現代(二つの大戦・冷戦・現代の国際社会) ── 問題
基礎
- 次の出来事が起こった年はどれですか。 ドイツ統一 (ア 1991 年 イ 1993 年 ウ 1990 年 エ 1989 年 undefined 1979 年)
- 「デタント」の説明として正しいものはどれですか。 (ア 西ドイツの NATO 加盟に対抗して 1955 年にソ連と東欧諸国が結成した軍事同盟 イ 1970 年代前半にニクソン訪中や SALT I、ヘルシンキ宣言などで進んだ米ソ・東西間の緊張緩和 ウ 1985 年に書記長となったゴルバチョフが進めたソ連の政治・経済の立て直し(改革) エ 世界恐慌後にイギリスがオタワ会議で本国と植民地の間に特恵関税を設け、他国の製品を締め出した政策 undefined 世界恐慌に対してアメリカの F. ローズヴェルト大統領が進めた、農業調整法・全国産業復興法・TVA などによる需要創出政策)
- 第一次世界大戦に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 第一次世界大戦は日本の真珠湾攻撃をきっかけに始まり、アメリカは開戦当初から協商側で参戦して、ヨーロッパの戦線にも大軍を送った イ 大戦中にロシアでは革命が起こったが、ソヴィエト政権は協商側にとどまって終戦まで戦い続けた ウ ドイツ・オーストリア・ロシアの三国同盟とイギリス・フランス・イタリアの三国協商が戦った エ バルカン半島で起きたサライェヴォ事件をきっかけに、三国同盟側と三国協商側に分かれた大戦となり、1917 年にアメリカが協商側で参戦した undefined 講和会議はワシントンで開かれ、敗戦国ドイツにはほとんど負担が課されなかった)
- 冷戦期の出来事に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア ハンガリー事件とプラハの春はいずれも西側諸国の軍事介入によって鎮圧された イ ベルリンの壁は 1949 年の東西ドイツ成立と同時に西側諸国によって築かれ、1961 年のケネディ政権の成立とともに撤去された ウ キューバ危機ではアメリカがキューバにミサイル基地を建設し、ソ連の抗議で撤去した エ ベトナム戦争ではアメリカが北ベトナムを支援し、ソ連と中国が南ベトナムを支援した undefined 朝鮮戦争では北朝鮮の南進に対しアメリカ軍中心の国連軍が派遣され、中国は義勇軍を送って北朝鮮を支援し、1953 年に休戦した)
- 2000 年代以降の国際社会に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 中国は 1978 年の改革・開放以来、外国資本の導入を禁じて計画経済を徹底し、WTO には加盟していない イ 2008 年のリーマン・ショックはアジアの通貨危機から始まり、アメリカへの影響はほとんどなかったため、対応を協議する G20 サミットも開かれなかった ウ 「アラブの春」は 2010 年末にエジプトから始まり、中東のすべての国で民主的な政権が安定して成立した エ イギリスは 2016 年の国民投票で EU 残留を選び、2020 年に単一通貨ユーロを導入した undefined 2001 年のアメリカ同時多発テロのあと、アメリカはアフガニスタンを攻撃し、2003 年には大量破壊兵器の保有を理由にイラク戦争を始めた)
- 1920 年代の国際社会の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ソ連がキューバにミサイル基地を建設していることが分かり、アメリカが海上封鎖を行って核戦争の危機が高まった イ ロシアで二月革命によって帝政が倒れ、十月革命でレーニンの率いるボリシェヴィキがソヴィエト政権を樹立した ウ アメリカがトルーマン・ドクトリンで共産主義の封じ込めを打ち出し、マーシャル・プランで西ヨーロッパの復興を援助した エ ヒトラーが首相となって全権委任法で独裁体制を固め、国際連盟を脱退して再軍備を宣言し、ラインラントに進駐した undefined 国際連盟が発足し、ワシントン会議で海軍軍縮が決まり、ロカルノ条約と不戦条約で国際協調の気運が高まった)
標準
- 20 世紀の国際関係について、第二次世界大戦の経過の説明として正しいものはどれですか。 (ア ヤルタ会談ではドイツの無条件降伏後の処理とともに日本の降伏条件が公表され、日本はこれを受けて直ちに降伏した イ ミュンヘン会談で英仏がドイツのズデーテン地方併合を拒否したため、ドイツは直ちに英仏に宣戦した ウ イタリアのエチオピア侵攻をきっかけに英仏が宣戦して大戦が始まり、ドイツはその翌年に参戦した エ ドイツが独ソ不可侵条約を結んだ直後にポーランドへ侵攻して英仏が宣戦し、1941 年の独ソ戦と日本の真珠湾攻撃によって戦争は世界規模に広がった undefined ドイツがソ連と軍事同盟を結んで共同でポーランドへ侵攻した 1941 年に大戦が始まり、アメリカは英仏の宣戦と同時に参戦して、戦争は当初から世界規模で戦われた)
- ウィルソンの事績の説明として正しいものはどれですか。 (ア ペレストロイカと新思考外交を進め、マルタ会談で冷戦の終結を宣言した イ 十月革命でボリシェヴィキを率いて政権を握り、ソヴィエト政権を樹立した ウ 南アフリカでアパルトヘイトの撤廃後、初の全人種参加選挙で大統領になった エ 十四カ条の平和原則を発表し、国際連盟の設立を提唱した undefined 1972 年に中国を訪問して米中接近を実現し、ソ連と SALT I を結んだ)
- 1920 年代の国際協調に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア ロカルノ条約によってドイツは国際連盟から除名され、独仏国境をめぐるヨーロッパの緊張は再び高まって、フランスはルール地方を占領した イ ワシントン会議で日英同盟は更新され、日本は太平洋地域での優位を国際的に認められた ウ 国際連盟にはソ連が発足当初から常任理事国として参加し、ドイツは 1930 年代まで加盟を認められなかった エ ワシントン会議では海軍軍縮条約のほか、四カ国条約によって日英同盟が解消され、九カ国条約で中国の主権尊重と門戸開放が確認された undefined 不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)は自衛戦争を含むすべての戦争を禁止し、違反国への軍事制裁を定めた)
- 世界恐慌とファシズムに関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア ソ連は世界恐慌によって最も深刻な打撃を受け、五カ年計画を中止して市場経済を導入した イ ニューディール政策は自由放任を徹底して市場の回復を待つものであり、政府による公共事業は行われなかった ウ ヒトラーは 1933 年に首相となり全権委任法で独裁体制を固め、同年に国際連盟を脱退し、1935 年に再軍備を宣言した エ ムッソリーニは世界恐慌後の 1933 年にヒトラーと同じ年に政権を握り、ドイツのラインラント進駐と同時にエチオピアへ侵攻した undefined スペイン内戦ではイギリス・フランスがフランコを支援し、ドイツ・イタリアは人民戦線政府を支援した)
- 第三世界の動きに関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア インドのネルーとパキスタンの指導者は平和五原則を発表し、両国の国境紛争は完全に解決された イ 1960 年は「アフリカの年」と呼ばれ、この年にアフリカのすべての植民地が一斉に独立して、同じ年にアフリカ統一機構(OAU)が発足し、第 1 回の非同盟諸国首脳会議も開かれた ウ バンドン会議はアメリカとソ連の首脳も参加して開かれ、東西両陣営と第三世界の協調が確認された エ 1955 年のバンドン会議ではアジア・アフリカの 29 か国が平和十原則を採択し、1961 年の非同盟諸国首脳会議とともに米ソどちらの陣営にも属さない立場を打ち出した undefined 非同盟諸国首脳会議はワルシャワ条約機構の加盟国が中心となって開かれ、ソ連の主導で運営された)
- 1970 年代の国際関係に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 1971 年の国連総会で中華民国(台湾)が中国代表権を回復し、中華人民共和国は国連から追放された イ 第四次中東戦争をきっかけにアラブ産油国が石油戦略を発動したが、原油価格は下落して先進国の景気は上向いた ウ ヘルシンキ宣言は NATO 加盟国だけで採択された宣言で、ソ連はこれに強く反発して緊張が高まった エ 中ソ対立を背景に 1972 年にニクソン大統領が中国を訪問して米中接近が実現し、同じ年にソ連との間で第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)が妥結した undefined 1979 年のソ連によるアフガニスタン侵攻を受けて、西側諸国は制裁よりも対話を選び、1980 年のモスクワ五輪にそろって参加してデタントをそのまま維持した)
- 世界で世界恐慌が始まった(1929 年)頃、日本で起こっていた出来事として妥当なものはどれですか。 (ア 第一次護憲運動で桂太郎内閣が総辞職に追い込まれた(大正政変) イ 竹下登内閣のもとで税率 3% の消費税が導入された ウ 近衛文麿を総裁とする大政翼賛会が結成され、政党が解散した エ ドッジ・ラインによって 1 ドル=360 円の単一為替レートが設定された undefined 浜口雄幸内閣が旧平価で金解禁を実施し、昭和恐慌が深刻になった)
- 1930 年代の国際社会の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア サライェヴォでオーストリアの皇位継承者が暗殺されたことをきっかけに、同盟国側と協商国側に分かれた世界大戦が始まった イ アジア・アフリカの 29 か国がインドネシアのバンドンに集まり、平和十原則を採択して反植民地主義と平和共存を打ち出した ウ 世界恐慌に対し英仏はブロック経済、アメリカはニューディールで対応し、ドイツ・イタリア・日本は対外侵略に向かった エ ヤルタ会談で米英ソの首脳が戦後処理を話し合い、ドイツの分割占領やソ連の対日参戦が取り決められた undefined ドイツ・フランス・ベルギーなどがラインラントの現状維持と相互不可侵を約束するロカルノ条約を結び、翌年ドイツが国際連盟に加入した)
- 1950 年代の国際社会の出来事の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ソ連のゴルバチョフ書記長がペレストロイカとグラスノスチを進め、アメリカとの間で中距離核戦力(INF)全廃条約を結んだ イ アメリカがマーシャル・プランを発表して西ヨーロッパの復興を援助し、ソ連はこれに対抗してコミンフォルムを結成した ウ アメリカのニクソン大統領が中国を訪問して米中接近が実現し、ソ連との間で戦略兵器制限交渉(SALT I)が妥結した エ 東ドイツが西ベルリンへの人の流出を止めるためベルリンの壁を築き、東西ドイツの分断が固定化した undefined 朝鮮戦争が休戦し、スターリン批判で「雪どけ」が進む一方、ハンガリーの民主化運動はソ連軍に鎮圧された)
発展
- 冷戦の終結と 1990 年代の国際社会に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 湾岸戦争ではイラクのクウェート侵攻に対し、国連安全保障理事会の決議にもとづく多国籍軍が武力を行使した イ ドイツ統一は東ドイツが西ドイツを吸収する形で行われ、統一後のドイツは NATO から脱退した ウ EU の発足と同時に単一通貨ユーロの現金流通が始まり、すべての加盟国がユーロを採用した エ ユーゴスラヴィアは冷戦終結後も統一を保ち、民族対立による内戦は起こらなかった undefined ソ連の解体後、旧ソ連を構成した全共和国はそのまま EU に加盟し、ロシアは NATO の正式加盟国になった)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 A キューバ危機 B NATO の結成 C マルタ会談 D ワルシャワ条約機構の結成 E ベルリン封鎖 (ア B → D → E → A → C イ E → D → B → A → C ウ E → B → A → D → C エ E → B → D → A → C undefined B → E → D → A → C)
- 国際連盟と国際連合の比較に関する説明として妥当なものはどれですか。 (ア 国際連盟は総会・理事会とも全会一致を原則とし制裁は経済制裁に限られたが、国際連合は安全保障理事会の五大国に拒否権を与える一方で軍事的措置をとることを可能にした イ 国際連合の安全保障理事会では常任理事国も非常任理事国も同じく拒否権をもち、多数決で決定する ウ 国際連盟にはアメリカとソ連が発足時から常任理事国として加盟していたが、国際連合にはアメリカが上院の反対で加盟せず、本部もジュネーヴに置かれた エ 国際連合は国際連盟と同じくジュネーヴに本部を置き、総会の決議はすべての加盟国を法的に拘束する undefined 国際連盟は軍事制裁を実施する常設の国連軍をもっていたが、国際連合は経済制裁しか行えない)
- 次の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 ドイツ統一/ゴルバチョフの書記長就任/ベルリンの壁の崩壊/EU(ヨーロッパ連合)の発足/ソ連の解体 (ア ゴルバチョフの書記長就任 → ベルリンの壁の崩壊 → ソ連の解体 → ドイツ統一 → EU(ヨーロッパ連合)の発足 イ ゴルバチョフの書記長就任 → ベルリンの壁の崩壊 → ドイツ統一 → EU(ヨーロッパ連合)の発足 → ソ連の解体 ウ ゴルバチョフの書記長就任 → ベルリンの壁の崩壊 → ドイツ統一 → ソ連の解体 → EU(ヨーロッパ連合)の発足 エ ゴルバチョフの書記長就任 → ドイツ統一 → ベルリンの壁の崩壊 → ソ連の解体 → EU(ヨーロッパ連合)の発足 undefined EU(ヨーロッパ連合)の発足 → ソ連の解体 → ドイツ統一 → ベルリンの壁の崩壊 → ゴルバチョフの書記長就任)
- 冷戦の流れを説明した記述として妥当なものはどれですか。 (ア キューバ危機で冷戦が始まり、トルーマン・ドクトリンで「雪どけ」に転じたが、朝鮮戦争で再び対立が深まり、ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに 1970 年代のデタントが始まって、最後はマルタ会談で終結が宣言された イ トルーマン・ドクトリンで冷戦が始まり、ソ連のアフガニスタン侵攻で「雪どけ」に転じたが、キューバ危機で「新冷戦」となり、朝鮮戦争ののちデタントが始まって、マルタ会談で終結が宣言された ウ トルーマン・ドクトリンで冷戦が始まり、マルタ会談で一時的な「雪どけ」があったが、朝鮮戦争とキューバ危機で対立が深まり、ソ連のアフガニスタン侵攻ののちにデタントが始まって、ゴルバチョフの登場で終結した エ 朝鮮戦争で冷戦が始まり、キューバ危機のあとトルーマン・ドクトリンでデタントが宣言されたが、ゴルバチョフのアフガニスタン侵攻で「新冷戦」となり、スターリン批判を経てマルタ会談で終結が宣言された undefined トルーマン・ドクトリンで冷戦が始まり、朝鮮戦争、スターリン批判後の「雪どけ」、キューバ危機、1970 年代のデタント、アフガニスタン侵攻による「新冷戦」、ゴルバチョフの登場を経て、マルタ会談で終結が宣言された)
現代(二つの大戦・冷戦・現代の国際社会) ── 解答
基礎
- ウ 1990 年 答え:1990 年。1914 開戦 → 1917 ロシア革命 → 1919 ヴェルサイユ → 1920 連盟 → 1929 恐慌 → 1933 ヒトラー → 1938 ミュンヘン → 1939 開戦 → 1945 ヤルタ・国連 → 1947 トルーマン → 1949 NATO → 1950 朝鮮戦争 → 1955 ワルシャワ → 1961 壁 → 1962 キューバ → 1972 ニクソン訪中 → 1979 アフガン → 1989 壁崩壊・マルタ → 1990 独統一 → 1991 ソ連解体 → 1993 EU → 2001 テロ。
- イ 1970 年代前半にニクソン訪中や SALT I、ヘルシンキ宣言などで進んだ米ソ・東西間の緊張緩和 デタントは「1970 年代前半にニクソン訪中や SALT I、ヘルシンキ宣言などで進んだ米ソ・東西間の緊張緩和」。政策・組織は「どちらの陣営(米・ソ・第三世界)か」「対立を強めたか緩めたか」を先に決めて覚える。
- エ バルカン半島で起きたサライェヴォ事件をきっかけに、三国同盟側と三国協商側に分かれた大戦となり、1917 年にアメリカが協商側で参戦した 三国同盟は独・墺・伊(伊は協商側で参戦)、三国協商は英・仏・露。ソヴィエト政権はブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和した。講和会議はパリで、ドイツに巨額の賠償が課された。
- undefined 朝鮮戦争では北朝鮮の南進に対しアメリカ軍中心の国連軍が派遣され、中国は義勇軍を送って北朝鮮を支援し、1953 年に休戦した ベトナム戦争でアメリカは南ベトナムを支援し、北ベトナムをソ連・中国が支援した。キューバ危機はソ連のミサイル基地建設が発端。ベルリンの壁は 1961 年建設・1989 年崩壊。ハンガリー事件(1956)とプラハの春(1968)はソ連(ワルシャワ条約機構軍)の介入。
- undefined 2001 年のアメリカ同時多発テロのあと、アメリカはアフガニスタンを攻撃し、2003 年には大量破壊兵器の保有を理由にイラク戦争を始めた リーマン・ショックはアメリカの住宅ローン問題が発端。アラブの春はチュニジアから始まり、シリアなどでは内戦に至った。イギリスは 2016 年の国民投票で離脱を選び 2020 年に離脱(ユーロは未導入のまま)。中国は経済特区で外資を導入し 2001 年に WTO 加盟。
- undefined 国際連盟が発足し、ワシントン会議で海軍軍縮が決まり、ロカルノ条約と不戦条約で国際協調の気運が高まった 国際連盟(1920 年)・ワシントン会議(1921〜22 年)・ロカルノ条約(1925 年)・不戦条約(1928 年)はすべて 1920 年代。ヒトラーの独裁と再軍備・ラインラント進駐は 1933〜36 年、トルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランは 1947 年、ロシア革命は 1917 年、キューバ危機は 1962 年。
標準
- エ ドイツが独ソ不可侵条約を結んだ直後にポーランドへ侵攻して英仏が宣戦し、1941 年の独ソ戦と日本の真珠湾攻撃によって戦争は世界規模に広がった ドイツが独ソ不可侵条約を結んだ直後にポーランドへ侵攻して英仏が宣戦し、1941 年の独ソ戦と日本の真珠湾攻撃によって戦争は世界規模に広がった。20 世紀の出来事は「順序」と「どちらの陣営か」の 2 点で誤答が作られる。
- エ 十四カ条の平和原則を発表し、国際連盟の設立を提唱した ウィルソンは「十四カ条の平和原則を発表し、国際連盟の設立を提唱した」。人物は「国 ── 時期 ── 業績 1 つ」で覚える。
- エ ワシントン会議では海軍軍縮条約のほか、四カ国条約によって日英同盟が解消され、九カ国条約で中国の主権尊重と門戸開放が確認された ロカルノ条約(1925)で独仏国境の現状維持が確認され、翌年ドイツは国際連盟に加盟した。不戦条約は国策の手段としての戦争を放棄したもので、自衛戦争は認められ制裁規定もなかった。ソ連の加盟は 1934 年。
- ウ ヒトラーは 1933 年に首相となり全権委任法で独裁体制を固め、同年に国際連盟を脱退し、1935 年に再軍備を宣言した ムッソリーニの政権掌握は 1922 年(恐慌前)で、エチオピア侵攻は 1935 年。ニューディールは政府の積極的な介入。スペイン内戦では独伊がフランコを支援し、英仏は不干渉。ソ連は計画経済で恐慌の影響が小さかった。
- エ 1955 年のバンドン会議ではアジア・アフリカの 29 か国が平和十原則を採択し、1961 年の非同盟諸国首脳会議とともに米ソどちらの陣営にも属さない立場を打ち出した 1960 年に独立したのは 17 か国。バンドン会議に米ソは参加していない。非同盟諸国首脳会議はユーゴスラヴィアのティトー、インドのネルー、エジプトのナセルらが主導。平和五原則(1954)はネルーと中国の周恩来。
- エ 中ソ対立を背景に 1972 年にニクソン大統領が中国を訪問して米中接近が実現し、同じ年にソ連との間で第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)が妥結した 1971 年に中華人民共和国が国連代表権を獲得し、中華民国は脱退。第一次石油危機では原油価格が約 4 倍に上がり先進国は不況に。アフガニスタン侵攻後、西側はモスクワ五輪をボイコット。ヘルシンキ宣言(1975)は東西 35 か国が参加した CSCE で採択。
- undefined 浜口雄幸内閣が旧平価で金解禁を実施し、昭和恐慌が深刻になった 答え:浜口雄幸内閣が旧平価で金解禁を実施し、昭和恐慌が深刻になった。対応は、1914 第一次世界大戦 ↔ 1913 大正政変/1929 世界恐慌 ↔ 1930 金解禁/1939 第二次世界大戦 ↔ 1940 大政翼賛会/1949 NATO ↔ 1949 ドッジ・ライン/1962 キューバ危機 ↔ 1960 所得倍増計画/1973 ベトナム和平協定 ↔ 1972 日中共同声明/1989 マルタ会談 ↔ 1989 消費税導入/2001 同時多発テロ ↔ 2001 省庁再編。zj-03・zj-04 の年表と横に並べて確かめる。
- ウ 世界恐慌に対し英仏はブロック経済、アメリカはニューディールで対応し、ドイツ・イタリア・日本は対外侵略に向かった 世界恐慌(1929 年)後のブロック経済・ニューディール(1933 年〜)・ファシズム諸国の侵略(1931 年満洲事変・1935 年エチオピア侵攻・1938 年オーストリア併合)は 1930 年代。ロカルノ条約とドイツの連盟加入は 1925〜26 年、ヤルタ会談は 1945 年、バンドン会議(アジア・アフリカ会議)は 1955 年、第一次世界大戦の開戦は 1914 年。
- undefined 朝鮮戦争が休戦し、スターリン批判で「雪どけ」が進む一方、ハンガリーの民主化運動はソ連軍に鎮圧された 朝鮮戦争休戦(1953 年)・スターリン批判(1956 年)・ハンガリー事件(1956 年)は 1950 年代。2 は 1947 年、3 は 1961 年、4 は 1972 年、5 は 1985〜87 年。
発展
- ア 湾岸戦争ではイラクのクウェート侵攻に対し、国連安全保障理事会の決議にもとづく多国籍軍が武力を行使した ドイツ統一は西ドイツが東ドイツを吸収し、統一ドイツは NATO にとどまった。旧ソ連構成国は CIS を結成(バルト三国は EU・NATO に加盟したがロシアは非加盟)。ユーゴスラヴィアは 1991 年以降の内戦で解体。ユーロは 1999 年導入・2002 年現金流通で、非採用国もある。
- エ E → B → D → A → C ベルリン封鎖 1948 → NATO 1949 → ワルシャワ条約機構 1955 → キューバ危機 1962 → マルタ会談 1989。NATO が先でワルシャワ条約機構が対抗、という順序が要点。
- ア 国際連盟は総会・理事会とも全会一致を原則とし制裁は経済制裁に限られたが、国際連合は安全保障理事会の五大国に拒否権を与える一方で軍事的措置をとることを可能にした 国際連盟の本部はジュネーヴ、国際連合はニューヨーク。総会決議は原則として勧告で法的拘束力はない。拒否権をもつのは常任理事国 5 か国のみ。
- ウ ゴルバチョフの書記長就任 → ベルリンの壁の崩壊 → ドイツ統一 → ソ連の解体 → EU(ヨーロッパ連合)の発足 答え:ゴルバチョフの書記長就任 → ベルリンの壁の崩壊 → ドイツ統一 → ソ連の解体 → EU(ヨーロッパ連合)の発足(1985 → 1989 → 1990 → 1991 → 1993)。20 世紀は「大戦と革命(1914〜20)→ 国際協調(1920 年代)→ 恐慌とファシズム(1930 年代)→ 冷戦の開始(1947〜53)→ 雪どけと危機(1955〜63)→ デタント(1968〜79)→ 終結(1985〜91)」の 7 ブロックで区切る。
- undefined トルーマン・ドクトリンで冷戦が始まり、朝鮮戦争、スターリン批判後の「雪どけ」、キューバ危機、1970 年代のデタント、アフガニスタン侵攻による「新冷戦」、ゴルバチョフの登場を経て、マルタ会談で終結が宣言された 順序は 1947 トルーマン・ドクトリン → 1950〜53 朝鮮戦争 → 1956 スターリン批判(雪どけ)→ 1962 キューバ危機 → 1970 年代デタント(1972 ニクソン訪中・SALT I、1975 ヘルシンキ宣言)→ 1979 アフガニスタン侵攻(新冷戦)→ 1985 ゴルバチョフ → 1989 マルタ会談。誤りの選択肢は出来事の順序や、出来事と局面(開始・雪どけ・危機・デタント・新冷戦・終結)の対応が入れ替わっている。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-07/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
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