近代(明治維新〜大正デモクラシー〜昭和初期) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 国会開設の勅諭(明治十四年の政変) (ア 1881 年 イ 1889 年 ウ 1885 年 エ 1877 年 undefined 1874 年)
- 加藤高明の事績の説明として正しいものはどれですか。 (ア 民本主義を唱え、天皇主権の憲法のもとで政党政治と普通選挙の実現を説いた イ 第二次護憲運動の後に護憲三派内閣を組織し、普通選挙法と治安維持法を成立させた ウ 日英通商航海条約を結んで領事裁判権の撤廃を実現し、下関条約の交渉にあたった エ 米騒動後に衆議院第一党の党首として組閣し、初の本格的政党内閣を率いた undefined 民撰議院設立建白書を提出して自由民権運動の口火を切り、自由党を結成した)
- 明治政府の諸改革に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 学制は義務教育を無償としたため、農村でも小学校の就学率は発布の翌年に 9 割を超えた イ 版籍奉還によって藩は廃止され、旧藩主は東京に集められて政治から切り離された ウ 地租改正では収穫高に応じて米で納めさせることにし、豊作の年には税収が増えるようにした エ 徴兵令は士族だけを対象として近代的な軍隊を作ろうとしたもので、平民は対象外だった undefined 廃藩置県では藩を廃止して府県を置き、旧藩主に代わって中央から府知事・県令を派遣した)
- 日清戦争と日露戦争に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 日露戦争の講和条約で日本は台湾と澎湖諸島を得て、賠償金 2 億両を八幡製鉄所の建設にあてた イ 日露戦争はアメリカとの同盟を背景に始まり、講和はイギリスの仲介でロンドンで結ばれた ウ 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約では賠償金が得られず、国民の不満から日比谷焼打ち事件が起こった エ 日清戦争の講和条約である下関条約で日本は遼東半島を得たが、イギリス・アメリカ・フランスの干渉で返還した undefined 日清戦争の講和条約で日本は韓国を併合し、統監府を置いて伊藤博文を初代統監とした)
- 明治維新期の対外関係に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 岩倉使節団の出発後、留守政府は征韓論を退け、西郷隆盛と板垣退助は政府に残って内治優先を進めた イ 日朝修好条規は江華島事件をきっかけに結ばれ、日本の領事裁判権を認めさせるなど日本に有利な内容だった ウ 樺太・千島交換条約では日本が樺太を領有し、千島列島をロシアに譲った エ 日清修好条規は日本が清に領事裁判権を認めさせた不平等条約で、日清戦争の原因になった undefined 琉球については清との交渉で領有が認められたため、沖縄県の設置は清の同意のもとで行われた)
標準
- 近代の制度・条約について、下関条約(1895 年)の内容として正しいものはどれですか。 (ア 清は韓国に対する日本の指導権を認め、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道を日本に譲った イ 清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲り、賠償金 2 億両を支払うことになった ウ 清は朝鮮の独立を認め、台湾と澎湖諸島を日本に譲ったが、賠償金は支払わなかったため国内で講和への不満が高まった エ 清は日本の領事裁判権を認め、関税自主権を放棄したが、領土の割譲や賠償金は定められなかった undefined 清は日本に遼東半島を譲ったが、南樺太については日本とロシアの共同管理とすることが定められた)
- 次の説明にあてはまる出来事はどれですか。 「海軍軍縮条約への調印を、天皇の統帥権を政府が侵したものだとして野党と軍部が攻撃した」 (ア 統帥権干犯問題 イ 盧溝橋事件 ウ 二・二六事件 エ 日比谷焼打ち事件 undefined 西南戦争)
- 自由民権運動と憲法制定に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 帝国議会は貴族院のみの一院制で、予算と法律は天皇が議会に諮問せずに定めることができた イ 第 1 回衆議院議員総選挙では満 25 歳以上のすべての男子に選挙権が与えられ、有権者は全人口の約 2 割にのぼった ウ 明治十四年の政変で政府は大隈重信を罷免するとともに、国会開設の勅諭を出して 10 年後の国会開設を約束した エ 民撰議院設立建白書を提出した板垣退助は、イギリス流の議院内閣制を掲げて立憲改進党を結成した undefined 大日本帝国憲法はフランスの憲法を手本に起草され、主権在民と抵抗権を明記した)
- 条約改正に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 関税自主権の回復は日清戦争の直前に達成され、日本は戦費を関税収入でまかなうことができた イ 岩倉使節団は欧米との条約改正交渉に成功し、帰国後すぐに領事裁判権が撤廃された ウ 領事裁判権の撤廃は日露戦争後のポーツマス条約で初めて実現し、これによって不平等条約は完全に解消された エ 領事裁判権の撤廃は 1894 年に陸奥宗光外相が日英通商航海条約で実現し、関税自主権の完全回復は 1911 年に小村寿太郎外相が達成した undefined 井上馨外相は鹿鳴館での欧化政策によって国内の広い支持を集め、外国人判事の任用を一切認めないまま領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復を同時に実現した)
- 明治期の経済・社会に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 1901 年に結成された社会民主党は合法政党として議会に議席を得て、労働組合法の制定を実現した イ 日清戦争の賠償金を財源の一部として官営八幡製鉄所が建設され、1901 年に操業を始めて重工業発展の基礎になった ウ 工場法は 1911 年に制定されて直ちに施行され、すべての工場で 8 時間労働制が義務づけられた エ 1880 年代の松方財政は積極的な紙幣発行によるインフレ政策で、農産物価格の上昇によって自作農が増えた undefined 日本の産業革命は重工業から始まり、造船・製鉄が確立したあとで紡績業や製糸業が発達した)
- 大正デモクラシーに関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 治安維持法は普通選挙法より 10 年遅れて制定され、共産主義運動の取り締まりを目的とした イ 普通選挙法は 1925 年に成立し、満 25 歳以上の男女すべてに衆議院議員の選挙権を与えた ウ 吉野作造の民本主義は、主権が国民にあることを前提として天皇制の廃止を主張した エ 原敬内閣は衆議院第一党の立憲政友会を基盤とする初の本格的政党内閣だったが、普通選挙の実施には反対した undefined 第一次護憲運動によって桂太郎内閣が倒れ、直ちに男子普通選挙が実現した)
発展
- 昭和初期の経済と政治に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 満洲事変は五・一五事件のあとに起こり、政党内閣が終わったことで軍部が大陸への進出を本格化させた イ 金融恐慌は世界恐慌の影響で 1930 年に起こり、若槻礼次郎内閣は金輸出を再禁止して収束させた ウ ロンドン海軍軍縮条約は軍部の強い支持を受けて調印され、政党内閣への国民の信頼を高めた エ 浜口雄幸内閣が旧平価で実施した金解禁は、世界恐慌と重なって輸出の減少と物価の下落を招き、昭和恐慌の一因になった undefined 高橋是清蔵相は金本位制への復帰と緊縮財政によって昭和恐慌からの脱出を図り、軍事費を大幅に削減した)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 A 五・一五事件 B 国際連盟脱退 C 満洲事変 D 二・二六事件 E 金解禁 (ア C → E → A → D → B イ C → A → E → B → D ウ E → C → B → A → D エ E → C → A → B → D undefined E → A → C → B → D)
- 日中戦争から太平洋戦争に至る過程に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 盧溝橋事件は上海郊外で起きた日中両軍の衝突で、日本政府は事件の直後に中国に対して正式に宣戦布告し、全面戦争に入った イ 日中戦争の開始と同時に日本は国際連盟から脱退し、国際的に孤立を深めた ウ 国家総動員法は、政府が議会の承認を経ずに勅令で人的・物的資源を動員できるようにした法律で、第一次近衛文麿内閣のもとで成立した エ 大政翼賛会は既成政党が合同して結成した新しい政党で、以後の総選挙では複数政党による競争が続いた undefined 日独伊三国同盟の締結と同じ年に日ソ中立条約が結ばれ、日本は北方の安全を確保して南進を進めた)
近代(明治維新〜大正デモクラシー〜昭和初期) ── 解答
基礎
- ア 1881 年 答え:1881 年。1871 廃藩置県 → 1873 徴兵令・地租改正 → 1874 建白書 → 1877 西南戦争 → 1881 勅諭 → 1885 内閣制度 → 1889 憲法 → 1890 議会 → 1894 日清 → 1902 日英同盟 → 1905 ポーツマス → 1910 併合 → 1911 関税自主権 → 1918 米騒動 → 1925 普選法 → 1927 金融恐慌 → 1931 満洲事変 → 1932 五・一五 → 1936 二・二六 → 1938 総動員法。
- イ 第二次護憲運動の後に護憲三派内閣を組織し、普通選挙法と治安維持法を成立させた 加藤高明は「第二次護憲運動の後に護憲三派内閣を組織し、普通選挙法と治安維持法を成立させた」。人物は「内閣・出来事・結果」の行で覚える。
- undefined 廃藩置県では藩を廃止して府県を置き、旧藩主に代わって中央から府知事・県令を派遣した 版籍奉還では藩主が知藩事として残り、藩は 1871 年の廃藩置県で廃止された。徴兵令は身分を問わない国民皆兵(免役規定は多かった)。学制は授業料負担があり就学率は低かった。地租改正は地価の 3%の金納。
- ウ 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約では賠償金が得られず、国民の不満から日比谷焼打ち事件が起こった 三国干渉はロシア・ドイツ・フランス。日露戦争の背景は日英同盟(1902)、講和はアメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトの仲介でポーツマス。韓国併合は 1910 年。台湾・澎湖諸島と賠償金 2 億両は下関条約。
- イ 日朝修好条規は江華島事件をきっかけに結ばれ、日本の領事裁判権を認めさせるなど日本に有利な内容だった 樺太・千島交換条約(1875)は樺太を放棄して千島全島を領有。征韓論は帰国した岩倉・大久保らが退け、西郷・板垣は下野した(明治六年の政変)。琉球処分(1879)に清は抗議し、帰属は日清戦争まで未解決。日清修好条規(1871)は対等な条約。
標準
- イ 清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲り、賠償金 2 億両を支払うことになった 清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲り、賠償金 2 億両を支払うことになった。制度・条約は「誰が・いつ・何を・その結果」の 4 点で覚える。
- ア 統帥権干犯問題 答え:統帥権干犯問題。出来事は「きっかけ → 経過 → 結果」の 3 段で覚えると、選択肢の因果の入れかえに気づける。
- ウ 明治十四年の政変で政府は大隈重信を罷免するとともに、国会開設の勅諭を出して 10 年後の国会開設を約束した 板垣は自由党(フランス流)、立憲改進党(イギリス流)は大隈。憲法はプロイセン(ドイツ)の憲法を参考にした欽定憲法。第 1 回総選挙の有権者は直接国税 15 円以上の満 25 歳以上男子で全人口の約 1%。議会は衆議院・貴族院の二院制で、予算・法律には議会の協賛が必要。
- エ 領事裁判権の撤廃は 1894 年に陸奥宗光外相が日英通商航海条約で実現し、関税自主権の完全回復は 1911 年に小村寿太郎外相が達成した 岩倉使節団の予備交渉は失敗。井上馨の欧化政策と外国人判事任用案は国内の反発を招いて中止された。関税自主権の回復(1911)は日清・日露戦争の後。ポーツマス条約は日露戦争の講和条約で、条約改正とは別。
- イ 日清戦争の賠償金を財源の一部として官営八幡製鉄所が建設され、1901 年に操業を始めて重工業発展の基礎になった 産業革命は紡績業(大阪紡績会社など)から始まり、日清戦争後に重工業へ。松方財政は緊縮・デフレ政策で、農民の没落と寄生地主制の進行を招いた。工場法は 1911 年制定・1916 年施行で、適用範囲や労働時間規制は限定的。社会民主党は結成の 2 日後に禁止された。
- エ 原敬内閣は衆議院第一党の立憲政友会を基盤とする初の本格的政党内閣だったが、普通選挙の実施には反対した 普通選挙法の成立は 1925 年(加藤高明内閣)で、第一次護憲運動(1912〜13)の直後ではない。民本主義は主権の所在を問わず、天皇主権のもとで政党政治を説いた。普選法の対象は男子のみ。治安維持法は普選法と同じ 1925 年。
発展
- エ 浜口雄幸内閣が旧平価で実施した金解禁は、世界恐慌と重なって輸出の減少と物価の下落を招き、昭和恐慌の一因になった 金融恐慌は 1927 年で世界恐慌(1929)より前。高橋是清は金輸出再禁止(1931 年末)と積極財政(軍事費・公共事業の拡大)で恐慌脱出を図った。ロンドン条約は統帥権干犯問題として軍部・野党の攻撃を受けた。満洲事変(1931)は五・一五事件(1932)より前。
- エ E → C → A → B → D 金解禁 1930 → 満洲事変 1931 → 五・一五事件 1932 → 国際連盟脱退 1933 → 二・二六事件 1936。昭和初期は 1 年刻みで出来事が続くので、順序で問われやすい。
- ウ 国家総動員法は、政府が議会の承認を経ずに勅令で人的・物的資源を動員できるようにした法律で、第一次近衛文麿内閣のもとで成立した 盧溝橋事件は北京郊外で、宣戦布告のないまま戦争が拡大した。大政翼賛会は政党が解散して参加した官製の組織で政党ではない。三国同盟は 1940 年、日ソ中立条約は 1941 年。国際連盟脱退は 1933 年で日中戦争(1937)より前。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-03/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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