近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義) ── 問題
基礎
- 近代の欧米の人物について、ヴァスコ・ダ・ガマの説明として妥当なものはどれですか。 (ア スペイン女王の支援を受けて大西洋を西へ進み、1492 年にカリブ海の島に到達した イ 南アメリカ南端の海峡を抜けて太平洋を横断し、その一行が初めて世界周航を成しとげた ウ アフリカ南端の喜望峰を回ってインドのカリカットに到達し、インド航路を開いた エ 南アメリカの沿岸を探検し、そこが未知の大陸であると報告してその名が新大陸の名称になった undefined アフリカ南端に到達し、のちに喜望峰と名づけられる岬を発見してインド航路の可能性を示した)
- 1648 年に起きた出来事はどれですか。 (ア ナントの王令が廃止された イ チャールズ 1 世が処刑された ウ ウェストファリア条約が結ばれた エ 三十年戦争が始まった undefined 権利の章典が制定された)
- ルネサンス期に実用化・改良され、のちの社会を大きく変えた「三大発明(改良)」の組合せとして妥当なものはどれですか。 (ア 火薬・羅針盤・活版印刷 イ 紙・羅針盤・活版印刷 ウ 火薬・羅針盤・蒸気機関 エ 紙・火薬・望遠鏡 undefined 火薬・望遠鏡・活版印刷)
- イギリスの名誉革命(1688〜89 年)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ジェームズ 2 世を退位させ、オランダからウィリアムとメアリを迎えて権利の章典を認めさせた、ほぼ流血のない革命 イ チャールズ 2 世の王政復古によって議会が解散され、国王の専制が復活した政変 ウ チャールズ 1 世を処刑してクロムウェルが共和政を樹立した、議会派と王党派の内戦をともなう革命 エ アイルランドを併合してグレートブリテン・アイルランド連合王国を成立させた出来事 undefined ウォルポールが首相となり、内閣が議会に対して責任を負う制度を確立した政治改革)
- フランス革命の出来事を古い順に並べたものとして妥当なものはどれですか。 (ア バスティーユ牢獄襲撃 → 三部会の招集 → 人権宣言 → テルミドールの反動 → ルイ 16 世の処刑 → ブリュメール 18 日のクーデタ イ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → 人権宣言 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ ウ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ エ 三部会の招集 → 人権宣言 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → ブリュメール 18 日のクーデタ → テルミドールの反動 undefined 人権宣言 → 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ)
- 16 世紀のヨーロッパの出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ナポレオン失脚後の国際秩序を話し合う会議がウィーンで開かれ、正統主義と勢力均衡を原則とする体制が築かれた イ ジェームズ 2 世が追放されてオランダからウィリアムとメアリが迎えられ、議会の優位を定めた権利の章典が制定された ウ ワットの改良した蒸気機関が紡績工場や製鉄業に使われ、工場制機械工業による産業革命がイギリスで進んだ エ ルターが贖宥状を批判して宗教改革が始まり、カルヴァンが予定説を唱え、ヘンリ 8 世が国教会を成立させた undefined 教皇の呼びかけで十字軍が組織され、聖地イェルサレムの回復をめざしてヨーロッパの諸侯や騎士が東方に遠征した)
標準
- 近代の文書・条約について、アメリカ独立宣言(1776 年)の内容として妥当なものはどれですか。 (ア ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を唱え、ヨーロッパ諸国の干渉を拒んだ イ 人は生まれながらに自由で平等な権利をもつとし、国民主権・所有権の不可侵などを定めた ウ 生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした エ 連邦制と三権分立を定め、大統領を国家元首とする共和政の統治機構を規定した undefined 議会の同意のない課税や法律の停止を禁じ、議会の権利を確認して立憲君主政の基礎となった)
- 19 世紀の欧米について、1848 年のフランス二月革命の結果として妥当なものはどれですか。 (ア ブルボン朝が復活し、ルイ 18 世が憲章を発布して立憲王政が始まった イ シャルル 10 世が亡命し、ルイ・フィリップが即位して立憲王政(七月王政)が成立した ウ 王政が廃止されて第二共和政が成立し、ルイ・ナポレオンが大統領に選ばれた エ 普仏戦争の敗北でナポレオン 3 世が退位し、パリ・コミューンの鎮圧を経て第三共和政が成立した undefined ルイ 16 世が処刑され、ジャコバン派による恐怖政治が始まった)
- 絶対王政を理論面で支えた考え方と、その経済政策の組合せとして妥当なものはどれですか。 (ア 王権神授説 ── 重商主義 イ 社会契約説 ── 自由放任主義 ウ 社会契約説 ── 重商主義 エ 王権神授説 ── 自由放任主義 undefined 正統主義 ── 重農主義)
- アメリカ独立革命の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 本国の重商主義政策そのものは支持していたが、宗教上の対立が深まって独立に至った イ 独立宣言は権利の章典をそのまま引用したもので、イギリス国王の主権を認めていた ウ 本国の課税強化に「代表なくして課税なし」と反発して独立を宣言し、パリ条約で独立を承認された エ 独立宣言と同時にフランスとスペインが本国側について参戦したため、戦争が長期化した undefined 独立後ただちに州を廃止して中央集権的な単一国家をつくり、初代大統領に立法権を含む強い権限を与えた)
- ナポレオン 1 世に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア ウィーン会議に自ら出席し、フランスの領土を革命前より拡大することに成功した イ トラファルガーの海戦に敗れたのち、大陸封鎖令でイギリスの孤立を図った ウ 統領政府の成立と同時に皇帝に即位し、革命期の法典をすべて廃止した エ 大陸封鎖令に従わなかったイギリスに遠征し、ロンドンを一時占領した undefined ロシア遠征に成功してモスクワを恒久的に支配下に置き、ロシア皇帝を退位させた)
- 1848 年革命(「諸国民の春」)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ロシアのデカブリストの乱が各国に波及し、ロシアでは同年に農奴解放令が出された イ フランスの七月革命がウィーンに波及し、メッテルニヒが宰相に就任して保守的なウィーン体制が成立した ウ イギリスのチャーティスト運動が大陸に波及し、各国で同年中に男子普通選挙が実現した エ イタリアの統一戦争がドイツに波及し、同年にドイツ帝国が成立した undefined 二月革命がウィーン・ベルリンの三月革命に波及し、メッテルニヒが失脚してウィーン体制が崩壊した)
- 世界で三十年戦争が終わりウェストファリア条約が結ばれた(1648 年)頃、日本で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア 松尾芭蕉が『奥の細道』の旅に出て、俳諧を芸術の域に高めた イ 豊臣秀吉が刀狩令を出して農民から武器を取り上げ、兵農分離を進めた ウ 伊能忠敬の測量をもとにした『大日本沿海輿地全図』が完成した エ 杉田玄白・前野良沢らがオランダ語の解剖書を翻訳した『解体新書』を出版した undefined オランダ商館が平戸から長崎の出島に移され、いわゆる鎖国体制が固まった)
- 17 世紀のヨーロッパの出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 列強がアフリカ分割を進め、イギリスの縦断政策とフランスの横断政策がファショダで衝突した イ ナポレオンがトラファルガーの海戦でイギリスに敗れたのち大陸封鎖令を出し、ロシア遠征に失敗して退位した ウ 三十年戦争がウェストファリア条約で終わり、イギリスではピューリタン革命と名誉革命を経て議会の優位が確立した エ 財政難から召集された三部会が国民議会に発展し、バスティーユ牢獄の襲撃をきっかけに革命が始まって人権宣言が出された undefined ルターの宗教改革に対抗してカトリック側がトリエント公会議で教義を再確認し、イエズス会がアジア・アメリカへの布教を進めた)
- 18 世紀の欧米の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア プロイセンの宰相ビスマルクがオーストリア・フランスとの戦争に勝ち、ヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言した イ イギリスで産業革命が始まり、北アメリカの 13 植民地が独立を宣言し、フランスでは革命で王政が倒された ウ 議会がジェームズ 2 世を追放してオランダからウィリアムとメアリを迎え、権利の章典で議会の優位を認めさせた エ 奴隷制の拡大をめぐって北部と南部が対立し、リンカンが大統領に当選すると南部諸州が連邦を離脱して内戦になった undefined ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってインドに到達し、スペインの援助を受けたコロンブスがカリブ海の島に到達した)
発展
- 帝国主義の時代について、イギリスの 3C 政策とドイツの 3B 政策の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 3C はカイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶドイツの政策、3B はベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶイギリスの政策 イ 3C はイギリスのアフリカ横断政策、3B はフランスのアフリカ縦断政策を指し、両者はファショダで衝突した ウ 3C はカルカッタ・カントン・コロンボを結ぶイギリスの政策、3B はボンベイ・バグダード・バスラを結ぶドイツの政策 エ 3C はカイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶイギリスの政策、3B はベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶドイツの政策 undefined 3C はイギリス・フランス・ロシアの三国協商、3B はドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟を指す言葉)
- アヘン戦争とその講和条約の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 清はイギリスに香港島を期限つきの租借地として貸与し、九龍半島は開戦前に返還された イ フランスが単独で開戦し、天津条約で 11 港の開港と賠償金の支払いを清に認めさせた ウ 林則徐の取り締まりを機にイギリスが開戦し、南京条約で香港島の割譲や 5 港の開港を認めさせた エ 清が勝利してアヘンの輸入は全面的に禁止され、広州の公行貿易が続いた undefined 南京条約で清はキリスト教布教の自由と外国公使の北京駐在を認め、天津を開港した)
- 産業革命後のイギリス社会の変化として妥当なものはどれですか。 (ア 第二次囲い込みが禁止されて自作農が増え、地主階級はこの時期に消滅した イ 工場制機械工業の発達で農村の人口が増え、マンチェスターなどの工業都市の人口は減少した ウ 工場制機械工業が広がって資本家と労働者が分かれ、工場法の制定や労働組合の結成が進んだ エ ギルドが工場を統制したため、職人の手工業生産が主流のまま 19 世紀末まで続いた undefined 重商主義が強化されて穀物法が制定され、自由貿易は 20 世紀に入るまで実現しなかった)
- ドイツ帝国成立後のビスマルクの政策として妥当なものはどれですか。 (ア 大ドイツ主義をとり、オーストリアを帝国に組み込んで多民族帝国を築いた イ 3B 政策を推進してバグダード鉄道の敷設を始め、イギリスと対立を深めた ウ 社会主義者鎮圧法を廃止するとともに、疾病保険などの社会保険制度も廃止した エ 三国同盟などでフランスを孤立させ、ヴィルヘルム 2 世と対立して辞任した undefined フランスと同盟を結んでイギリスの孤立をねらい、大規模な海軍拡張を進めた)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 ベルリン会議(ビスマルクの調停)/イタリア王国の成立/アメリカ南北戦争の終結/プロイセン=オーストリア戦争/ドイツ帝国の成立 (ア イタリア王国の成立 → アメリカ南北戦争の終結 → プロイセン=オーストリア戦争 → ドイツ帝国の成立 → ベルリン会議(ビスマルクの調停) イ イタリア王国の成立 → アメリカ南北戦争の終結 → ドイツ帝国の成立 → プロイセン=オーストリア戦争 → ベルリン会議(ビスマルクの調停) ウ イタリア王国の成立 → アメリカ南北戦争の終結 → プロイセン=オーストリア戦争 → ベルリン会議(ビスマルクの調停) → ドイツ帝国の成立 エ イタリア王国の成立 → プロイセン=オーストリア戦争 → アメリカ南北戦争の終結 → ドイツ帝国の成立 → ベルリン会議(ビスマルクの調停) undefined ベルリン会議(ビスマルクの調停) → ドイツ帝国の成立 → プロイセン=オーストリア戦争 → アメリカ南北戦争の終結 → イタリア王国の成立)
- 19 世紀ヨーロッパの国際秩序の変化を説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア ウィーン会議で正統主義と勢力均衡によるウィーン体制が築かれ、この体制は 19 世紀を通じて維持されたため、イタリアとドイツの統一は 20 世紀に入るまで実現せず、列強の対立は生じなかった イ イタリアとドイツの統一が実現したのちにウィーン会議が開かれて正統主義の体制が築かれたが、フランスの七月革命と二月革命で統一国家が解体され、勢力均衡を回復するために帝国主義的な植民地獲得が始まった ウ ウィーン会議で自由主義と国民主義を原則とする体制が築かれ、フランスの七月革命と二月革命によってその原則が各国に広がり、イタリアとドイツの統一はいずれも革命の年に完成して帝国主義の対立は生じなかった エ フランスの二月革命でウィーン体制が築かれ、ウィーン会議で自由主義・国民主義の運動が承認されてイタリアとドイツの統一が実現し、その後の七月革命で列強の勢力均衡が崩れて帝国主義の時代に入った undefined ウィーン会議で正統主義と勢力均衡によるウィーン体制が築かれたが、フランスの七月革命と二月革命で自由主義・国民主義の運動が広がって体制は崩れ、その後イタリアとドイツの統一が実現して列強の帝国主義的な対立の時代に入った)
近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義) ── 解答
基礎
- ウ アフリカ南端の喜望峰を回ってインドのカリカットに到達し、インド航路を開いた 宗教改革はルター(信仰のみ)・カルヴァン(予定説)・ヘンリ 8 世(国教会)、統一はカヴール(伊)・ビスマルク(独)の対応で覚える。答え:アフリカ南端の喜望峰を回ってインドのカリカットに到達し、インド航路を開いた。
- ウ ウェストファリア条約が結ばれた 節目の年:1492 コロンブス・1517 ルター・1648 ウェストファリア・1689 権利の章典・1776 独立宣言・1789 フランス革命・1815 ワーテルロー・1848 二月革命・1861 南北戦争・1871 ドイツ帝国。答え:ウェストファリア条約が結ばれた。
- ア 火薬・羅針盤・活版印刷 火薬は騎士の没落、羅針盤は大航海時代、活版印刷(グーテンベルク)は宗教改革の思想の普及に結びつく。いずれも中国起源の技術がヨーロッパで改良された。
- ア ジェームズ 2 世を退位させ、オランダからウィリアムとメアリを迎えて権利の章典を認めさせた、ほぼ流血のない革命 名誉革命は無血で国王を交代させ、権利の章典(1689 年)で議会主権が確立した。国王処刑はピューリタン革命(1649 年)。
- ウ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ 1789 年 5 月 三部会 → 7 月 バスティーユ → 8 月 人権宣言 → 1793 年 1 月 国王処刑 → 1794 年 テルミドール → 1799 年 ブリュメール。
- エ ルターが贖宥状を批判して宗教改革が始まり、カルヴァンが予定説を唱え、ヘンリ 8 世が国教会を成立させた 宗教改革(1517 年〜)・カルヴァンのジュネーヴでの改革(1541 年〜)・首長法(1534 年)は 16 世紀。名誉革命と権利の章典は 1688〜89 年(17 世紀)、ワットの蒸気機関による産業革命は 18 世紀後半、ウィーン会議は 1814〜15 年(19 世紀)、十字軍は 11〜13 世紀(中世・zj-05 の範囲)。
標準
- ウ 生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした 文書は「誰が・いつ・何を定めたか」で区別する。権利の章典=議会の権利、独立宣言=天賦人権と革命権、人権宣言=国民主権・所有権。答え:生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした。
- ウ 王政が廃止されて第二共和政が成立し、ルイ・ナポレオンが大統領に選ばれた ウィーン体制(正統主義)→ 七月革命(七月王政)→ 二月革命(第二共和政)→ 統一(伊 1861・独 1871)。答え:王政が廃止されて第二共和政が成立し、ルイ・ナポレオンが大統領に選ばれた。
- ア 王権神授説 ── 重商主義 王権神授説(フィルマー・ボシュエ)は「王の権力は神に由来する」。重商主義(コルベール)は輸出を増やして金銀を国内にためる政策。社会契約説は逆に王権を制限する側の理論。
- ウ 本国の課税強化に「代表なくして課税なし」と反発して独立を宣言し、パリ条約で独立を承認された 印紙法・茶法への反発 → ボストン茶会事件(1773 年)→ 独立戦争(1775 年)→ 独立宣言(1776 年)→ パリ条約(1783 年)。フランスは植民地側で参戦。独立後は連邦制で、憲法は 1787 年。
- イ トラファルガーの海戦に敗れたのち、大陸封鎖令でイギリスの孤立を図った トラファルガー(1805 年)で制海権を失い、大陸封鎖令(1806 年)へ。ロシア遠征(1812 年)は失敗し、ワーテルロー(1815 年)で最終的に敗北。統領政府は 1799 年、皇帝即位は 1804 年。
- undefined 二月革命がウィーン・ベルリンの三月革命に波及し、メッテルニヒが失脚してウィーン体制が崩壊した 二月革命(パリ)→ 三月革命(ウィーン・ベルリン)。メッテルニヒは亡命し、ウィーン体制は終わった。ただし各地の革命は年内に鎮圧され、統一は 1861 年(伊)・1871 年(独)まで持ち越された。
- undefined オランダ商館が平戸から長崎の出島に移され、いわゆる鎖国体制が固まった 答え:オランダ商館が平戸から長崎の出島に移され、いわゆる鎖国体制が固まった。対応は、1588 無敵艦隊の敗北 ↔ 1588 刀狩令/1648 ウェストファリア条約 ↔ 1641 出島/1688 名誉革命 ↔ 1689 『奥の細道』の旅/1776 アメリカ独立宣言 ↔ 1774 『解体新書』/1814〜15 ウィーン会議 ↔ 1821 伊能図の完成/1861 南北戦争 ↔ 1860 桜田門外の変。ヨーロッパの革命の年と江戸の出来事を「同じ世紀のどのあたりか」で対応させる。
- ウ 三十年戦争がウェストファリア条約で終わり、イギリスではピューリタン革命と名誉革命を経て議会の優位が確立した 三十年戦争(1618〜48 年)・ピューリタン革命(1642 年〜)・名誉革命(1688〜89 年)は 17 世紀。トリエント公会議(1545〜63 年)とイエズス会(1534 年結成)は 16 世紀、三部会から人権宣言までのフランス革命は 1789 年、ナポレオンの大陸封鎖令とロシア遠征は 1805〜14 年、ファショダ事件は 1898 年。
- イ イギリスで産業革命が始まり、北アメリカの 13 植民地が独立を宣言し、フランスでは革命で王政が倒された 産業革命(1760 年代〜)・アメリカ独立宣言(1776 年)・フランス革命(1789 年)は 18 世紀。ガマのインド到達とコロンブスの航海は 1492〜98 年(15 世紀末)、名誉革命は 1688〜89 年(17 世紀)、南北戦争の開始は 1861 年、ドイツ帝国の成立は 1871 年(いずれも 19 世紀)。
発展
- エ 3C はカイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶイギリスの政策、3B はベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶドイツの政策 3C=英(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)、3B=独(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)。縦断=英、横断=仏。答え:3C はカイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶイギリスの政策、3B はベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶドイツの政策。
- ウ 林則徐の取り締まりを機にイギリスが開戦し、南京条約で香港島の割譲や 5 港の開港を認めさせた アヘン戦争(1840〜42 年)→ 南京条約(1842 年)。公使の北京駐在・キリスト教布教の自由・天津開港はアロー戦争後の天津条約・北京条約(1858〜60 年)の内容。
- ウ 工場制機械工業が広がって資本家と労働者が分かれ、工場法の制定や労働組合の結成が進んだ 労働問題への対応として工場法(1833 年の一般工場法など)、労働組合の合法化(1824 年)。穀物法は 1846 年に廃止され、自由貿易へ進んだ。都市人口は増加した。
- エ 三国同盟などでフランスを孤立させ、ヴィルヘルム 2 世と対立して辞任した ビスマルク外交の軸は「フランスの孤立」。三帝同盟(1873 年)・三国同盟(1882 年)・再保障条約(1887 年)。国内では社会主義者鎮圧法と社会保険の「アメとムチ」。海軍拡張・3B 政策はヴィルヘルム 2 世の時代。
- ア イタリア王国の成立 → アメリカ南北戦争の終結 → プロイセン=オーストリア戦争 → ドイツ帝国の成立 → ベルリン会議(ビスマルクの調停) 答え:イタリア王国の成立 → アメリカ南北戦争の終結 → プロイセン=オーストリア戦争 → ドイツ帝国の成立 → ベルリン会議(ビスマルクの調停)(1861 → 1865 → 1866 → 1871 → 1878)。近代は「大航海と宗教改革(16 世紀)→ 主権国家と革命(17 世紀)→ 市民革命と産業革命(18 世紀)→ ウィーン体制から国民国家へ(19 世紀)」の流れで、どの世紀の前半か後半かを先に決める。
- undefined ウィーン会議で正統主義と勢力均衡によるウィーン体制が築かれたが、フランスの七月革命と二月革命で自由主義・国民主義の運動が広がって体制は崩れ、その後イタリアとドイツの統一が実現して列強の帝国主義的な対立の時代に入った ウィーン会議(1814〜15 年)→ 七月革命(1830 年)→ 二月革命(1848 年・メッテルニヒ失脚でウィーン体制崩壊)→ イタリア王国(1861 年)・ドイツ帝国(1871 年)→ 帝国主義(1870 年代〜)。2 と 3 は順序が逆、4 はウィーン体制の原則が正統主義と勢力均衡であって自由主義・国民主義はそれを抑える側、5 は統一が 19 世紀後半に実現している。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-06/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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