現代(占領改革・高度成長・平成) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 沖縄返還・日中共同声明 (ア 1978 年 イ 1965 年 ウ 1964 年 エ 1972 年 undefined 1973 年)
- 竹下登内閣のもとで行われたこととして正しいものはどれですか。 (ア 消費税を税率 3%で導入した イ 自民・社会・さきがけの連立で社会党の党首として首相になった ウ 非自民の連立政権を組織して 55 年体制を終わらせ、小選挙区比例代表並立制を導入した エ 電電公社・専売公社・国鉄の民営化を進め、行財政改革を掲げた undefined 日韓基本条約を結び、非核三原則を掲げて沖縄返還を実現した)
- GHQ による占領改革に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア GHQ は日本政府を解体してアメリカ軍が直接行政を行う直接統治の方式をとり、都道府県知事もアメリカ軍人が務めたため、五大改革指令は日本政府を経ずに実施された イ 労働三法のうち労働基準法が最初に制定され、労働組合法は占領の終了後に制定された ウ 女性参政権は日本国憲法の施行によって初めて認められ、1947 年の総選挙で女性議員が誕生した エ GHQ は日本政府に指令を出して政策を実行させる間接統治の方式をとり、五大改革指令によって婦人の解放や労働組合の結成奨励などを求めた undefined 教育改革では教育勅語が改めて教育の基本理念とされ、6・3・3・4 制の学校制度が定められた)
- 高度経済成長期に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 国民所得倍増計画を掲げたのは佐藤栄作内閣で、10 年間で国民所得を 2 倍にする目標は石油危機の影響で達成されないまま計画は打ち切られた イ 公害対策基本法は四大公害訴訟の判決がすべて出たあとの 1980 年に制定され、同時に環境省が発足した ウ 高度経済成長は農業の輸出によって支えられ、農村の人口は増え続けて都市への人口移動はほとんど起こらなかった エ 1964 年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開業し、日本は OECD に加盟して先進国の一員として資本の自由化を進めた undefined 1968 年に日本の GNP は資本主義国の中でアメリカを抜いて第 1 位になった)
- 2000 年代以降の日本に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 2008 年のリーマン・ショック後、日本は世界で唯一マイナス成長を避けることができた イ 小泉純一郎内閣は郵政民営化を中心とする構造改革を進め、2005 年に郵政民営化法が成立した ウ 2001 年の中央省庁再編によって環境庁が環境省に格上げされ、同時に大蔵省の名称はそのまま維持された エ 2011 年の東日本大震災の直後に消費税率は 10%に引き上げられ、復興財源にあてられた undefined 2012 年の総選挙で民主党が政権を維持し、鳩山由紀夫が再び首相になった)
- 占領期(1945〜52 年)の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 田中角栄内閣が日中共同声明に調印して中華人民共和国との国交を正常化し、同時に中華民国(台湾)との国交は断絶した イ 小泉純一郎内閣が郵政民営化法を成立させ、道路公団の民営化など構造改革を進めた ウ 中曽根康弘内閣が国鉄・電電公社・専売公社の民営化を進め、行政改革によって財政の立て直しをはかった エ 池田勇人内閣が国民所得倍増計画を決定し、10 年間で国民所得を 2 倍にする目標を掲げて高度経済成長を後押しした undefined GHQ の指令による農地改革で、不在地主の小作地などを政府が買い上げて小作人に安く売り渡し、自作農が大幅に増えた)
- 1950 年代の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 吉田茂内閣がサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に調印し、鳩山一郎内閣が日ソ共同宣言でソ連と国交を回復して日本は国際連合に加盟した イ 竹下登内閣のもとで税率 3% の消費税が導入され、昭和から平成に元号が改まった ウ 岸信介内閣が日米安全保障条約の改定に調印し、国会での強行採決に反対する大規模なデモが国会を取り囲んだ エ 細川護熙内閣が非自民 8 党派の連立で成立して 55 年体制が終わり、翌年に衆議院へ小選挙区比例代表並立制が導入された undefined 田中角栄内閣が日中共同声明で中華人民共和国と国交を正常化し、沖縄がアメリカから日本に返還された)
標準
- 戦後の日本について、55 年体制の説明として正しいものはどれですか。 (ア 1955 年に左右社会党の統一と保守合同で成立した体制で、自由民主党と日本社会党がほぼ同数の議席をもち、両党が交互に政権を担当する二大政党制が 1993 年まで続いた イ 1955 年に成立し、自民党と社会党の議席がほぼ同数だったため「1 と 2 分の 1 政党制」と呼ばれた ウ 1955 年の総選挙で社会党が単独過半数を得て成立した体制で、自民党は野党として 1993 年まで政権に復帰できなかった エ 1955 年に左右社会党の統一と保守合同による自由民主党の結成で成立し、自民党が与党・社会党が野党第一党である状態が 1993 年まで続いた undefined 1955 年に成立し、自民党の分裂によって 1993 年に終わったあと、社会党が単独で政権を担当した)
- 次の説明にあてはまる語はどれですか。 「低金利と余った資金が株式と土地に流れ込み、1980 年代後半に地価と株価が実体経済からかけ離れて上昇した」 (ア 傾斜生産方式 イ バブル経済 ウ 朝鮮特需 エ 第一次石油危機 undefined ニクソン・ショック)
- 日本国憲法の制定に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 日本国憲法は 1946 年 11 月 3 日に公布され、1947 年 5 月 3 日に施行された。大日本帝国憲法の改正手続を経て成立している イ 日本国憲法は 1947 年 5 月 3 日に公布され、同じ年の 11 月 3 日に施行された。大日本帝国憲法は公布と同時に廃止する法律が別に定められた ウ 日本国憲法は占領の終了後に制定され、主権回復と同時に施行された エ 日本国憲法は国民投票によって承認されて成立し、大日本帝国憲法の改正手続は経ていない undefined 日本政府が独自に作成した松本案がそのまま政府案となり、GHQ の関与なく帝国議会で可決された)
- 戦後の日本の外交に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 沖縄返還は 1972 年に田中角栄内閣のもとで実現し、返還と同時にアメリカ軍基地はすべて撤去された イ サンフランシスコ平和条約の発効と同時に日本は国際連合に加盟し、その翌年には安全保障理事会の非常任理事国に選ばれてアジアを代表する立場を得た ウ 日ソ共同宣言によってソ連との戦争状態が終わり、ソ連が日本の国連加盟を支持したため、1956 年に日本の国際連合加盟が実現した エ 日中共同声明によって中華人民共和国と国交を正常化した福田赳夫内閣は、同じ年に日中平和友好条約も結んだ undefined 日韓基本条約は岸信介内閣のもとで結ばれ、韓国を朝鮮半島における唯一の合法政府と認めた)
- 1970 年代の日本経済に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 1973 年の第一次石油危機で原油価格が急騰し、激しい物価上昇ののち 1974 年に戦後初のマイナス成長を記録して、高度経済成長は終わった イ 1971 年のニクソン・ショックによって円は 1 ドル=360 円から 1 ドル=400 円に切り下げられ、輸出が急増した ウ 第二次石油危機は第四次中東戦争をきっかけに起こり、日本経済は第一次のときより深刻な打撃を受けた エ 1973 年に日本は固定相場制に復帰し、以後 1985 年のプラザ合意まで 1 ドル=308 円の相場が維持された undefined 第一次石油危機のあとも年平均 10%前後の成長が 1980 年代まで続き、安定成長への移行は第二次石油危機のあとだった)
- 1980 年代から 1990 年代初めの日本経済に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア バブル経済は 1985 年のプラザ合意と同時に崩壊し、1980 年代後半は長い不況が続いた イ プラザ合意によって急速な円安が進み、自動車や半導体の輸出が伸びたことでアメリカとの貿易摩擦は解消に向かい、景気は拡大した ウ 中曽根内閣は国鉄・電電公社・専売公社を国有化して経営の立て直しを図った エ 消費税は 1989 年に税率 5%で導入され、1997 年に 3%へ引き下げられた undefined プラザ合意後の円高不況に対応した低金利政策のもとで余った資金が株式と土地に流れ、地価と株価が急上昇するバブル経済が生じた)
- 日本で55 年体制の崩壊(1993 年)が起こった頃、世界で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア アメリカのニクソン大統領が中国を訪問し、米中の関係改善が始まった イ アフリカで 17 か国が独立して「アフリカの年」とよばれた ウ マーストリヒト条約が発効してヨーロッパ連合(EU)が発足した エ ソ連でゴルバチョフが書記長となり、ペレストロイカとよばれる改革を始めた undefined アメリカがトルーマン=ドクトリンで共産主義の封じ込めを宣言し、マーシャル=プランを発表した)
- 1960 年代の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 自由党と日本民主党が保守合同で自由民主党を結成し、左右両派が統一した日本社会党と対抗する 55 年体制が始まった イ 佐藤栄作内閣が日韓基本条約で韓国と国交を開き、1968 年には GNP が資本主義国で第 2 位になった ウ 第四次中東戦争をきっかけに原油価格が急騰し、激しい物価上昇のあと戦後初のマイナス成長を記録した エ 国連平和維持活動への協力を定めた法律が成立し、自衛隊がカンボジアに派遣された undefined 先進 5 か国がドル高を是正することで合意し、急速な円高が進んで輸出産業が円高不況に見舞われた)
- 1990 年代の日本の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア バブル崩壊後の不況のなか阪神・淡路大震災が起こり、消費税率が 5% に上がった年には大手金融機関の破綻が相次いだ イ アメリカが金とドルの交換を停止したことで固定相場制が揺らぎ、円は 1 ドル=360 円から切り上げられて変動相場制に移った ウ 傾斜生産方式で石炭・鉄鋼に資金と資材を重点的に配分し、復興金融金庫の融資がインフレを進めた エ 郵政民営化をめぐって衆議院が解散され、総選挙で自由民主党が大勝して郵政民営化法が成立した undefined 東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開業し、OECD に加盟して先進国の一員となった)
発展
- 平成期の政治に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 2001 年の中央省庁再編では 1 府 12 省庁が 1 府 22 省庁に増やされ、内閣府が廃止された イ 2009 年の総選挙では自由民主党が単独過半数を得て、鳩山由紀夫を首相とする内閣が成立した ウ 1994 年の政治改革で衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入され、あわせて政党助成法が制定された エ PKO 協力法は湾岸戦争に自衛隊を派遣するために 1990 年に制定され、最初の派遣先はクウェートだった undefined 1993 年に自由民主党が分裂して単独過半数を失ったため、社会党の村山富市を首相とする非自民連立内閣が成立して 55 年体制が終わった)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 A 日中共同声明 B 日ソ共同宣言 C 日韓基本条約 D サンフランシスコ平和条約 E 日中平和友好条約 (ア B → D → C → A → E イ B → D → A → C → E ウ D → C → B → A → E エ D → B → C → E → A undefined D → B → C → A → E)
- 占領政策の転換に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 警察予備隊は日本国憲法の施行と同時に創設され、1950 年の朝鮮戦争で朝鮮半島に派遣された イ 公職追放は占領の終了まで拡大が続き、戦前の政治家が政界に復帰することは 1960 年代までなかった ウ 朝鮮戦争の開始を受けて GHQ は財閥解体と農地改革を初めて指令し、軍需の受け皿となる日本経済の民主化と復興を同時に急いだため、両改革は 1950 年代に入ってから本格化した エ 傾斜生産方式はドッジ・ラインのあとに始まり、インフレを収束させて経済を安定させた undefined 冷戦の進行にともなって、アメリカは日本を西側陣営の一員として経済的に自立させる方針に転じ、ドッジ・ラインによる経済安定と朝鮮戦争を機にした警察予備隊の創設が行われた)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 ドッジ・ライン/労働基準法の制定/日本国憲法の公布/ポツダム宣言の受諾/朝鮮戦争の開始 (ア ポツダム宣言の受諾 → 日本国憲法の公布 → 労働基準法の制定 → 朝鮮戦争の開始 → ドッジ・ライン イ ポツダム宣言の受諾 → 労働基準法の制定 → 日本国憲法の公布 → ドッジ・ライン → 朝鮮戦争の開始 ウ ポツダム宣言の受諾 → 日本国憲法の公布 → 労働基準法の制定 → ドッジ・ライン → 朝鮮戦争の開始 エ 日本国憲法の公布 → ポツダム宣言の受諾 → 労働基準法の制定 → ドッジ・ライン → 朝鮮戦争の開始 undefined 朝鮮戦争の開始 → ドッジ・ライン → 労働基準法の制定 → 日本国憲法の公布 → ポツダム宣言の受諾)
- 戦後の日本経済の流れを説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア 傾斜生産方式による復興のあとドッジ・ラインでインフレが収束し、朝鮮戦争の特需を経て高度経済成長に入り、第一次石油危機で安定成長に移り、プラザ合意後の低金利のもとでバブル経済が生じた イ 傾斜生産方式で復興したあと朝鮮戦争の特需でインフレが収束し、ドッジ・ラインで高度経済成長が始まり、第二次石油危機のあとプラザ合意でバブル経済が崩壊した ウ ドッジ・ラインでインフレを収束させたあと傾斜生産方式で基幹産業を復興させ、第一次石油危機の特需で高度経済成長に入り、プラザ合意による円安で輸出が伸びてバブル経済が生じた エ ドッジ・ラインで復興したあと朝鮮戦争の特需でインフレが起こり、傾斜生産方式で高度経済成長に入り、プラザ合意による円高不況ののち第一次石油危機で安定成長に移った undefined 朝鮮戦争の特需で復興したあと傾斜生産方式で重化学工業化を進め、プラザ合意で高度経済成長に入り、第一次石油危機で安定成長に移ってバブル経済が崩壊した)
現代(占領改革・高度成長・平成) ── 解答
基礎
- エ 1972 年 答え:1972 年。1946 憲法公布 → 1947 施行 → 1949 ドッジ・ライン → 1950 朝鮮戦争 → 1951 平和条約 → 1955 保守合同 → 1956 日ソ・国連 → 1960 新安保 → 1964 五輪 → 1965 日韓 → 1972 沖縄・日中 → 1973 石油危機 → 1978 日中平和友好 → 1985 プラザ → 1989 消費税 → 1993 細川 → 2001 省庁再編 → 2009 政権交代 → 2011 大震災。
- ア 消費税を税率 3%で導入した 竹下登内閣は「消費税を税率 3%で導入した」。戦後史は内閣名を軸に「内閣 ── 出来事 ── 経済」の 3 列で覚える。
- エ GHQ は日本政府に指令を出して政策を実行させる間接統治の方式をとり、五大改革指令によって婦人の解放や労働組合の結成奨励などを求めた 沖縄などを除き本土は間接統治。女性参政権は 1945 年 12 月の選挙法改正で認められ、1946 年 4 月の総選挙で女性議員 39 人が当選した。教育勅語は失効し教育基本法(1947)が理念となった。労働組合法(1945)→ 労働関係調整法(1946)→ 労働基準法(1947)の順。
- エ 1964 年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開業し、日本は OECD に加盟して先進国の一員として資本の自由化を進めた 所得倍増計画は池田勇人内閣(1960)で、目標は前倒しで達成された。成長は工業と輸出が支え、農村から都市への大規模な人口移動が起こった。公害対策基本法は 1967 年、環境庁は 1971 年(環境省は 2001 年)。1968 年に GNP は西ドイツを抜いて資本主義国第 2 位。
- イ 小泉純一郎内閣は郵政民営化を中心とする構造改革を進め、2005 年に郵政民営化法が成立した 大蔵省は 2001 年に財務省へ改称。リーマン・ショック後は日本も大きなマイナス成長。消費税は 2014 年に 8%、2019 年に 10%。2012 年の総選挙で自民党が政権に復帰し第二次安倍晋三内閣が成立。
- undefined GHQ の指令による農地改革で、不在地主の小作地などを政府が買い上げて小作人に安く売り渡し、自作農が大幅に増えた 農地改革(1946〜50 年)は占領期の民主化政策。2 は 1960 年、3 は 1972 年、4 は 1985〜87 年、5 は 2005 年。
- ア 吉田茂内閣がサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に調印し、鳩山一郎内閣が日ソ共同宣言でソ連と国交を回復して日本は国際連合に加盟した 平和条約・安保条約(1951 年)、日ソ共同宣言・国連加盟(1956 年)は 1950 年代。2 は 1960 年、3 は 1972 年、4 は 1989 年、5 は 1993〜94 年。
標準
- エ 1955 年に左右社会党の統一と保守合同による自由民主党の結成で成立し、自民党が与党・社会党が野党第一党である状態が 1993 年まで続いた 1955 年に左右社会党の統一と保守合同による自由民主党の結成で成立し、自民党が与党・社会党が野党第一党である状態が 1993 年まで続いた。戦後史の誤答は「内閣の入れかえ」「順序の入れかえ」「因果の逆転(プラザ合意 → 円高)」の 3 型が多い。
- イ バブル経済 答え:バブル経済。経済の出来事は「インフレ → ドッジ・ライン → 特需 → 高度成長 → 石油危機 → 安定成長 → プラザ合意 → バブル → 崩壊」の一本の線に置いて覚える。
- ア 日本国憲法は 1946 年 11 月 3 日に公布され、1947 年 5 月 3 日に施行された。大日本帝国憲法の改正手続を経て成立している 松本案は保守的だとして GHQ が受け入れず、GHQ 草案をもとに政府案が作られ、帝国議会の審議・修正を経て、大日本帝国憲法 73 条の改正手続で成立した。国民投票は行われていない。
- ウ 日ソ共同宣言によってソ連との戦争状態が終わり、ソ連が日本の国連加盟を支持したため、1956 年に日本の国際連合加盟が実現した 国連加盟は平和条約(1951 年調印・52 年発効)の 4 年後。日中共同声明は田中角栄(1972)、日中平和友好条約は福田赳夫(1978)。日韓基本条約は佐藤栄作(1965)。沖縄返還は佐藤栄作内閣で、基地は残った。
- ア 1973 年の第一次石油危機で原油価格が急騰し、激しい物価上昇ののち 1974 年に戦後初のマイナス成長を記録して、高度経済成長は終わった ニクソン・ショック後は 1 ドル=308 円への切り上げ(円高)、1973 年に変動相場制へ移行。石油危機後は年 4〜5%程度の安定成長。第二次石油危機(1979)はイラン革命が背景で、省エネ化により打撃は第一次より小さかった。
- undefined プラザ合意後の円高不況に対応した低金利政策のもとで余った資金が株式と土地に流れ、地価と株価が急上昇するバブル経済が生じた プラザ合意はドル高是正 → 円高。中曽根内閣は 3 公社の民営化(1985 年に NTT・JT、1987 年に JR)。消費税は 1989 年に 3%で導入、1997 年に 5%、2014 年に 8%、2019 年に 10%。バブル崩壊は 1990〜91 年頃。
- ウ マーストリヒト条約が発効してヨーロッパ連合(EU)が発足した 答え:マーストリヒト条約が発効してヨーロッパ連合(EU)が発足した。対応は、1947 憲法施行 ↔ 1947 トルーマン=ドクトリン・マーシャル=プラン/1960 新安保条約 ↔ 1960 アフリカの年/1972 沖縄返還 ↔ 1972 ニクソン訪中/1985 プラザ合意 ↔ 1985 ゴルバチョフ登場/1993 55 年体制崩壊 ↔ 1993 EU 発足/2011 東日本大震災 ↔ 2011 アラブの春。戦後史は冷戦の節目(1947 開始・1972 デタント・1985〜89 終結)と日本の外交をそろえて覚える。
- イ 佐藤栄作内閣が日韓基本条約で韓国と国交を開き、1968 年には GNP が資本主義国で第 2 位になった 日韓基本条約(1965 年)・GNP 第 2 位(1968 年)はいずれも 1960 年代。保守合同と 55 年体制は 1955 年、第一次石油危機は 1973〜74 年、プラザ合意は 1985 年、PKO 協力法とカンボジア派遣は 1992 年。
- ア バブル崩壊後の不況のなか阪神・淡路大震災が起こり、消費税率が 5% に上がった年には大手金融機関の破綻が相次いだ 阪神・淡路大震災(1995 年)、消費税 5% と金融危機(1997 年)は 1990 年代。金・ドル交換停止と変動相場制への移行は 1971〜73 年、傾斜生産方式は 1947 年〜、郵政解散は 2005 年、東京オリンピックは 1964 年。
発展
- ウ 1994 年の政治改革で衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入され、あわせて政党助成法が制定された 1993 年に成立したのは細川護熙の非自民 8 党派連立内閣。村山内閣(1994)は自民・社会・さきがけの連立。省庁再編は 1 府 22 省庁 → 1 府 12 省庁で内閣府を新設。PKO 協力法は 1992 年で最初の派遣はカンボジア。2009 年は民主党が第一党になった政権交代。
- undefined D → B → C → A → E 平和条約 1951 → 日ソ共同宣言 1956 → 日韓基本条約 1965 → 日中共同声明 1972 → 日中平和友好条約 1978。相手国ごとの国交回復の順序は問われやすい。
- undefined 冷戦の進行にともなって、アメリカは日本を西側陣営の一員として経済的に自立させる方針に転じ、ドッジ・ラインによる経済安定と朝鮮戦争を機にした警察予備隊の創設が行われた 財閥解体・農地改革は 1945〜46 年に始まった改革で朝鮮戦争より前。警察予備隊は 1950 年の朝鮮戦争開始後に創設され、海外には派遣されていない。公職追放は 1950 年頃から解除が進んだ。傾斜生産方式(1946 末〜)はドッジ・ライン(1949)より前でインフレを招いた。
- ウ ポツダム宣言の受諾 → 日本国憲法の公布 → 労働基準法の制定 → ドッジ・ライン → 朝鮮戦争の開始 答え:ポツダム宣言の受諾 → 日本国憲法の公布 → 労働基準法の制定 → ドッジ・ライン → 朝鮮戦争の開始(1945 → 1946 → 1947 → 1949 → 1950)。戦後史は「どの内閣のときか」(吉田/鳩山/岸/池田/佐藤/田中/中曽根/竹下/細川/橋本/小泉/民主党政権)を軸にすると前後が決まる。
- ア 傾斜生産方式による復興のあとドッジ・ラインでインフレが収束し、朝鮮戦争の特需を経て高度経済成長に入り、第一次石油危機で安定成長に移り、プラザ合意後の低金利のもとでバブル経済が生じた 順序は傾斜生産方式(1947 年〜)→ ドッジ・ライン(1949 年)→ 特需(1950 年〜)→ 高度経済成長(1955〜73 年)→ 第一次石油危機(1973 年)→ 安定成長 → プラザ合意(1985 年)→ バブル(1986〜91 年)。2 は傾斜生産とドッジの順が逆で、石油危機は特需ではなく、プラザ合意は円安ではなく円高。3〜5 は順序と因果(インフレを収束させたのはドッジ・ライン、バブルを生んだのはプラザ合意後の低金利)が入れ替わっている。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-04/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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