地方上級 / 世界史 / zj-06
近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義)
この単元でできるようになること
- ルネサンス・宗教改革・大航海時代を「中世からの脱出」という 1 本の流れで説明できる
- 絶対王政 → 市民革命 → 国民国家 の順番と、イギリス・アメリカ・フランスの革命の違いを表で言える
- ウィーン体制から 1848 年革命、イタリア・ドイツ統一までの 19 世紀ヨーロッパを年代順に並べられる
- 産業革命がなぜイギリスで始まり、どう帝国主義につながったかを因果で説明できる
- 「人物 → 業績」「年 → 出来事」「条約 → 内容」の対応を選択肢の中から選べる
試験での位置づけ
地方上級・国家一般職の教養試験では、世界史は 1〜2 問程度の出題です。近代ヨーロッパは範囲が広いぶん、「同じ時代の別の国で何が起きていたか」を横に並べる問題や、「ある出来事の説明として妥当なもの」を 5 つの文から選ぶ問題の形で出題されやすい分野です。細かい年号を全部覚える必要はありませんが、節目の年(1492・1517・1648・1688・1776・1789・1815・1848・1871)と、その前後関係は押さえておきたいところです。高校範囲の ht-01・ht-02・ht-03・ht-05 と重なるので、そちらを先に読んでおくと理解が速くなります。
1. ルネサンス・宗教改革・大航海時代 ── 中世からの脱出
まずここだけ
14〜16 世紀のヨーロッパで、3 つの動きがほぼ同時に起きました。
| 動き | 中心 | 何が変わったか |
|---|---|---|
| ルネサンス(14 世紀〜) | イタリア(フィレンツェ) | 神中心 → 人間中心。古代ギリシャ・ローマの文化を手本にした |
| 宗教改革(1517 年〜) | ドイツ・スイス | 教皇の権威を否定し、聖書を信仰のよりどころにした |
| 大航海時代(15 世紀末〜) | ポルトガル・スペイン | 商業の中心が地中海から大西洋岸へ移った(商業革命) |
ルネサンスの代表は、ダンテ「神曲」、ボッカチオ「デカメロン」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」「モナ・リザ」、ミケランジェロ「ダヴィデ像」、マキァヴェリ「君主論」です。イタリア以外では、エラスムス「愚神礼賛」、トマス・モア「ユートピア」、シェークスピア、セルバンテス「ドン・キホーテ」を押さえておきます。火薬・羅針盤・活版印刷の三大発明(改良)は、それぞれ騎士の没落・大航海・宗教改革の広がりに結びつきます。
ここまでできれば十分
宗教改革は「誰が・どこで・何を言ったか」の対応で問われます。
| 人物 | 場所 | 主張・出来事 |
|---|---|---|
| ルター | ドイツ(ヴィッテンベルク) | 1517 年「九十五カ条の論題」で贖宥状を批判。「信仰のみ」「聖書のみ」。新約聖書をドイツ語訳 |
| カルヴァン | スイス(ジュネーヴ) | 予定説。勤労と蓄財を肯定し、商工業者に広まった |
| ヘンリ 8 世 | イギリス | 1534 年 首長法(国王至上法)でイギリス国教会を成立させた |
| イグナティウス・ロヨラ | スペイン | 1534 年 イエズス会を結成(対抗宗教改革)。ザビエルが日本へ |
1555 年のアウクスブルクの和議で、ドイツの諸侯はルター派かカトリックかを選べるようになりました(カルヴァン派は対象外。個人の信仰の自由でもない点に注意)。
大航海時代は「誰が・どこへ」です。バルトロメウ・ディアスが喜望峰(1488 年)、コロンブスがカリブ海の島に到達(1492 年)、ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到達(1498 年)、マゼランの一行が世界周航(1519〜22 年)。1494 年のトルデシリャス条約でスペインとポルトガルが海外領土の境界線を決めました。
2. 主権国家と絶対王政 ── 「国王が国をまとめる」時代
まずここだけ
16〜17 世紀、国王が官僚と常備軍を握って国をまとめる絶対王政が成立しました。理論的な支えが王権神授説(王の権力は神から与えられた。フィルマー・ボシュエ)、経済政策が重商主義(輸出を増やして金銀を国内にためる。フランスのコルベールが代表)です。
| 国 | 代表的な国王 | キーワード |
|---|---|---|
| スペイン | フェリペ 2 世 | 「太陽の沈まぬ国」。1588 年 無敵艦隊がイギリスに敗北 |
| イギリス | エリザベス 1 世 | 統一法で国教会を確立。東インド会社設立(1600 年) |
| フランス | ルイ 14 世 | 「朕は国家なり」。ヴェルサイユ宮殿。1685 年 ナントの王令を廃止しユグノーが国外へ |
| プロイセン | フリードリヒ 2 世 | 啓蒙専制君主。「君主は国家第一の僕(しもべ)」 |
| ロシア | ピョートル 1 世 | 西欧化政策。ペテルブルク建設 |
ここまでできれば十分
三十年戦争(1618〜48 年)はドイツの宗教戦争として始まり、ヨーロッパ各国が介入する国際戦争になりました。講和のウェストファリア条約(1648 年)は「主権国家が対等に条約を結ぶ」という近代の国際関係の出発点とされ、カルヴァン派も公認され、神聖ローマ帝国は事実上解体しました。「ウェストファリア = 主権国家体制の成立」と覚えておくと、国際政治の単元(kk-09)にもつながります。
3. 市民革命 ── イギリス・アメリカ・フランスの比較
まずここだけ
市民革命は「国王の専制を、議会・市民が制限した」出来事です。3 つの革命を表で対比します。
| イギリス | アメリカ | フランス | |
|---|---|---|---|
| 主な出来事 | ピューリタン革命(1642〜49 年)→ 名誉革命(1688〜89 年) | 独立戦争(1775〜83 年) | フランス革命(1789〜99 年) |
| 文書 | 権利の請願(1628 年)・権利の章典(1689 年) | 独立宣言(1776 年・ジェファソン起草) | 人権宣言(1789 年) |
| 中心人物 | クロムウェル/ウィリアム 3 世とメアリ 2 世 | ワシントン・ジェファソン・フランクリン | ミラボー・ロベスピエール・ナポレオン |
| 結果 | 立憲君主政。「国王は君臨すれども統治せず」 | 合衆国憲法(1787 年)で連邦制・三権分立 | 王政廃止 → 共和政 → ナポレオンの帝政 |
| 特徴 | 名誉革命は流血なしで国王を交代させた | 植民地が本国から独立した革命 | 身分制社会(アンシャン・レジーム)そのものを壊した |
ここまでできれば十分
イギリス:ピューリタン革命では国王チャールズ 1 世が処刑され(1649 年)、クロムウェルの共和政になりましたが、彼の死後に王政復古(1660 年)。その後ジェームズ 2 世の専制に対して議会がオランダからウィリアムとメアリを招き、国王が権利の章典を認めた(1689 年)のが名誉革命です。18 世紀前半のウォルポール内閣から、内閣が国王ではなく議会に責任を負う責任内閣制が始まりました。
アメリカ:本国の課税強化(印紙法・茶法)に植民地が「代表なくして課税なし」と反発し、ボストン茶会事件(1773 年)から独立戦争へ。1776 年 7 月 4 日に独立宣言、1783 年のパリ条約で独立が承認されました。独立宣言はロックの社会契約説の影響を受け、「生命・自由・幸福の追求」を天賦の権利としています。
フランス:流れを段階で覚えます。
- 1789 年 5 月 三部会招集 → 第三身分が国民議会を宣言(球戯場の誓い)→ 7 月 14 日 バスティーユ牢獄襲撃 → 8 月 人権宣言
- 1791 年 憲法制定(立憲君主政)→ 1792 年 国民公会が王政廃止・第一共和政 → 1793 年 ルイ 16 世処刑
- 1793〜94 年 ロベスピエール(ジャコバン派)の恐怖政治 → 1794 年 テルミドールの反動で失脚 → 1795 年 総裁政府
- 1799 年 ブリュメール 18 日のクーデタでナポレオンが統領政府 → 1804 年 皇帝に(第一帝政)・ナポレオン法典公布
ナポレオンは大陸封鎖令(1806 年)でイギリスを締め出そうとして失敗し、ロシア遠征(1812 年)で大敗、ライプツィヒの戦い(1813 年)で敗れて退位。復位後のワーテルローの戦い(1815 年)で最終的に敗北しました。
もう一歩(発展)
市民革命の背景にある啓蒙思想は、思想の単元(zj-10)で人物ごとに扱います。ここでは「ロック → 名誉革命の正当化・アメリカ独立宣言」「モンテスキュー → 合衆国憲法の三権分立」「ルソー → フランス革命・人権宣言(人民主権)」の対応だけ持っておいてください。
4. ウィーン体制と国民国家の形成 ── 19 世紀前半〜中頃
まずここだけ
ナポレオン後のヨーロッパは、ウィーン会議(1814〜15 年)で「革命前に戻す」ことにしました(正統主義・議長はオーストリアのメッテルニヒ)。しかし自由主義・国民主義(ナショナリズム)の運動は止まらず、1830 年と 1848 年の 2 回の革命でウィーン体制は崩れます。
| 年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1814〜15 | ウィーン会議 | 正統主義・勢力均衡。神聖同盟・四国同盟で体制を維持 |
| 1823 | モンロー宣言 | アメリカが欧州とアメリカ大陸の相互不干渉を表明。ラテンアメリカ諸国の独立を後押し |
| 1830 | 七月革命(フランス) | シャルル 10 世が亡命し、ルイ・フィリップの七月王政へ。ベルギー独立に波及 |
| 1848 | 二月革命(フランス) | 第二共和政。ウィーン・ベルリンにも波及(三月革命)しメッテルニヒが失脚 =「諸国民の春」 |
| 1852 | 第二帝政 | ルイ・ナポレオンが皇帝ナポレオン 3 世に |
ここまでできれば十分
19 世紀後半は国民国家が出そろう時期です。
- イタリア統一(1861 年):サルデーニャ王国の首相カヴールが主導し、ガリバルディが征服した南イタリアを国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世に献上。1870 年にローマ教皇領を併合して統一完成
- ドイツ統一(1871 年):プロイセン首相ビスマルクの鉄血政策。普墺戦争(1866 年)でオーストリアを排除し、普仏戦争(1870〜71 年)に勝ってヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国成立を宣言。ヴィルヘルム 1 世が皇帝
- ロシア:クリミア戦争(1853〜56 年)の敗北で後進性が明らかになり、アレクサンドル 2 世が農奴解放令(1861 年)
- アメリカ:南北戦争(1861〜65 年)。保護貿易・奴隷制反対の北部と、自由貿易・奴隷制維持の南部が対立。リンカンが 1863 年に奴隷解放宣言を出し、北部が勝利
- イギリス:ヴィクトリア女王の時代(1837〜1901 年)が「世界の工場」の絶頂期。選挙法改正で参政権が段階的に広がった
「1861 年」はイタリア統一・ロシア農奴解放・アメリカ南北戦争の開始が重なる年なので、並べ替え問題の目印になります。
5. 産業革命と帝国主義 ── 19 世紀後半〜20 世紀初め
まずここだけ
産業革命は 18 世紀後半のイギリスで綿工業から始まりました。なぜイギリスかというと、(1) 毛織物工業で資本が蓄積されていた、(2) 囲い込みで土地を失った農民が労働力になった、(3) 石炭・鉄などの資源があった、(4) 広い植民地市場があった、という条件がそろっていたからです。
| 発明・改良 | 人物 |
|---|---|
| 飛び杼(1733 年) | ジョン・ケイ |
| ジェニー紡績機 | ハーグリーヴズ |
| 水力紡績機 | アークライト |
| ミュール紡績機 | クロンプトン |
| 力織機 | カートライト |
| 蒸気機関の改良 | ワット |
| 蒸気機関車の実用化(1825 年) | スティーヴンソン |
産業革命は資本家と労働者という階級を生み、労働問題・社会主義思想(マルクス「資本論」)へつながります。
ここまでできれば十分
19 世紀末、工業化した列強は原料の供給地と市場を求めてアジア・アフリカを分割しました。これが帝国主義です。
アジア
- アヘン戦争(1840〜42 年):イギリスが清に勝ち、南京条約で香港島の割譲・5 港開港。続くアロー戦争(1856〜60 年)で北京条約
- 太平天国の乱(1851〜64 年):洪秀全。「滅満興漢」
- インド大反乱(1857〜59 年):鎮圧後にムガル帝国が滅び、1877 年にヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国が成立
- 日本の開国(1854 年)と日清戦争(1894〜95 年)・日露戦争(1904〜05 年)は日本史側(zj-03)で扱います
アフリカ
- ベルリン会議(1884〜85 年):ビスマルクが主催。アフリカ分割のルール(先占権)を決めた
- イギリスの縦断政策(カイロ〜ケープタウン。3C 政策 = カイロ・ケープタウン・カルカッタ)とフランスの横断政策がファショダ事件(1898 年)で衝突。フランスが譲歩し、のちの英仏協商へ
- ドイツの3B 政策(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)がイギリスと対立
- 南アフリカ戦争(1899〜1902 年)でイギリスがブール人の国を併合
- 20 世紀初めに独立を保ったのはエチオピアとリベリアだけ
アメリカ
- 米西戦争(1898 年)でフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得。同年ハワイ併合。1899 年に国務長官ジョン・ヘイが中国の門戸開放宣言
もう一歩(発展)
列強の同盟関係は第一次世界大戦(zj-07)の前提です。三国同盟(1882 年)=ドイツ・オーストリア・イタリア、三国協商=露仏同盟(1891〜94 年)・英仏協商(1904 年)・英露協商(1907 年)の 3 本で完成。日英同盟(1902 年)はイギリスが「光栄ある孤立」を捨てた最初の同盟です。
6. よくある間違い
| 間違い | 正しくは |
|---|---|
| ルターが予定説を唱えた | 予定説はカルヴァン。ルターは「信仰のみ・聖書のみ」 |
| アウクスブルクの和議で個人に信仰の自由が認められた | 選べたのは諸侯(領主)。しかもルター派とカトリックのみ |
| 名誉革命で国王が処刑された | 処刑はピューリタン革命(チャールズ 1 世)。名誉革命は無血 |
| 人権宣言はアメリカ独立宣言より前 | 独立宣言 1776 年 → 人権宣言 1789 年 |
| ナポレオンが皇帝になったのは革命直後 | 1799 年 統領政府 → 1804 年 皇帝 |
| ドイツ統一はオーストリアが中心 | プロイセン中心(小ドイツ主義)。オーストリアは普墺戦争で排除された |
| ベルリン会議(1884〜85 年)はバルカン問題の会議 | 1878 年のベルリン会議がバルカン(露土戦争後)。1884〜85 年はアフリカ分割 |
| 3C 政策はドイツ | 3C はイギリス、3B はドイツ |
7. 覚え方の型
- 節目の年を 9 つだけ固定する:1492(コロンブス)・1517(ルター)・1648(ウェストファリア)・1688(名誉革命)・1776(独立宣言)・1789(フランス革命)・1815(ウィーン体制成立・ワーテルロー)・1848(二月革命)・1871(ドイツ帝国)
- 出来事はこの 9 つの「どれとどれの間か」で位置づける
- 人物は「国 + 何をしたか」の 2 語で覚える(例:カヴール = サルデーニャ・イタリア統一)
- 同じ年の別の国を横に並べる(1861 年:イタリア統一・農奴解放・南北戦争)
- 「A 政策 vs B 政策」「北部 vs 南部」のような対立の組は、どちらが何かを逆にした誤答が作られやすいので、両側をセットで確認する
8. 小テストへ
→ 小テスト(zj-06)
関連する単元
- 前提:zj-05 古代〜中世(ギリシャ・ローマ・中国王朝・イスラーム)、ht-01 近代化への問い、ht-02 市民革命と国民国家
- 次に進む:zj-07 現代(二つの大戦・冷戦・現代の国際社会)、ht-03 列強の進出とアジア、ht-05 帝国主義と日清・日露戦争
- 同じ考え方を使う:zj-03 日本史 近代(開国〜明治)、zj-10 西洋思想(啓蒙思想・社会契約説)
参考資料
- 人事院「国家公務員採用一般職試験(大卒程度試験)受験案内」── 基礎能力試験の出題分野(人文科学)
- 各都道府県・政令指定都市の職員採用試験受験案内(教養試験の出題分野)
- 高等学校「世界史探究」「歴史総合」教科書(文部科学省検定済)および同用語集
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-06/ / 更新 2026-09-14