国際政治史①(ウェストファリア体制〜第一次世界大戦〜戦間期) ── 問題
基礎
- 国際政治史について、ロカルノ条約(1925 年)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ドイツとポーランド・チェコスロバキアの東部国境の現状維持を保証した条約で、これによりドイツは東欧への領土要求をすべて放棄し、国際連盟に加盟した イ 国家の政策の手段としての戦争を放棄すると宣言した条約で、アメリカとフランスの提唱により当初 15 か国が調印した ウ 補助艦の保有比率を米・英・日の間で定めた条約で、日本では統帥権干犯問題を引き起こした エ ドイツとフランス・ベルギーの国境の現状維持とラインラントの非武装を確認した条約で、翌年のドイツの国際連盟加盟につながった undefined アメリカの資金でドイツ経済を立て直し賠償金の支払いを可能にする計画で、ルール占領後の混乱を収めた)
- 国際連盟と国際連合の比較について、国際連盟の総会・理事会における表決の仕組みの説明として妥当なものはどれですか。 (ア 総会・理事会とも出席国の 3 分の 2 の多数決を原則としたため、大国の意向に反する決定も可能だった イ 総会は多数決、理事会は常任理事国の一致を原則としたため、常任理事国の拒否権で決定が妨げられることが多かった ウ 総会・理事会とも常任理事国のみが表決権をもち、非常任理事国は発言権しかなかった エ 総会は全会一致、理事会は 9 理事国以上の賛成を原則としたため、理事会が総会より機動的に動けた undefined 総会・理事会とも全会一致を原則としたため、1 か国の反対で決定できず、迅速な対応が難しかった)
- 主権国家体系(ウェストファリア体制)に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 主権国家体系では、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝が各国の上位に立つ権威として、国家間の紛争を裁定し領土の帰属を決める イ 主権国家体系では、大国と小国は法的に対等であり、他国の国内問題に干渉しないことが原則とされる ウ ウェストファリア条約によって神聖ローマ帝国の皇帝権が強化され、諸侯の主権は否定された エ 主権国家体系は、第一次世界大戦後にウィルソンの 14 か条によって初めて確立された undefined 主権国家体系のもとでは世界政府が存在するため、国家間の関係は勢力均衡に頼る必要がない)
- ウィルソンの 14 か条の平和原則(1918 年)に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 勢力均衡による平和の維持を掲げ、列強の同盟関係を強化し軍備を拡張することで戦争を抑止することを各国に提案した イ 秘密外交の廃止・海洋の自由・軍備縮小・民族自決・国際平和機構の設立などを掲げ、国際連盟設立の基礎となった ウ レーニンの「平和に関する布告」への対抗として発表されたが、民族自決の原則は含まれていなかった エ アジア・アフリカの植民地を含むすべての民族に自決権を認め、戦後に多くの植民地が独立した undefined 国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言し、これが不戦条約としてそのまま条約化された)
- 国際連盟に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 国際連盟規約は戦争そのものを全面的に禁止し、違反国には連盟軍が派遣されることになっていた イ 日本は発足当初から非常任理事国として参加し、満州事変後に連盟から除名された ウ 国際連盟は総会を多数決で運営したため、大国の意向に反する決定が相次ぎ、大国の脱退を招いた エ 国際連盟規約はヴェルサイユ条約の一部として定められ、1920 年に本部をジュネーブに置いて発足した undefined 国際連盟は提唱国であるアメリカが常任理事国として運営を主導し、経済制裁と軍事制裁の両方の権限をもった)
- 第一次世界大戦の勃発に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 第一次世界大戦は 1917 年のロシア革命を阻止するために列強がロシアに出兵したことから始まった イ 第一次世界大戦は 1914 年にアメリカがドイツに宣戦したことで始まり、ヨーロッパ諸国が後から参戦した ウ 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島でオーストリア皇太子夫妻が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、三国同盟側と三国協商側の陣営が戦争に突入した エ 第一次世界大戦は三国同盟の一員だったイタリアがオーストリアを攻撃したことから始まった undefined 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島でドイツ皇帝ヴィルヘルム 2 世が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、ドイツがロシア・フランスに宣戦して戦争が始まった)
標準
- 1907 年の出来事として妥当なものはどれですか。 (ア パリで不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)が調印された イ パリ講和会議でヴェルサイユ条約が調印され、国際連盟規約が定められた ウ ウィーン会議が終わり、正統主義と勢力均衡を原則とするウィーン体制が成立した エ ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟が結ばれた undefined 英露協商が結ばれ、英仏露の三国協商が成立した)
- 19 世紀末から 20 世紀前半の同盟・条約について、三国協商(1907 年成立)の参加国の組み合わせとして正しいものはどれですか。 (ア フランス・ロシア・日本 イ イギリス・フランス・ロシア ウ イギリス・フランス・アメリカ エ イギリス・フランス・イタリア undefined ドイツ・オーストリア・イタリア)
- ビスマルク外交に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア ロシアとの対立を最優先し、ロシアを孤立させるためにフランス・イギリスと同盟を結んだ イ 1878 年のベルリン会議でバルカン問題を調停する一方、露仏同盟を結んでロシアとの関係を安定させた ウ ドイツ統一後は積極的な植民地獲得と海軍増強によってイギリスと対抗する世界政策を進め、その結果としてイギリスの光栄ある孤立を終わらせ、日英同盟の成立を招いた エ 普仏戦争で敗れたフランスの復讐を恐れ、フランスを孤立させることを目的に三帝同盟・独墺同盟・三国同盟・再保障条約などの同盟網を築いた undefined ヴィルヘルム 2 世の即位後も宰相にとどまり、再保障条約を更新してロシアをつなぎとめ続けた)
- 第一次世界大戦前の国際関係に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 日英同盟は 1902 年に結ばれ、第一次世界大戦後もワシントン会議を経て強化された イ 三国協商は 1907 年に英・仏・露が 1 つの条約に調印して成立した軍事同盟である ウ ビスマルク辞任後に再保障条約が更新されなかったことでロシアがフランスに接近し、露仏同盟・英仏協商・英露協商を経て三国協商が成立した エ イタリアは三国同盟の一員として開戦と同時にドイツ・オーストリア側で参戦し、最後まで同盟側で戦った undefined イギリスは 19 世紀を通じて大陸のどの国とも同盟を結ばない光栄ある孤立の方針を貫き、ドイツの台頭後もこれを変えず、第一次世界大戦にも中立の立場を保った)
- ワシントン体制に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 九か国条約で日本の満州における特殊権益が列強に承認され、日本の大陸進出が公認された イ ワシントン会議は国際連盟の主催でジュネーブで開かれ、アメリカは国際連盟の常任理事国として会議を主導し、主力艦の保有比率を米・英・日で対等に定めることに成功した ウ 四か国条約で太平洋の現状維持が約束されて日英同盟は終了し、九か国条約で中国の主権尊重・門戸開放が確認され、海軍軍縮条約で主力艦の保有比率が制限された エ 海軍軍縮条約で主力艦の保有比率は米・英・日で 5:5:5 と対等に定められ、日本の海軍は制限を受けなかった undefined ワシントン体制はロカルノ条約によってヨーロッパにも拡大され、ドイツの軍備制限が撤廃された)
- 1920 年代の国際協調に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア ロカルノ条約(1925 年)でドイツと西側諸国の国境の現状維持が確認され、翌年ドイツは国際連盟に加盟した イ ドーズ案(1924 年)はドイツの賠償金支払いを免除し、ヤング案(1929 年)で賠償の総額が増額された ウ ドイツは 1926 年に国際連盟に加盟したが、常任理事国にはなれなかった エ 不戦条約(1928 年)は自衛戦争を含むすべての戦争を禁止し、違反国への制裁規定も備えていた undefined ロンドン海軍軍縮条約(1930 年)は主力艦の保有比率を初めて定め、日本では歓迎された)
- 世界恐慌とブロック経済に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア イギリスは 1931 年に金本位制を離脱し、翌年のオタワ会議でイギリス連邦内の特恵関税を柱とするスターリング・ブロックを形成した イ 1933 年のロンドン世界経済会議で各国は関税の引下げと為替の安定で合意し、国際協調による恐慌対策が実現した ウ アメリカは 1930 年のスムート・ホーリー関税法で関税を大幅に引き下げ、各国に自由貿易を呼びかけることで世界貿易を回復させ、恐慌からの脱出をめざした エ ブロック経済は植民地をもたない日本・ドイツ・イタリアが主導し、植民地をもつ英・仏はこれに反対した undefined 世界恐慌後、各国が金本位制を維持して通貨を安定させたため、世界貿易は恐慌前の水準を保った)
- 1930 年代の集団安全保障の崩壊に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 国際連盟は日本・ドイツの脱退後も米・ソが加盟していたため、1930 年代を通じて機能を保った イ ミュンヘン会談ではイギリスとフランスがドイツのズデーテン要求を拒否し、集団安全保障によってドイツの拡張を抑えた ウ 満州事変後、国際連盟はリットン調査団の報告に基づき満州国を承認しない決議を採択し、日本は 1933 年に連盟からの脱退を通告した エ ドイツのラインラント進駐はヴェルサイユ条約には違反したが、ロカルノ条約には違反していなかった undefined イタリアのエチオピア侵略に対して国際連盟は石油の禁輸を含む徹底した経済制裁と軍事制裁を発動し、イタリアは侵略を断念して連盟にとどまった)
発展
- 第二次世界大戦中の連合国の会談・宣言について、ヤルタ会談(1945 年 2 月)の説明として妥当なものはどれですか。 (ア ローズヴェルト・チャーチル・蔣介石が会談し、満州・台湾の中国への返還と朝鮮の独立など日本の領土問題を取り決めた イ ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが会談し、北フランスへの上陸作戦による第二戦線の形成について初めて合意した ウ ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが会談し、ドイツの分割占領、安保理の拒否権、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦などを取り決めた エ トルーマン・チャーチル・スターリンが会談し、ドイツの分割占領、安保理の拒否権、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦などを秘密協定を含めて取り決めた undefined ローズヴェルトとチャーチルが会談し、領土不拡大・民族自決・貿易の自由など 8 項目を掲げる憲章を発表した)
- 次の A〜E の出来事を古い順に並べたものとして正しいものはどれですか。 A 不戦条約の調印 B ロカルノ条約の調印 C ワシントン会議の開催 D 日本の国際連盟脱退通告 E ロンドン海軍軍縮条約の調印 (ア B → C → A → D → E イ C → B → A → E → D ウ C → A → B → E → D エ B → C → E → A → D undefined C → B → E → A → D)
- ヤルタ会談(1945 年 2 月)に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが参加し、ドイツの分割占領や安保理の拒否権に加え、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦が秘密協定で取り決められた イ ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが参加し、北フランスへの上陸作戦による第二戦線の形成が初めて合意された ウ ローズヴェルト・チャーチル・蔣介石が参加し、満州・台湾の中国への返還と朝鮮の独立が取り決められた エ ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが参加したが、ソ連の対日参戦については合意に至らず、ソ連は日ソ中立条約を守って参戦しなかった undefined トルーマン・チャーチル・スターリンが参加し、ドイツの分割占領や安保理の拒否権を取り決めたうえ、会談中に米・英・中の名で日本に無条件降伏を求める宣言が発表された)
- 第一次世界大戦後のドイツの賠償問題に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 賠償支払いの遅れを理由にフランス・ベルギーが 1923 年にルール地方を占領し、その後ドーズ案(1924 年)によりアメリカの資金でドイツ経済を立て直す仕組みが作られた イ 賠償支払いの遅れを理由にイギリスとフランスが 1923 年にルール地方を占領し、その後ドーズ案(1924 年)で賠償の総額が大幅に減額され、ヤング案(1929 年)で支払いが全面的に免除された ウ 賠償問題は世界恐慌の影響を受けず、1930 年代を通じてヤング案どおりに支払いが続けられた エ ルール占領はイギリスが単独で行い、ドイツの通貨は安定して賠償支払いが順調に進んだ undefined アメリカからの資金流入はヴェルサイユ条約で禁止されていたため、ドイツは自力で賠償を支払い続けた)
- 1930 年代後半のヨーロッパ情勢に関する記述として妥当なものはどれですか。 (ア 1939 年 8 月にドイツはイギリス・フランスと不可侵条約を結び、ソ連を孤立させてからポーランドに侵攻した イ 1936 年に日本・ドイツ・イタリアは三国軍事同盟を結び、ソ連への共同の軍事行動を約束した ウ ドイツは 1938 年にオーストリアを併合したが、これはヴェルサイユ条約で認められた民族自決の正当な行使として国際連盟に承認された エ 1938 年のミュンヘン会談でイギリスのチェンバレンらはドイツによるズデーテン地方の併合を認めたが、この宥和政策はドイツの拡張を止められず、翌年の第二次世界大戦につながった undefined 1938 年のミュンヘン会談でイギリスのチェンバレンらはドイツによるズデーテン地方の併合を拒否し、集団安全保障によってドイツの拡張を抑えたが、翌年ドイツはポーランドに侵攻した)
国際政治史①(ウェストファリア体制〜第一次世界大戦〜戦間期) ── 解答
基礎
- エ ドイツとフランス・ベルギーの国境の現状維持とラインラントの非武装を確認した条約で、翌年のドイツの国際連盟加盟につながった ドイツとフランス・ベルギーの国境の現状維持とラインラントの非武装を確認した条約で、翌年のドイツの国際連盟加盟につながった。1648 ウェストファリア → 1815 ウィーン → 1921〜22 ワシントン → 1925 ロカルノ → 1928 不戦条約の順。
- undefined 総会・理事会とも全会一致を原則としたため、1 か国の反対で決定できず、迅速な対応が難しかった 総会・理事会とも全会一致を原則としたため、1 か国の反対で決定できず、迅速な対応が難しかった。連盟の弱点は「米不参加・全会一致・経済制裁のみ」の 3 点で、国連はそれぞれを直した。
- イ 主権国家体系では、大国と小国は法的に対等であり、他国の国内問題に干渉しないことが原則とされる ウェストファリア条約(1648 年)で諸侯に主権が認められ、上位の権威(教皇・皇帝)に代わって対等な主権国家が並ぶ体制ができた。原則は主権平等・内政不干渉・領域性。上位の権力がないため勢力均衡や国際法で秩序を保つ。
- イ 秘密外交の廃止・海洋の自由・軍備縮小・民族自決・国際平和機構の設立などを掲げ、国際連盟設立の基礎となった 14 か条は秘密外交の廃止・海洋の自由・軍縮・民族自決・国際平和機構を掲げ、集団安全保障の考え方に立つ(勢力均衡の否定)。民族自決は実際にはヨーロッパの敗戦国の領土にしか適用されなかった。不戦条約は 1928 年の別の条約。
- エ 国際連盟規約はヴェルサイユ条約の一部として定められ、1920 年に本部をジュネーブに置いて発足した 連盟規約はヴェルサイユ条約第 1 編。本部ジュネーブ、1920 年発足。アメリカは不参加、表決は全会一致、制裁は経済制裁のみ。規約は戦争を全面禁止したわけではない(冷却期間の仕組み)。日本は常任理事国で、1933 年に自ら脱退を通告した。
- ウ 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島でオーストリア皇太子夫妻が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、三国同盟側と三国協商側の陣営が戦争に突入した 1914 年 6 月 28 日のサラエボ事件(オーストリア皇太子夫妻の暗殺)が発端。イタリアは開戦時中立で 1915 年に協商側で参戦。アメリカの参戦は 1917 年、ロシア革命も 1917 年。
標準
- undefined 英露協商が結ばれ、英仏露の三国協商が成立した 1907 年は「英露協商が結ばれ、英仏露の三国協商が成立した」。年の並びは 1648 → 1815 → 1882 → 1907 → 1919 → 1928 → 1933 → 1941 → 1945。
- イ イギリス・フランス・ロシア イギリス・フランス・ロシア。ロシアが入る同盟(三帝同盟・再保障条約)が切れて露仏同盟 → 三国協商(英仏露)。三国同盟は独墺伊。四か国条約は米英日仏、海軍軍縮条約は米英日仏伊。
- エ 普仏戦争で敗れたフランスの復讐を恐れ、フランスを孤立させることを目的に三帝同盟・独墺同盟・三国同盟・再保障条約などの同盟網を築いた ビスマルクの狙いはフランスの孤立。ロシアをつなぎとめる同盟(三帝同盟・再保障条約)が要だった。世界政策はヴィルヘルム 2 世。露仏同盟はビスマルク辞任後(1891〜94 年)に成立。ビスマルクは 1890 年に辞任し、再保障条約は更新されなかった。
- ウ ビスマルク辞任後に再保障条約が更新されなかったことでロシアがフランスに接近し、露仏同盟・英仏協商・英露協商を経て三国協商が成立した 露仏同盟(1891〜94 年)→ 英仏協商(1904 年)→ 英露協商(1907 年)の組み合わせが三国協商(1 つの条約ではない)。イギリスは日英同盟(1902 年)で孤立を終え、大戦に参戦。イタリアは開戦時中立、1915 年に協商側で参戦。日英同盟は四か国条約で終了。
- ウ 四か国条約で太平洋の現状維持が約束されて日英同盟は終了し、九か国条約で中国の主権尊重・門戸開放が確認され、海軍軍縮条約で主力艦の保有比率が制限された ワシントン会議(1921〜22 年)はアメリカ主導(連盟外)。主力艦比率は米英日仏伊で 5:5:3:1.67:1.67。九か国条約は中国の主権尊重・門戸開放で、日本の特殊権益を認めたものではない。ロカルノ条約はヨーロッパの国境保障で、ドイツの軍備制限撤廃ではない。
- ア ロカルノ条約(1925 年)でドイツと西側諸国の国境の現状維持が確認され、翌年ドイツは国際連盟に加盟した ロカルノ条約 → 1926 年ドイツの連盟加盟(常任理事国として)。不戦条約は自衛戦争を除外し制裁規定なし。ドーズ案はアメリカ資金による立て直し、ヤング案は総額の減額。ロンドン条約は補助艦の制限で、日本では統帥権干犯問題に。
- ア イギリスは 1931 年に金本位制を離脱し、翌年のオタワ会議でイギリス連邦内の特恵関税を柱とするスターリング・ブロックを形成した スムート・ホーリー関税法(1930 年)は関税の大幅引上げ。ロンドン世界経済会議は失敗。ブロック経済は植民地をもつ「持てる国」(英・仏など)の政策で、「持たざる国」(日独伊)は武力による勢力圏拡大へ向かった。各国は金本位制を離脱し、世界貿易は急減した。
- ウ 満州事変後、国際連盟はリットン調査団の報告に基づき満州国を承認しない決議を採択し、日本は 1933 年に連盟からの脱退を通告した 満州国不承認 → 日本は自ら脱退を通告(除名ではない)。エチオピア制裁は石油を除外するなど不徹底で失敗。ラインラント進駐はロカルノ条約にも違反。ミュンヘン会談は宥和政策でズデーテン割譲を容認。アメリカは最後まで不参加、ソ連は 1939 年に除名。
発展
- ウ ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが会談し、ドイツの分割占領、安保理の拒否権、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦などを取り決めた ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが会談し、ドイツの分割占領、安保理の拒否権、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦などを取り決めた。参加者で判別:蔣介石ならカイロ、スターリン初参加ならテヘラン、拒否権・対日参戦ならヤルタ、トルーマンならポツダム。ポツダム宣言は当初米・英・中の名で発表され、ソ連は対日参戦後に加わった。
- イ C → B → A → E → D C ワシントン会議(1921〜22 年)→ B ロカルノ条約(1925 年)→ A 不戦条約(1928 年)→ E ロンドン海軍軍縮条約(1930 年)→ D 日本の連盟脱退通告(1933 年)。「21〜22 ワシントン → 25 ロカルノ → 28 不戦 → 30 ロンドン」で覚える。
- ア ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが参加し、ドイツの分割占領や安保理の拒否権に加え、ドイツ降伏後 3 か月以内のソ連の対日参戦が秘密協定で取り決められた ヤルタ会談=米英ソ。ドイツ分割占領・拒否権・ソ連の対日参戦(南樺太・千島の引き渡し)が秘密協定。トルーマンはポツダム、蔣介石はカイロ、第二戦線はテヘラン。ソ連は 1945 年 8 月 8 日に対日宣戦した。
- ア 賠償支払いの遅れを理由にフランス・ベルギーが 1923 年にルール地方を占領し、その後ドーズ案(1924 年)によりアメリカの資金でドイツ経済を立て直す仕組みが作られた ルール占領(1923 年、仏・ベルギー)→ ドイツの破局的インフレ → ドーズ案(1924 年、アメリカ資金による立て直し)→ ヤング案(1929 年、総額の減額)。「米の資金 → 独の賠償 → 英仏の対米戦債返済」の循環が世界恐慌で止まり破綻した。
- エ 1938 年のミュンヘン会談でイギリスのチェンバレンらはドイツによるズデーテン地方の併合を認めたが、この宥和政策はドイツの拡張を止められず、翌年の第二次世界大戦につながった ミュンヘン会談(1938 年 9 月)は宥和政策の典型。1939 年 8 月は独ソ不可侵条約。オーストリア併合はヴェルサイユ条約で禁じられていた。1936 年は日独防共協定で、三国軍事同盟は 1940 年。
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/seiji/zi-01/test/ / 問題は毎回の表示で数が変わります。印刷したものはその一例です。
📄 紙で解くなら プリント(レベルと問題数を選べます)。このページをそのまま印刷しても各レベル 10 問と解答が出ます。