近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義) ── 問題
基礎
- 近代の欧米の人物について、ロベスピエールの説明として妥当なものはどれですか。 (ア 「第三身分とは何か」を著し、第三身分こそが国民であると訴えた イ アメリカ独立戦争に義勇兵として参加し、革命初期には人権宣言の起草に関わった ウ 統領政府を樹立してのち皇帝となり、民法典を制定して革命の成果を法典化した エ ジャコバン派を率いて恐怖政治を行い、テルミドールの反動で失脚して処刑された undefined 三部会で第三身分の代表として活躍し、立憲君主政をめざして国王との調停に努めた)
- 1848 年に起きた出来事はどれですか。 (ア ナポレオン 3 世が皇帝に即位した イ フランスで七月革命が起きた ウ イタリア王国が成立した エ ウィーン会議が開かれた undefined フランスで二月革命が起きた)
- ルネサンス期に実用化・改良され、のちの社会を大きく変えた「三大発明(改良)」の組合せとして妥当なものはどれですか。 (ア 火薬・羅針盤・活版印刷 イ 紙・羅針盤・活版印刷 ウ 火薬・羅針盤・蒸気機関 エ 紙・火薬・望遠鏡 undefined 火薬・望遠鏡・活版印刷)
- イギリスの名誉革命(1688〜89 年)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ジェームズ 2 世を退位させ、オランダからウィリアムとメアリを迎えて権利の章典を認めさせた、ほぼ流血のない革命 イ チャールズ 2 世の王政復古によって議会が解散され、国王の専制が復活した政変 ウ チャールズ 1 世を処刑してクロムウェルが共和政を樹立した、議会派と王党派の内戦をともなう革命 エ アイルランドを併合してグレートブリテン・アイルランド連合王国を成立させた出来事 undefined ウォルポールが首相となり、内閣が議会に対して責任を負う制度を確立した政治改革)
- フランス革命の出来事を古い順に並べたものとして妥当なものはどれですか。 (ア バスティーユ牢獄襲撃 → 三部会の招集 → 人権宣言 → テルミドールの反動 → ルイ 16 世の処刑 → ブリュメール 18 日のクーデタ イ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → 人権宣言 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ ウ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ エ 三部会の招集 → 人権宣言 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → ブリュメール 18 日のクーデタ → テルミドールの反動 undefined 人権宣言 → 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ)
標準
- 近代の文書・条約について、アメリカ独立宣言(1776 年)の内容として妥当なものはどれですか。 (ア 議会の同意のない課税や法律の停止を禁じ、議会の権利を確認して立憲君主政の基礎となった イ ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を唱え、ヨーロッパ諸国の干渉を拒んだ ウ 人は生まれながらに自由で平等な権利をもつとし、国民主権・所有権の不可侵などを定めた エ 連邦制と三権分立を定め、大統領を国家元首とする共和政の統治機構を規定した undefined 生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした)
- 19 世紀の欧米について、1830 年のフランス七月革命の結果として妥当なものはどれですか。 (ア 普仏戦争の敗北でナポレオン 3 世が退位し、パリ・コミューンの鎮圧を経て第三共和政が成立した イ ブルボン朝が復活し、ルイ 18 世が憲章を発布して立憲王政が始まった ウ 王政が廃止されて第二共和政が成立し、ルイ・ナポレオンが大統領に選ばれた エ シャルル 10 世が亡命し、ルイ・フィリップが即位して立憲王政(七月王政)が成立した undefined ルイ 16 世が処刑され、ジャコバン派による恐怖政治が始まった)
- 絶対王政を理論面で支えた考え方と、その経済政策の組合せとして妥当なものはどれですか。 (ア 王権神授説 ── 重商主義 イ 社会契約説 ── 自由放任主義 ウ 社会契約説 ── 重商主義 エ 王権神授説 ── 自由放任主義 undefined 正統主義 ── 重農主義)
- アメリカ独立革命の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 本国の重商主義政策そのものは支持していたが、宗教上の対立が深まって独立に至った イ 独立宣言は権利の章典をそのまま引用したもので、イギリス国王の主権を認めていた ウ 本国の課税強化に「代表なくして課税なし」と反発し、独立宣言ののちパリ条約(1783 年)で独立を承認された エ 独立宣言と同時にフランスとスペインが本国側について参戦したため、戦争が長期化した undefined 独立後ただちに中央集権的な単一国家をつくり、初代大統領に立法権を含む強い権限を与えた)
- ナポレオン 1 世に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア ウィーン会議に自ら出席し、フランスの領土を革命前より拡大することに成功した イ トラファルガーの海戦でイギリス海軍に敗れたのち、大陸封鎖令でイギリスの経済的な孤立を図った ウ 統領政府の成立と同時に皇帝に即位し、革命期の法典をすべて廃止した エ 大陸封鎖令に従わなかったイギリスに遠征し、ロンドンを一時占領した undefined ロシア遠征に成功してモスクワを恒久的に支配下に置き、ロシア皇帝を退位させた)
- 1848 年革命(「諸国民の春」)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ロシアのデカブリストの乱が各国に波及し、ロシアでは同年に農奴解放令が出された イ フランスの七月革命がウィーンに波及し、メッテルニヒが宰相に就任してウィーン体制が成立した ウ イギリスのチャーティスト運動が大陸に波及し、各国で同年中に男子普通選挙が実現した エ イタリアの統一戦争がドイツに波及し、同年にドイツ帝国が成立した undefined フランスの二月革命がウィーン・ベルリンに波及して三月革命が起こり、メッテルニヒが失脚してウィーン体制は崩壊した)
発展
- 帝国主義の時代について、1884〜85 年のベルリン会議の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ビスマルクが主催し、コンゴ問題をきっかけにアフリカ分割の原則(先占権など)を定めた イ ヴィルヘルム 2 世が主催し、三国同盟の更新と海軍拡張の方針を決めてイギリスに対抗した ウ ビスマルクが主催し、露土戦争後のバルカン半島の領土問題を調停してロシアの南下を抑えた エ 列強が清の分割を協議し、各国の勢力範囲と租借地を確定して門戸開放を否定した undefined オスマン帝国の分割を協議し、ドイツにバグダード鉄道の敷設権を認めた)
- アヘン戦争とその講和条約の説明として妥当なものはどれですか。 (ア 清はイギリスに香港島を期限つきの租借地として貸与し、九龍半島は開戦前に返還された イ フランスが単独で開戦し、天津条約で 11 港の開港と賠償金の支払いを認めさせた ウ 林則徐のアヘン取り締まりをきっかけにイギリスが開戦し、南京条約で香港島の割譲・5 港の開港・賠償金を清に認めさせた エ 清が勝利してアヘンの輸入は全面的に禁止され、広州の公行貿易が続いた undefined 南京条約で清はキリスト教布教の自由と外国公使の北京駐在を認め、天津を開港した)
- 産業革命後のイギリス社会の変化として妥当なものはどれですか。 (ア 第二次囲い込みが禁止されて自作農が増え、地主階級はこの時期に消滅した イ 工場制機械工業の発達で農村の人口が増え、マンチェスターなどの工業都市の人口は減少した ウ 工場制機械工業が広がって資本家と労働者の階級が生まれ、工場法などの労働者保護の立法や労働組合の結成が進んだ エ ギルドが工場を統制したため、職人の手工業生産が主流のまま 19 世紀末まで続いた undefined 重商主義が強化されて穀物法が制定され、自由貿易は 20 世紀に入るまで実現しなかった)
- ドイツ帝国成立後のビスマルクの政策として妥当なものはどれですか。 (ア 大ドイツ主義をとり、オーストリアを帝国に組み込んで多民族帝国を築いた イ 3B 政策を推進してバグダード鉄道の敷設を始め、イギリスと対立を深めた ウ 社会主義者鎮圧法を廃止するとともに、疾病保険などの社会保険制度も廃止した エ フランスの孤立をねらって三帝同盟・三国同盟などを結び、ヴィルヘルム 2 世の即位後に対立して辞任した undefined フランスと同盟を結んでイギリスの孤立をねらい、大規模な海軍拡張を進めた)
近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義) ── 解答
基礎
- エ ジャコバン派を率いて恐怖政治を行い、テルミドールの反動で失脚して処刑された 宗教改革はルター(信仰のみ)・カルヴァン(予定説)・ヘンリ 8 世(国教会)、統一はカヴール(伊)・ビスマルク(独)の対応で覚える。答え:ジャコバン派を率いて恐怖政治を行い、テルミドールの反動で失脚して処刑された。
- undefined フランスで二月革命が起きた 節目の年:1492 コロンブス・1517 ルター・1648 ウェストファリア・1689 権利の章典・1776 独立宣言・1789 フランス革命・1815 ワーテルロー・1848 二月革命・1861 南北戦争・1871 ドイツ帝国。答え:フランスで二月革命が起きた。
- ア 火薬・羅針盤・活版印刷 火薬は騎士の没落、羅針盤は大航海時代、活版印刷(グーテンベルク)は宗教改革の思想の普及に結びつく。いずれも中国起源の技術がヨーロッパで改良された。
- ア ジェームズ 2 世を退位させ、オランダからウィリアムとメアリを迎えて権利の章典を認めさせた、ほぼ流血のない革命 名誉革命は無血で国王を交代させ、権利の章典(1689 年)で議会主権が確立した。国王処刑はピューリタン革命(1649 年)。
- ウ 三部会の招集 → バスティーユ牢獄襲撃 → 人権宣言 → ルイ 16 世の処刑 → テルミドールの反動 → ブリュメール 18 日のクーデタ 1789 年 5 月 三部会 → 7 月 バスティーユ → 8 月 人権宣言 → 1793 年 1 月 国王処刑 → 1794 年 テルミドール → 1799 年 ブリュメール。
標準
- undefined 生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした 文書は「誰が・いつ・何を定めたか」で区別する。権利の章典=議会の権利、独立宣言=天賦人権と革命権、人権宣言=国民主権・所有権。答え:生命・自由・幸福の追求を天賦の権利とし、政府がこれを侵せば人民は政府を変える権利をもつとした。
- エ シャルル 10 世が亡命し、ルイ・フィリップが即位して立憲王政(七月王政)が成立した ウィーン体制(正統主義)→ 七月革命(七月王政)→ 二月革命(第二共和政)→ 統一(伊 1861・独 1871)。答え:シャルル 10 世が亡命し、ルイ・フィリップが即位して立憲王政(七月王政)が成立した。
- ア 王権神授説 ── 重商主義 王権神授説(フィルマー・ボシュエ)は「王の権力は神に由来する」。重商主義(コルベール)は輸出を増やして金銀を国内にためる政策。社会契約説は逆に王権を制限する側の理論。
- ウ 本国の課税強化に「代表なくして課税なし」と反発し、独立宣言ののちパリ条約(1783 年)で独立を承認された 印紙法・茶法への反発 → ボストン茶会事件(1773 年)→ 独立戦争(1775 年)→ 独立宣言(1776 年)→ パリ条約(1783 年)。フランスは植民地側で参戦。独立後は連邦制で、憲法は 1787 年。
- イ トラファルガーの海戦でイギリス海軍に敗れたのち、大陸封鎖令でイギリスの経済的な孤立を図った トラファルガー(1805 年)で制海権を失い、大陸封鎖令(1806 年)へ。ロシア遠征(1812 年)は失敗し、ワーテルロー(1815 年)で最終的に敗北。統領政府は 1799 年、皇帝即位は 1804 年。
- undefined フランスの二月革命がウィーン・ベルリンに波及して三月革命が起こり、メッテルニヒが失脚してウィーン体制は崩壊した 二月革命(パリ)→ 三月革命(ウィーン・ベルリン)。メッテルニヒは亡命し、ウィーン体制は終わった。ただし各地の革命は年内に鎮圧され、統一は 1861 年(伊)・1871 年(独)まで持ち越された。
発展
- ア ビスマルクが主催し、コンゴ問題をきっかけにアフリカ分割の原則(先占権など)を定めた 3C=英(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)、3B=独(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)。縦断=英、横断=仏。答え:ビスマルクが主催し、コンゴ問題をきっかけにアフリカ分割の原則(先占権など)を定めた。
- ウ 林則徐のアヘン取り締まりをきっかけにイギリスが開戦し、南京条約で香港島の割譲・5 港の開港・賠償金を清に認めさせた アヘン戦争(1840〜42 年)→ 南京条約(1842 年)。公使の北京駐在・キリスト教布教の自由・天津開港はアロー戦争後の天津条約・北京条約(1858〜60 年)の内容。
- ウ 工場制機械工業が広がって資本家と労働者の階級が生まれ、工場法などの労働者保護の立法や労働組合の結成が進んだ 労働問題への対応として工場法(1833 年の一般工場法など)、労働組合の合法化(1824 年)。穀物法は 1846 年に廃止され、自由貿易へ進んだ。都市人口は増加した。
- エ フランスの孤立をねらって三帝同盟・三国同盟などを結び、ヴィルヘルム 2 世の即位後に対立して辞任した ビスマルク外交の軸は「フランスの孤立」。三帝同盟(1873 年)・三国同盟(1882 年)・再保障条約(1887 年)。国内では社会主義者鎮圧法と社会保険の「アメとムチ」。海軍拡張・3B 政策はヴィルヘルム 2 世の時代。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-06/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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