近代(明治維新〜大正デモクラシー〜昭和初期) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 韓国併合 (ア 1918 年 イ 1905 年 ウ 1902 年 エ 1910 年 undefined 1911 年)
- 大隈重信の事績の説明として正しいものはどれですか。 (ア 金解禁を実施し、ロンドン海軍軍縮条約に調印して統帥権干犯問題で攻撃を受けた イ 征韓論に敗れて下野し、不平士族に推されて西南戦争を起こした ウ 満洲国の承認に慎重な姿勢をとる中、五・一五事件で海軍将校らに暗殺された エ 民本主義を唱え、天皇主権の憲法のもとで政党政治と普通選挙の実現を説いた undefined 明治十四年の政変で政府を追われ、イギリス流の議院内閣制を掲げる立憲改進党を結成した)
- 明治政府の諸改革に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 学制は義務教育を無償としたため、農村でも小学校の就学率は発布の翌年に 9 割を超えた イ 版籍奉還によって藩は廃止され、旧藩主は東京に集められて政治から切り離された ウ 地租改正では収穫高に応じて米で納めさせることにし、豊作の年には税収が増えるようにした エ 徴兵令は士族だけを対象として近代的な軍隊を作ろうとしたもので、平民は対象外だった undefined 廃藩置県では藩を廃止して府県を置き、旧藩主に代わって中央から府知事・県令を派遣した)
- 日清戦争と日露戦争に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 日露戦争の講和条約で日本は台湾と澎湖諸島を得て、賠償金 2 億両を八幡製鉄所の建設にあてた イ 日露戦争はアメリカとの同盟を背景に始まり、講和はイギリスの仲介でロンドンで結ばれた ウ 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約では賠償金が得られず、国民の不満から日比谷焼打ち事件が起こった エ 日清戦争の講和条約である下関条約で日本は遼東半島を得たが、イギリス・アメリカ・フランスの干渉で返還した undefined 日清戦争の講和条約で日本は韓国を併合し、統監府を置いて伊藤博文を初代統監とした)
- 明治維新期の対外関係に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 岩倉使節団の出発後、留守政府は征韓論を退け、西郷隆盛と板垣退助は政府に残って内治優先の政治を推し進めた イ 日朝修好条規は江華島事件をきっかけに結ばれ、日本の領事裁判権を認めさせるなど日本に有利な内容だった ウ 樺太・千島交換条約では日本が樺太を領有し、千島列島をロシアに譲った エ 日清修好条規は日本が清に領事裁判権を認めさせた不平等条約で、日清戦争の原因になった undefined 琉球については清との交渉で領有が認められたため、沖縄県の設置は清の同意のもとで行われた)
- 1870 年代の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を組織する時代が続き、日露戦争後の財政と大陸政策をめぐって政府と政党が協調と対立を繰り返した イ 普通選挙法によって満 25 歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が与えられる一方、同じ年に治安維持法が制定されて国体の変革をめざす結社が禁じられた ウ 松平定信が寛政の改革で囲米を命じて飢饉に備えさせ、旗本・御家人の借金を帳消しにする棄捐令を出した エ 立憲政友会を基盤とする原敬内閣が成立して初の本格的な政党内閣とされたが、原は普通選挙の実施には慎重で、選挙資格の引き下げにとどめた undefined 政府が学制を公布して全国に小学校を置く方針を示し、徴兵令で満 20 歳以上の男子に兵役を課し、地租改正で地価を基準とする金納の税に改めた)
標準
- 近代の制度・条約について、版籍奉還(1869 年)の内容として正しいものはどれですか。 (ア 藩主が土地と人民を天皇に返上したが、藩主はそのまま知藩事として旧領を治め、藩のしくみは残った イ 藩主に華族の身分と家禄を与える代わりに軍事権だけを政府に返させ、行政権は藩に残した ウ 藩の借金を政府が肩代わりする代わりに、藩の年貢収入の半分を政府に納めさせる制度に改めた エ 天皇が藩主に土地と人民の支配を改めて認め、藩主を世襲の地方長官として位置づけた undefined 藩を廃止して府県を置き、旧藩主を東京に移住させ、中央から府知事・県令を派遣して旧領を治めさせるようにした)
- 次の説明にあてはまる出来事はどれですか。 「シベリア出兵を見越した米の買い占めで米価が急騰し、富山県から始まった民衆の騒動が全国に広がって寺内正毅内閣が倒れた」 (ア 盧溝橋事件 イ 満洲事変(柳条湖事件) ウ 五・一五事件 エ 米騒動 undefined 三国干渉)
- 自由民権運動と憲法制定に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 帝国議会は貴族院のみの一院制で、予算と法律は天皇が議会に諮問せずに定めることができた イ 第 1 回衆議院議員総選挙では満 25 歳以上のすべての男子に選挙権が与えられ、有権者は全人口の約 2 割にのぼった ウ 明治十四年の政変で政府は大隈重信を罷免するとともに、国会開設の勅諭を出して 10 年後の国会開設を約束した エ 民撰議院設立建白書を提出した板垣退助は、イギリス流の議院内閣制を掲げて立憲改進党を結成した undefined 大日本帝国憲法はフランスの憲法を手本に起草され、主権在民と抵抗権を明記した)
- 条約改正に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 関税自主権の回復は日清戦争の直前に達成され、日本は戦費を関税収入でまかなうことができた イ 岩倉使節団は欧米との条約改正交渉に成功し、帰国後すぐに領事裁判権が撤廃された ウ 領事裁判権の撤廃は日露戦争後のポーツマス条約で初めて実現し、これによって不平等条約は完全に解消された エ 領事裁判権の撤廃は 1894 年に陸奥宗光外相が日英通商航海条約で実現し、関税自主権の完全回復は 1911 年に小村寿太郎外相が達成した undefined 井上馨外相は鹿鳴館での欧化政策によって国内の広い支持を集め、外国人判事の任用を一切認めないまま領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復を同時に実現した)
- 明治期の経済・社会に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 1901 年に結成された社会民主党は合法政党として議会に議席を得て、労働組合法の制定を実現した イ 日清戦争の賠償金を財源の一部として官営八幡製鉄所が建設され、1901 年に操業を始めて重工業発展の基礎になった ウ 工場法は 1911 年に制定されて直ちに施行され、すべての工場で 8 時間労働制が義務づけられた エ 1880 年代の松方財政は積極的な紙幣発行によるインフレ政策で、農産物価格の上昇によって自作農が各地で大きく増えた undefined 日本の産業革命は重工業から始まり、造船・製鉄が確立したあとで紡績業や製糸業が発達した)
- 大正デモクラシーに関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 治安維持法は普通選挙法より 10 年遅れて制定され、共産主義運動など社会運動の取り締まりを主な目的とした イ 普通選挙法は 1925 年に成立し、満 25 歳以上の男女すべてに衆議院議員の選挙権を与えた ウ 吉野作造の民本主義は、主権が国民にあることを前提として天皇制の廃止を主張した エ 原敬内閣は衆議院第一党の立憲政友会を基盤とする初の本格的政党内閣だったが、普通選挙の実施には反対した undefined 第一次護憲運動によって桂太郎内閣が倒れ、直ちに男子普通選挙が実現した)
- 日本で韓国併合(1910 年)が起こった頃、世界で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア 清で辛亥革命が起こり、翌年に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立した イ スペインで内戦が起こり、ドイツ・イタリアがフランコ側を支援した ウ フランスでユダヤ系将校がスパイ容疑で有罪とされたドレフュス事件が起こった エ プロイセン=フランス戦争に勝ったプロイセンを中心に、ドイツ帝国が成立した undefined ヨーロッパでロカルノ条約が結ばれ、翌年ドイツが国際連盟に加入した)
- 1900 年代(1900〜1909 年)の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 第一次世界大戦で列強の関心がヨーロッパに向くなか、袁世凱政府に二十一か条の要求を突きつけ、山東省のドイツ権益の継承などを認めさせた イ 片岡直温蔵相の失言をきっかけに銀行への取付け騒ぎが広がり、田中義一内閣が支払猶予令を出して収束させた ウ ロシアの南下に対抗して日英同盟を結び、日露戦争ののちポーツマス条約で南樺太と旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道の利権を得た エ 海軍の青年将校らが首相官邸を襲って犬養毅首相を殺害し、これをきっかけに政党内閣の時代が終わった undefined 岩倉具視を大使とする使節団が欧米に派遣され、条約改正の予備交渉は果たせなかったが、各国の制度や産業を視察して帰国した)
- 大正時代(1912〜26 年)の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 浜口雄幸内閣が旧平価で金解禁を実施したが、世界恐慌と重なって輸出が減り、農産物価格の下落で農村が深刻な不況に陥った イ 藩を廃止して府県を置き、旧藩主を東京に住まわせて中央から府知事・県令を派遣することで、中央集権の体制を固めた ウ 下関条約で得た遼東半島についてロシア・ドイツ・フランスが返還を勧告し、政府はこれを受け入れて「臥薪嘗胆」を合言葉に軍備の拡張を進めた エ 日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦して山東省のドイツ権益を占領し、大戦中の輸出増で大戦景気が起こる一方、シベリア出兵を見越した米の買い占めで米騒動が起こった undefined 関東軍が奉天郊外で南満洲鉄道の線路を爆破して軍事行動を始め、翌年には満洲国の建国を宣言させた)
- 1880 年代の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア シベリア出兵を見越した米の買い占めで米価が急騰し、富山県の主婦らの行動をきっかけに米騒動が全国に広がった イ 銀行への取付け騒ぎが広がって多くの銀行が休業し、政府は支払猶予令を出して金融恐慌を収束させた ウ 松方正義が緊縮財政で不換紙幣を整理して日本銀行を設立したが、デフレで農村が困窮し秩父事件が起こった エ 藩を廃止して府県を置き、中央から府知事・県令を派遣して政府の命令が全国に届く体制を整えた undefined 日清戦争の賠償金を財源の一部として官営八幡製鉄所が建設され、操業を始めて重工業発展の基礎になった)
発展
- 昭和初期の経済と政治に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 満洲事変は五・一五事件のあとに起こり、政党内閣が終わったことで軍部が大陸への進出を本格化させた イ 金融恐慌は世界恐慌の影響で 1930 年に起こり、若槻礼次郎内閣は金輸出を再禁止して収束させた ウ ロンドン海軍軍縮条約は軍部の強い支持を受けて調印され、政党内閣への国民の信頼を高めた エ 浜口雄幸内閣が旧平価で実施した金解禁は、世界恐慌と重なって輸出の減少と物価の下落を招き、昭和恐慌の一因になった undefined 高橋是清蔵相は金本位制への復帰と緊縮財政によって昭和恐慌からの脱出を図り、軍事費を大幅に削減した)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 A 五・一五事件 B 国際連盟脱退 C 満洲事変 D 二・二六事件 E 金解禁 (ア C → E → A → D → B イ C → A → E → B → D ウ E → C → B → A → D エ E → C → A → B → D undefined E → A → C → B → D)
- 日中戦争から太平洋戦争に至る過程に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 盧溝橋事件は上海郊外で起きた日中両軍の衝突で、日本政府は事件の直後に中国に対して正式に宣戦布告し、全面戦争に入った イ 日中戦争の開始と同時に日本は国際連盟から脱退し、国際的に孤立を深めた ウ 国家総動員法は、政府が議会の承認を経ずに勅令で人的・物的資源を動員できるようにした法律で、第一次近衛文麿内閣のもとで成立した エ 大政翼賛会は既成政党が合同して結成した新しい政党で、以後の総選挙では複数政党による競争が続いた undefined 日独伊三国同盟の締結と同じ年に日ソ中立条約が結ばれ、日本は北方の安全を確保して南進を進めた)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 徴兵令/西南戦争/五箇条の誓文/廃藩置県/版籍奉還 (ア 五箇条の誓文 → 廃藩置県 → 版籍奉還 → 徴兵令 → 西南戦争 イ 版籍奉還 → 五箇条の誓文 → 廃藩置県 → 徴兵令 → 西南戦争 ウ 五箇条の誓文 → 版籍奉還 → 徴兵令 → 廃藩置県 → 西南戦争 エ 五箇条の誓文 → 版籍奉還 → 廃藩置県 → 徴兵令 → 西南戦争 undefined 西南戦争 → 徴兵令 → 廃藩置県 → 版籍奉還 → 五箇条の誓文)
- 明治期の政党の変遷を説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア 国会開設の勅諭ののち大隈重信が自由党、板垣退助が立憲改進党を結成し、1898 年に伊藤博文が両派を合同させて立憲政友会を組織し、初の政党内閣を率いた イ 国会開設の勅諭ののち板垣退助が自由党、大隈重信が立憲改進党を結成したが、両党は帝国議会の開会前に解党し、1900 年に伊藤博文が結成した立憲政友会が初の政党内閣を率いた ウ 大日本帝国憲法の発布と同時に板垣退助が立憲政友会を結成して初の政党内閣を組織し、その後に大隈重信が自由党、伊藤博文が憲政党を結成して対抗した エ 国会開設の勅諭ののち板垣退助が自由党、大隈重信が立憲改進党を結成し、1898 年に両派が合同した憲政党を基盤に初の政党内閣が生まれ、1900 年には伊藤博文が立憲政友会を組織した undefined 民撰議院設立建白書の提出と同時に自由党と立憲改進党が結成され、第 1 回帝国議会で両党が合同して立憲政友会となり、伊藤博文が総裁として初の政党内閣を率いた)
近代(明治維新〜大正デモクラシー〜昭和初期) ── 解答
基礎
- エ 1910 年 答え:1910 年。1871 廃藩置県 → 1873 徴兵令・地租改正 → 1874 建白書 → 1877 西南戦争 → 1881 勅諭 → 1885 内閣制度 → 1889 憲法 → 1890 議会 → 1894 日清 → 1902 日英同盟 → 1905 ポーツマス → 1910 併合 → 1911 関税自主権 → 1918 米騒動 → 1925 普選法 → 1927 金融恐慌 → 1931 満洲事変 → 1932 五・一五 → 1936 二・二六 → 1938 総動員法。
- undefined 明治十四年の政変で政府を追われ、イギリス流の議院内閣制を掲げる立憲改進党を結成した 大隈重信は「明治十四年の政変で政府を追われ、イギリス流の議院内閣制を掲げる立憲改進党を結成した」。人物は「内閣・出来事・結果」の行で覚える。
- undefined 廃藩置県では藩を廃止して府県を置き、旧藩主に代わって中央から府知事・県令を派遣した 版籍奉還では藩主が知藩事として残り、藩は 1871 年の廃藩置県で廃止された。徴兵令は身分を問わない国民皆兵(免役規定は多かった)。学制は授業料負担があり就学率は低かった。地租改正は地価の 3%の金納。
- ウ 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約では賠償金が得られず、国民の不満から日比谷焼打ち事件が起こった 三国干渉はロシア・ドイツ・フランス。日露戦争の背景は日英同盟(1902)、講和はアメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトの仲介でポーツマス。韓国併合は 1910 年。台湾・澎湖諸島と賠償金 2 億両は下関条約。
- イ 日朝修好条規は江華島事件をきっかけに結ばれ、日本の領事裁判権を認めさせるなど日本に有利な内容だった 樺太・千島交換条約(1875)は樺太を放棄して千島全島を領有。征韓論は帰国した岩倉・大久保らが退け、西郷・板垣は下野した(明治六年の政変)。琉球処分(1879)に清は抗議し、帰属は日清戦争まで未解決。日清修好条規(1871)は対等な条約。
- undefined 政府が学制を公布して全国に小学校を置く方針を示し、徴兵令で満 20 歳以上の男子に兵役を課し、地租改正で地価を基準とする金納の税に改めた 学制(1872 年)・徴兵令・地租改正条例(1873 年)はいずれも 1870 年代前半。2 は 1918 年、3 は 1900 年代後半〜1910 年代初め(桂園時代)、4 は 1925 年、5 は 1787 年〜(江戸時代)。
標準
- ア 藩主が土地と人民を天皇に返上したが、藩主はそのまま知藩事として旧領を治め、藩のしくみは残った 藩主が土地と人民を天皇に返上したが、藩主はそのまま知藩事として旧領を治め、藩のしくみは残った。制度・条約は「誰が・いつ・何を・その結果」の 4 点で覚える。
- エ 米騒動 答え:米騒動。出来事は「きっかけ → 経過 → 結果」の 3 段で覚えると、選択肢の因果の入れかえに気づける。
- ウ 明治十四年の政変で政府は大隈重信を罷免するとともに、国会開設の勅諭を出して 10 年後の国会開設を約束した 板垣は自由党(フランス流)、立憲改進党(イギリス流)は大隈。憲法はプロイセン(ドイツ)の憲法を参考にした欽定憲法。第 1 回総選挙の有権者は直接国税 15 円以上の満 25 歳以上男子で全人口の約 1%。議会は衆議院・貴族院の二院制で、予算・法律には議会の協賛が必要。
- エ 領事裁判権の撤廃は 1894 年に陸奥宗光外相が日英通商航海条約で実現し、関税自主権の完全回復は 1911 年に小村寿太郎外相が達成した 岩倉使節団の予備交渉は失敗。井上馨の欧化政策と外国人判事任用案は国内の反発を招いて中止された。関税自主権の回復(1911)は日清・日露戦争の後。ポーツマス条約は日露戦争の講和条約で、条約改正とは別。
- イ 日清戦争の賠償金を財源の一部として官営八幡製鉄所が建設され、1901 年に操業を始めて重工業発展の基礎になった 産業革命は紡績業(大阪紡績会社など)から始まり、日清戦争後に重工業へ。松方財政は緊縮・デフレ政策で、農民の没落と寄生地主制の進行を招いた。工場法は 1911 年制定・1916 年施行で、適用範囲や労働時間規制は限定的。社会民主党は結成の 2 日後に禁止された。
- エ 原敬内閣は衆議院第一党の立憲政友会を基盤とする初の本格的政党内閣だったが、普通選挙の実施には反対した 普通選挙法の成立は 1925 年(加藤高明内閣)で、第一次護憲運動(1912〜13)の直後ではない。民本主義は主権の所在を問わず、天皇主権のもとで政党政治を説いた。普選法の対象は男子のみ。治安維持法は普選法と同じ 1925 年。
- ア 清で辛亥革命が起こり、翌年に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立した 答え:清で辛亥革命が起こり、翌年に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立した。対応は、1871 岩倉使節団 ↔ 1871 ドイツ帝国成立/1894 日清戦争 ↔ 1894 ドレフュス事件/1910 韓国併合 ↔ 1911 辛亥革命/1925 普通選挙法 ↔ 1925 ロカルノ条約/1937 日中戦争 ↔ 1936 スペイン内戦。世界史側は zj-06・zj-07 で扱う出来事なので、両方の年表を並べて見比べる。
- ウ ロシアの南下に対抗して日英同盟を結び、日露戦争ののちポーツマス条約で南樺太と旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道の利権を得た 日英同盟(1902 年)・日露戦争(1904〜05 年)・ポーツマス条約(1905 年)は 1900 年代。2 は 1871〜73 年、3 は 1915 年、4 は 1932 年、5 は 1927 年。
- エ 日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦して山東省のドイツ権益を占領し、大戦中の輸出増で大戦景気が起こる一方、シベリア出兵を見越した米の買い占めで米騒動が起こった 第一次世界大戦参戦(1914 年)・大戦景気・米騒動(1918 年)は大正期。2 は 1895 年(三国干渉)、3 は 1930 年、4 は 1871 年、5 は 1931〜32 年。
- ウ 松方正義が緊縮財政で不換紙幣を整理して日本銀行を設立したが、デフレで農村が困窮し秩父事件が起こった 松方財政(1881 年〜)・日本銀行設立(1882 年)・秩父事件(1884 年)は 1880 年代。八幡製鉄所の操業は 1901 年、米騒動は 1918 年、廃藩置県は 1871 年、金融恐慌は 1927 年。
発展
- エ 浜口雄幸内閣が旧平価で実施した金解禁は、世界恐慌と重なって輸出の減少と物価の下落を招き、昭和恐慌の一因になった 金融恐慌は 1927 年で世界恐慌(1929)より前。高橋是清は金輸出再禁止(1931 年末)と積極財政(軍事費・公共事業の拡大)で恐慌脱出を図った。ロンドン条約は統帥権干犯問題として軍部・野党の攻撃を受けた。満洲事変(1931)は五・一五事件(1932)より前。
- エ E → C → A → B → D 金解禁 1930 → 満洲事変 1931 → 五・一五事件 1932 → 国際連盟脱退 1933 → 二・二六事件 1936。昭和初期は 1 年刻みで出来事が続くので、順序で問われやすい。
- ウ 国家総動員法は、政府が議会の承認を経ずに勅令で人的・物的資源を動員できるようにした法律で、第一次近衛文麿内閣のもとで成立した 盧溝橋事件は北京郊外で、宣戦布告のないまま戦争が拡大した。大政翼賛会は政党が解散して参加した官製の組織で政党ではない。三国同盟は 1940 年、日ソ中立条約は 1941 年。国際連盟脱退は 1933 年で日中戦争(1937)より前。
- エ 五箇条の誓文 → 版籍奉還 → 廃藩置県 → 徴兵令 → 西南戦争 答え:五箇条の誓文 → 版籍奉還 → 廃藩置県 → 徴兵令 → 西南戦争(1868 → 1869 → 1871 → 1873 → 1877)。近代は「維新の改革(1868〜77)→ 民権と憲法(1874〜90)→ 二つの戦争(1894〜1911)→ 大正(1912〜25)→ 戦争への道(1931〜41)」の 5 ブロックに分け、どのブロックの出来事かを先に決めてから中の順序を考える。
- エ 国会開設の勅諭ののち板垣退助が自由党、大隈重信が立憲改進党を結成し、1898 年に両派が合同した憲政党を基盤に初の政党内閣が生まれ、1900 年には伊藤博文が立憲政友会を組織した 自由党(1881 年・板垣)→ 立憲改進党(1882 年・大隈)→ 憲政党(1898 年・合同)→ 第一次大隈内閣(隈板内閣・初の政党内閣)→ 立憲政友会(1900 年・伊藤)。2 は自由党と改進党の結成者が逆で、政友会の結成年と政党内閣の主も違う。3 は政友会が 1900 年で憲法発布(1889 年)と同時ではない。4 は建白書(1874 年)と政党結成(1881〜82 年)が同時ではない。5 は自由党が 1884 年に解党したのは事実だが、初の政党内閣は 1898 年の隈板内閣で政友会ではない。
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