厳しく禁じ、質を落とした元禄小判を発行して財政を補った ウ 足利義満が南北朝を合一して守護大名を抑え、明に朝貢する形で勘合を用いた貿易を始めて利益を得た エ 豊臣秀吉が統一した枡と単位で全国の田畑を測って石高を定め、刀狩令で農民の武器を取り上げて兵農分離を進めた undefined 徳川吉宗が上げ米の制で大名から米を上納させ、目安箱を置いて庶民の意見を聞き、公事方御定書で裁判の基準を整えた)
- 18 世紀後半の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『東海道五十三次』などの風景版画が江戸の町人に広まった イ 大塩平八郎が飢饉で苦しむ民衆を救うため大坂で挙兵し、元役人の反乱として幕府に衝撃を与えた ウ 松尾芭蕉が『奥の細道』で俳諧を芸術の域に高め、井原西鶴が町人の生活を描く浮世草子を書いた エ 杉田玄白・前野良沢らがオランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を出版し、蘭学が発達するきっかけになった undefined 千利休がわび茶を大成し、狩野永徳が城郭の内部を飾る豪壮な障壁画を描いた)
標準
- 近世の政治・社会について、元禄文化の説明として正しいものはどれですか。 (ア 18 世紀後半の武士の学問文化で、杉田玄白の『解体新書』、本居宣長の『古事記伝』が代表 イ 19 世紀前半の江戸の町人文化で、十返舎一九の滑稽本、葛飾北斎・歌川広重の風景版画が代表 ウ 15 世紀後半の武家文化で、銀閣に代表される書院造、枯山水の庭園、雪舟の水墨画が代表 エ 16 世紀末の大名と豪商の文化で、壮大な城郭建築と狩野永徳の障壁画、千利休の侘び茶が代表 undefined 17 世紀末〜18 世紀初めの上方の町人文化で、井原西鶴の浮世草子、近松門左衛門の人形浄瑠璃、松尾芭蕉の俳諧が代表)
- 杉田玄白の業績として正しいものはどれですか。 (ア 侘び茶の大成(桃山文化) イ 実測による日本地図の作成 ウ 浮世絵『富嶽三十六景』(化政文化) エ 俳諧『奥の細道』(元禄文化) undefined 『解体新書』(蘭学・1774 年))
- 享保の改革の説明として正しいものはどれですか。 (ア 5 代将軍綱吉が、生類憐みの令を出し、貨幣の質を落とす改鋳で財政をまかなった イ 8 代将軍吉宗が、上げ米の制で大名から米を上納させ、定免法で年貢を安定させ、公事方御定書で裁判の基準を整えた ウ 老中松平定信が、囲米で飢饉に備えさせ、棄捐令で旗本の借金を帳消しにし、朱子学以外の儒学を禁じた エ 老中田沼意次が、株仲間を公認して運上・冥加を取り、印旛沼の干拓や蝦夷地の開発を計画した undefined 老中水野忠邦が、株仲間を解散させ、人返しの法で農民を村に帰し、江戸・大坂周辺を直轄地にしようとした)
- 寛政の改革の説明として正しいものはどれですか。 (ア 享保の飢饉のあと徳川吉宗が行い、上げ米と足高の制で財政と人材登用を改めた イ 天明の飢饉のあと松平定信が行い、囲米・旧里帰農令で農村の復興をはかり、棄捐令と寛政異学の禁を出した ウ 天保の飢饉のあと水野忠邦が行い、株仲間の解散と人返しの法を出し、上知令が反対で失敗した エ 天明の飢饉の最中に田沼意次が行い、株仲間を公認して商業の利益から財源を得ようとした undefined 元禄期に新井白石が行い、貨幣の質を元に戻し長崎貿易を制限して金銀の流出を防いだ)
- 江戸時代の農民統制の説明として正しいものはどれですか。 (ア 農民を城下町に集めて住まわせ、村には武士を置いて直接年貢を取り立てた イ 農民に銭で年貢を納めさせ、米の生産よりも商品作物の栽培を奨励した ウ 五人組で連帯責任を負わせ、田畑の売買や分割を制限して本百姓を維持しようとした エ 農民から武器を取り上げる刀狩を初めて行い、農民が武士になることを禁じた undefined 農民に土地の自由な売買と分割を認め、有力な農民に土地を集めて大規模な経営をさせた)
- 江戸時代の学問の説明として正しいものはどれですか。 (ア 国学は仏教と儒教を重んじて日本の古典を批判し、蘭学者と対立して幕府に弾圧された イ 朱子学は幕府の正学とされ、国学は本居宣長が大成し、蘭学は『解体新書』などで西洋の学問を紹介した ウ 蘭学は徳川吉宗が禁止したため幕末まで発達せず、『解体新書』は明治になってから翻訳された エ 国学は幕府の正学として昌平坂学問所で教えられ、朱子学は本居宣長が『古事記伝』で大成した undefined 朱子学は寛政異学の禁で禁止され、代わりに陽明学と古学が幕府の正学として昌平坂学問所で教えられた)
- 日本で関ヶ原の戦い(1600 年)が起こった頃、世界で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア イギリスで東インド会社が設立された イ イギリスで国王と議会が対立してピューリタン革命が始まった ウ イギリスで名誉革命が起こり、翌年に権利の章典が定められた エ フランスでバスティーユ牢獄の襲撃をきっかけに革命が始まった undefined コペルニクスが『天球回転論』で地動説を唱えた)
- 17 世紀(江戸時代前期)の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 老中水野忠邦が物価を下げるため株仲間を解散させ、江戸に流入した農民を村に帰す人返しの法を出した イ 老中松平定信が囲米で飢饉に備えさせ、旗本・御家人の借金を帳消しにする棄捐令を出し、朱子学以外の儒学を聖堂の学問所で禁じた ウ 織田信長が安土城下に楽市令を出して座の特権を否定し、関所を廃止して商人や物資の往来を自由にした エ 豊臣秀吉が明の征服をめざして朝鮮に大軍を送ったが、李舜臣の水軍や明の援軍に阻まれ、秀吉の死で撤退した undefined 3 代将軍家光が武家諸法度に参勤交代を定め、島原・天草一揆ののちポルトガル船の来航を禁じ、オランダ商館を出島に移した)
- 幕末(1853 年のペリー来航から 1867 年の大政奉還まで)の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 幕府が異国船打払令を出して外国船を撃退する方針をとり、これを批判した渡辺崋山・高野長英を蛮社の獄で処罰した イ 幕府がロシアのラクスマンの通商要求を退け、その後もレザノフを追い返したため、ロシア船が樺太や択捉を襲う事件が起こった ウ 薩摩藩と長州藩が坂本龍馬らの仲介で同盟を結び、15 代将軍慶喜は政権を朝廷に返したが、王政復古の大号令で新政府から排除された エ 新井白石が金銀の海外流出を防ぐため長崎貿易の額を制限し、質を落とした元禄小判を良質の正徳小判に戻した undefined 老中田沼意次が株仲間を広く公認して運上・冥加を財源とし、印旛沼・手賀沼の干拓や蝦夷地の開発を計画したが、天明の飢饉のなかで失脚した)
発展
- 次の出来事を古い順に並べたものはどれですか。 島原・天草一揆/武家諸法度(元和令)/生類憐みの令/参勤交代の制度化/出島へのオランダ商館移転 (ア 生類憐みの令 → 出島へのオランダ商館移転 → 島原・天草一揆 → 参勤交代の制度化 → 武家諸法度(元和令) イ 武家諸法度(元和令) → 参勤交代の制度化 → 出島へのオランダ商館移転 → 島原・天草一揆 → 生類憐みの令 ウ 参勤交代の制度化 → 武家諸法度(元和令) → 島原・天草一揆 → 生類憐みの令 → 出島へのオランダ商館移転 エ 武家諸法度(元和令) → 参勤交代の制度化 → 島原・天草一揆 → 出島へのオランダ商館移転 → 生類憐みの令 undefined 武家諸法度(元和令) → 島原・天草一揆 → 参勤交代の制度化 → 出島へのオランダ商館移転 → 生類憐みの令)
- 田沼意次の政治の説明として正しいものはどれですか。 (ア 倹約令と株仲間の解散で物価を下げようとし、上知令で幕府の直轄地を増やそうとしたが大名・旗本の反対で失脚した イ 株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行で商業資本を財源に取り込もうとしたが、天明の飢饉と賄賂への批判で失脚した ウ 貨幣の質を元に戻して物価を安定させ、長崎貿易を制限して金銀の流出を防いだが、将軍の交代で退いた エ 上げ米の制と新田開発で年貢の増収をはかり、目安箱で庶民の意見を聞いたが、飢饉と米価の問題に悩んだ undefined 農村の復興のため旧里帰農令を出し、朱子学以外の儒学を禁じたが、厳しすぎる統制への反発で退いた)
- 開国後の日本の経済と政局の説明として正しいものはどれですか。 (ア 生糸の輸出で国内が品不足となり物価が上がり、金銀比価の違いで金が流出したため、攘夷運動が高まった イ 銀が大量に流入して物価が下がり、農村の不況から百姓一揆が減少した ウ 貿易は幕府が独占して利益をあげ、その財力で幕府の権威が回復して倒幕運動は収まった エ 開港後も外国との貿易額はわずかで経済への影響はなく、政局は朝廷と幕府の対立だけで動いた undefined 外国の安い綿製品が入って国内の綿織物業が発達し、物価が下がって庶民の生活は安定した)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 桶狭間の戦い/室町幕府の滅亡/本能寺の変/長篠の戦い/小田原攻め(全国統一) (ア 桶狭間の戦い → 室町幕府の滅亡 → 長篠の戦い → 本能寺の変 → 小田原攻め(全国統一) イ 桶狭間の戦い → 室町幕府の滅亡 → 長篠の戦い → 小田原攻め(全国統一) → 本能寺の変 ウ 小田原攻め(全国統一) → 本能寺の変 → 長篠の戦い → 室町幕府の滅亡 → 桶狭間の戦い エ 桶狭間の戦い → 室町幕府の滅亡 → 本能寺の変 → 長篠の戦い → 小田原攻め(全国統一) undefined 室町幕府の滅亡 → 桶狭間の戦い → 長篠の戦い → 本能寺の変 → 小田原攻め(全国統一))
- 江戸幕府の財政再建の流れを説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア 田沼意次が株仲間の公認で商業の利益を財源としたのち、徳川吉宗が享保の改革で上げ米の制と定免法を定め、その失敗を受けて松平定信が寛政の改革で商業を重視し、水野忠邦が天保の改革で株仲間をさらに公認した イ 享保の改革で年貢の増収と倹約による立て直しをはかったのち、田沼意次が商業の利益を財源に取り込もうとし、天明の飢饉のあと松平定信が農村の復興と統制に戻し、天保の飢饉のあと水野忠邦が株仲間の解散などで物価の引き下げをはかった ウ 水野忠邦が天保の改革で上知令を実施して直轄地を増やしたのち、松平定信が寛政異学の禁で朱子学を正学とし、田沼意次が印旛沼の干拓を完成させ、徳川吉宗が享保の改革で貨幣の質を落として財政を補った エ 徳川吉宗が享保の改革で株仲間を解散させて物価を下げたのち、田沼意次が上げ米の制で大名から米を集め、松平定信が南鐐二朱銀を発行して貨幣を統一し、水野忠邦が長崎貿易を奨励して金銀を輸入した undefined 松平定信が寛政の改革で囲米と棄捐令を出したのち、徳川吉宗が享保の改革で目安箱と公事方御定書を整え、田沼意次が天明の飢饉のあと農村の復興のため旧里帰農令を出し、水野忠邦が人返しの法で江戸の人口を増やした)
近世(織豊政権・江戸の政治と三大改革) ── 解答
基礎
- イ 1582 年 答え:1582 年。1573 室町幕府滅亡 → 1582 本能寺 → 1590 統一 → 1600 関ヶ原 → 1603 幕府 → 1615 武家諸法度 → 1635 参勤交代 → 1641 出島 → 1716 享保 → 1787 寛政 → 1841 天保 → 1853 ペリー → 1858 修好通商 → 1867 大政奉還。
- ウ 享保の改革(徳川吉宗) 上げ米の制・足高の制・公事方御定書 → 享保の改革(徳川吉宗)。享保 = 吉宗(年貢増収・実学)、田沼 = 商業資本の活用、寛政 = 定信(農村復興・思想統制)、天保 = 忠邦(株仲間解散・上知令)。
- イ 楽市楽座で座の特権を否定し関所を撤廃して商業を自由にし、比叡山延暦寺を焼き討ちして寺社の力を抑えた 信長は楽市楽座(安土など)・関所撤廃・比叡山焼き討ち(1571)・石山本願寺との戦い・安土城。太閤検地・刀狩・バテレン追放令・朝鮮出兵は秀吉、武家諸法度・禁中並公家諸法度は江戸幕府。
- エ 大名を親藩・譜代・外様に分け、武家諸法度で城の修築や婚姻を制限し、違反すれば改易した 親藩(徳川一門)・譜代(関ヶ原以前からの家臣)は要地に、外様は遠方に配置。武家諸法度違反の改易・減封・転封。参勤交代では妻子を江戸に置かせた。
- ウ 19 世紀前半の江戸の町人を担い手とし、葛飾北斎・歌川広重の風景版画や十返舎一九の滑稽本が生まれた 化政文化(文化・文政期)は江戸の町人文化。元禄文化(上方)との対比が問われる。
- エ 豊臣秀吉が統一した枡と単位で全国の田畑を測って石高を定め、刀狩令で農民の武器を取り上げて兵農分離を進めた 太閤検地(1582 年〜)と刀狩令(1588 年)は安土桃山時代(織豊政権)。2 は江戸中期(1685 年〜)、3 は室町(1392・1404 年)、4 は享保の改革(1716 年〜)、5 は幕末(1858 年)。
- エ 杉田玄白・前野良沢らがオランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を出版し、蘭学が発達するきっかけになった 『解体新書』は 1774 年(18 世紀後半)。2 は元禄文化(17 世紀末〜18 世紀初め)、3 は化政文化(19 世紀前半)、4 は桃山文化(16 世紀末)、5 は 1837 年(19 世紀)。文化の問題は「世紀」と「担い手」の 2 軸で切る。
標準
- undefined 17 世紀末〜18 世紀初めの上方の町人文化で、井原西鶴の浮世草子、近松門左衛門の人形浄瑠璃、松尾芭蕉の俳諧が代表 答え:17 世紀末〜18 世紀初めの上方の町人文化で、井原西鶴の浮世草子、近松門左衛門の人形浄瑠璃、松尾芭蕉の俳諧が代表。
- undefined 『解体新書』(蘭学・1774 年) 杉田玄白 → 『解体新書』(蘭学・1774 年)。元禄 = 上方町人(西鶴・近松・芭蕉)、化政 = 江戸町人(北斎・広重・一九)、学問は朱子学・国学・蘭学の 3 系統で整理する。
- イ 8 代将軍吉宗が、上げ米の制で大名から米を上納させ、定免法で年貢を安定させ、公事方御定書で裁判の基準を整えた 享保の改革(1716〜45)は年貢増収と倹約、実学の重視(漢訳洋書輸入の緩和・目安箱・小石川養生所)。定免法は豊凶にかかわらず一定の年貢率にする方式。
- イ 天明の飢饉のあと松平定信が行い、囲米・旧里帰農令で農村の復興をはかり、棄捐令と寛政異学の禁を出した 寛政の改革(1787〜93)。囲米は米の備蓄、旧里帰農令は江戸へ出た農民の帰村を奨励、棄捐令は札差からの借金帳消し、人足寄場は無宿人の収容・職業訓練。
- ウ 五人組で連帯責任を負わせ、田畑の売買や分割を制限して本百姓を維持しようとした 本百姓が年貢を納める土台なので、幕府は土地の売買・細分化を禁じて本百姓の維持をはかった。年貢は米(石高)が基本。刀狩は秀吉(1588)。
- イ 朱子学は幕府の正学とされ、国学は本居宣長が大成し、蘭学は『解体新書』などで西洋の学問を紹介した 朱子学(林羅山・幕府の正学)、国学(本居宣長・古典から日本古来の精神を探る・儒仏を外来として批判)、蘭学(杉田玄白『解体新書』1774、吉宗の漢訳洋書輸入緩和が土台)。
- ア イギリスで東インド会社が設立された 答え:イギリスで東インド会社が設立された。対応は、1543 鉄砲伝来 ↔ 1543 地動説/1600 関ヶ原 ↔ 1600 東インド会社/1637 島原・天草一揆 ↔ 1642 ピューリタン革命/1685 生類憐みの令 ↔ 1688 名誉革命/1787 寛政の改革 ↔ 1789 フランス革命/1841 天保の改革 ↔ 1840 アヘン戦争。近世は「日本の改革とヨーロッパの革命」を年で結びつけて覚える。
- undefined 3 代将軍家光が武家諸法度に参勤交代を定め、島原・天草一揆ののちポルトガル船の来航を禁じ、オランダ商館を出島に移した 参勤交代の制度化(1635 年)・ポルトガル船来航禁止(1639 年)・出島(1641 年)は家光の時代。2 は寛政の改革(1787 年〜)、3 は天保の改革(1841 年〜)、4 は文禄・慶長の役(1592・1597 年)、5 は 1570 年代で、いずれも 17 世紀ではない。
- ウ 薩摩藩と長州藩が坂本龍馬らの仲介で同盟を結び、15 代将軍慶喜は政権を朝廷に返したが、王政復古の大号令で新政府から排除された 薩長同盟(1866 年)・大政奉還・王政復古の大号令(1867 年)は幕末。2 は 1770〜80 年代、3 は 1792〜1807 年、4 は 1825 年・1839 年、5 は 1710 年代で、いずれもペリー来航より前。
発展
- エ 武家諸法度(元和令) → 参勤交代の制度化 → 島原・天草一揆 → 出島へのオランダ商館移転 → 生類憐みの令 答え:武家諸法度(元和令) → 参勤交代の制度化 → 島原・天草一揆 → 出島へのオランダ商館移転 → 生類憐みの令。1575 → 1582 → 1588 → 1600 → 1615/1615 → 1635 → 1637 → 1641 → 1685〜/1716 → 1772 → 1782〜87 → 1787 → 1841/1825 → 1837 → 1853 → 1858 → 1867。
- イ 株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行で商業資本を財源に取り込もうとしたが、天明の飢饉と賄賂への批判で失脚した 田沼政治(1772〜86)は三大改革(農本主義・倹約)と対比される重商主義的な政策。上げ米・目安箱は享保、旧里帰農令・異学の禁は寛政、株仲間解散・上知令は天保、貨幣の質の回復は正徳の治(新井白石)。
- ア 生糸の輸出で国内が品不足となり物価が上がり、金銀比価の違いで金が流出したため、攘夷運動が高まった 開港(1859)後は生糸・茶の輸出超過で品不足と物価上昇、金銀比価(日本 1:5、海外 1:15)の差で金が海外へ流出。生活苦が攘夷運動と倒幕の背景になった。
- ア 桶狭間の戦い → 室町幕府の滅亡 → 長篠の戦い → 本能寺の変 → 小田原攻め(全国統一) 答え:桶狭間の戦い → 室町幕府の滅亡 → 長篠の戦い → 本能寺の変 → 小田原攻め(全国統一)(1560 → 1573 → 1575 → 1582 → 1590)。「誰の政権のときか」(信長/秀吉/家康〜家光/綱吉〜家宣/11 代家斉の頃/幕末)で大きく区切ってから、同じ政権内の前後を年で決める。
- イ 享保の改革で年貢の増収と倹約による立て直しをはかったのち、田沼意次が商業の利益を財源に取り込もうとし、天明の飢饉のあと松平定信が農村の復興と統制に戻し、天保の飢饉のあと水野忠邦が株仲間の解散などで物価の引き下げをはかった 順序は享保(1716 年〜・吉宗)→ 田沼(1770〜80 年代)→ 寛政(1787 年〜・定信)→ 天保(1841 年〜・忠邦)。2 は吉宗と田沼の順が逆で、定信・忠邦の政策も逆(定信は商業より農村、忠邦は株仲間解散)。3 は定信と吉宗の順が逆で、旧里帰農令は定信・人返しの法は江戸の人口を減らす政策。4 は政策の主が全部入れ替わっている(株仲間解散は忠邦、上げ米は吉宗、南鐐二朱銀と長崎貿易奨励は田沼)。5 は順序が逆で、上知令は撤回され印旛沼の干拓も完成しなかった。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-02/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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