地方上級 / 世界史 / zj-05
古代〜中世(ギリシャ・ローマ・中国王朝・イスラーム)
この単元でできるようになること
- アテネ民主政の発展(ソロン → クレイステネス → ペリクレス)とローマの政体の変化(王政 → 共和政 → 帝政)を、「誰が政治に参加できたか」の広がりとして説明できる
- 中国の王朝を秦から明まで順に並べ、それぞれの統治のしくみ(郡県制・郡国制・均田制・科挙・両税法など)と代表的な君主を結びつけられる
- イスラーム世界の成立と拡大(ムハンマド → 正統カリフ → ウマイヤ朝 → アッバース朝)と、その後の王朝の分立を押さえる
- 中世ヨーロッパの封建社会・教会・十字軍・都市の発達を、ビザンツ帝国・イスラーム世界との関係とあわせて説明できる
試験での位置づけ
地方上級・国家一般職の世界史は 1〜2 問程度で、古代〜中世からは「中国王朝の制度」「ローマ帝国の変遷」「イスラーム世界の成立」「中世ヨーロッパ(封建制・十字軍)」が 5 択の正誤文で問われることが多い分野です。選択肢では「別の王朝の制度を当てる(均田制を宋の制度にする)」「人物と業績を入れかえる(クレイステネスとソロン)」「順序を入れかえる(アッバース朝の前にウマイヤ朝)」といった細工がされるので、地域ごとに「王朝(時代)── 制度 ── 人物」の表で覚えるのが近道です。中学の h-01・h-12 が土台になります。
1. 古代ギリシャ ── ポリスと民主政
まずここだけ
ギリシャは山がちで統一国家ができず、ポリス(都市国家)が並び立ちました。代表がアテネとスパルタです。アテネの民主政は、重装歩兵として戦争に参加した平民が発言力を強めていく過程で、段階的に広がりました。
| 人物・時期 | 改革・出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| ドラコン(前 7 世紀末) | 慣習法の成文化 | 貴族による法の独占を崩す |
| ソロン(前 594) | 財産政治・債務奴隷の禁止 | 財産額で参政権を段階づけ |
| ペイシストラトス(前 6 世紀) | 僭主政治 | 平民の支持を背景に独裁 |
| クレイステネス(前 508) | 部族制の改革・陶片追放(オストラキスモス) | 民主政の基礎 |
| ペルシア戦争(前 500〜449) | マラトンの戦い・サラミスの海戦(前 480) | 軍船の漕ぎ手となった無産市民の発言力が高まる |
| ペリクレス(前 5 世紀半ば) | 民主政の完成 | 成年男子市民全員が参加する民会が最高機関。女性・奴隷・在留外国人は参加できない |
| ペロポネソス戦争(前 431〜404) | アテネ(デロス同盟)対スパルタ(ペロポネソス同盟) | スパルタが勝利。ポリスの衰退へ |
| カイロネイアの戦い(前 338) | マケドニアのフィリッポス 2 世がギリシャ連合軍を破る | ポリスの独立が事実上終わる |
ここまでできれば十分
アテネの民主政は直接民主政で、将軍などを除く多くの公職はくじで選ばれました。「代表を選挙で選ぶ間接民主政だった」は誤りです。陶片追放は僭主になるおそれのある人物を投票で 10 年間国外に追放する制度で、クレイステネスが定めたとされます。
アレクサンドロス大王(前 336〜323)は東方遠征でアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、ギリシャ文化とオリエント文化が混ざったヘレニズム文化が生まれました(アレクサンドリアのムセイオン、エウクレイデス、アルキメデス)。思想では、ポリス市民の生き方を問うたソクラテス・プラトン・アリストテレスに対し、ヘレニズム期は個人の心の平安を求めるストア派(ゼノン)・エピクロス派が現れます(zj-10 でくわしく扱います)。
2. 古代ローマ ── 共和政から帝政へ
まずここだけ
| 段階 | 出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| 王政 → 共和政(前 509) | エトルリア人の王を追放 | 貴族(パトリキ)が元老院・コンスルを独占 |
| 身分闘争 | 護民官・平民会(前 5 世紀初め)、十二表法(前 450 頃)、リキニウス・セクスティウス法(前 367)、ホルテンシウス法(前 287) | 平民(プレブス)が段階的に権利を獲得。ホルテンシウス法で平民会の決議が元老院の承認なしに国法に |
| ポエニ戦争(前 264〜146) | カルタゴとの 3 度の戦争。ハンニバル対スキピオ | 地中海の覇権。属州から安い穀物が流入し中小農民が没落、ラティフンディア(奴隷制大農場)が広がる |
| 内乱の 1 世紀 | グラックス兄弟の改革(前 133・123)失敗 → マリウスとスラ → スパルタクスの反乱 → 第 1 回三頭政治(カエサル・ポンペイウス・クラッスス) | カエサルが独裁 → 暗殺(前 44) |
| 帝政の始まり(前 27) | オクタウィアヌスがアクティウムの海戦(前 31)で勝利、元老院からアウグストゥスの称号 | 元首政(プリンキパトゥス)。共和政の形式を残した事実上の帝政 |
| 五賢帝(96〜180) | ネルウァ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌス・ピウス・マルクス・アウレリウス | トラヤヌス帝のとき最大版図。「ローマの平和」(パクス・ロマーナ) |
| 3 世紀の危機 | 軍人皇帝時代 | 各地の軍団が皇帝を擁立 |
| ディオクレティアヌス帝(284〜305) | 専制君主政(ドミナトゥス)・四帝分治 | 皇帝崇拝を強制、キリスト教徒を大迫害 |
| コンスタンティヌス帝 | ミラノ勅令(313)でキリスト教公認・ニケーア公会議(325)・コンスタンティノープル遷都(330) | |
| テオドシウス帝 | キリスト教を国教化(392)、死後に東西分裂(395) | |
| 西ローマ帝国滅亡(476) | ゲルマン人傭兵隊長オドアケルが皇帝を廃位 | 東ローマ(ビザンツ)帝国は 1453 年まで続く |
ここまでできれば十分
ローマ史の選択肢は「ホルテンシウス法の内容」「ラティフンディアと中小農民没落の因果」「元首政と専制君主政の区別」「ミラノ勅令と国教化の区別(公認と国教化は別の皇帝)」がよく問われます。ミラノ勅令は公認(信仰を認めた)、テオドシウス帝は国教化(他の宗教を禁止)です。ローマ人の残したものとしては、ローマ法(万民法へ発展、のちにユスティニアヌス帝が『ローマ法大全』に集大成)、水道・道路などの土木技術、ラテン語があります。
3. 中国の王朝 ── 秦から明まで
まずここだけ
| 王朝 | 成立 | 建国者・主な君主 | 統治のしくみ・出来事 |
|---|---|---|---|
| 秦 | 前 221 | 始皇帝 | 郡県制・度量衡と文字の統一・半両銭・焚書坑儒・万里の長城 |
| 前漢 | 前 202 | 劉邦(高祖)・武帝 | 郡国制(郡県制と封建制の併用)→ 武帝が実質的に郡県制へ。郷挙里選・儒学の官学化(董仲舒)・張騫の西域派遣・塩鉄の専売 |
| 新 | 8 | 王莽 | 周の制度を理想とした復古政治で混乱 |
| 後漢 | 25 | 光武帝 | 蔡倫の製紙法改良・班超の西域経営・黄巾の乱(184)で衰退 |
| 魏晋南北朝 | 220〜589 | 魏(曹丕)・晋・北魏など | 九品中正(魏)で門閥貴族が固定。北魏の均田制。仏教の広がり |
| 隋 | 581 | 楊堅(文帝)・煬帝 | 南北を統一。科挙の開始・大運河。高句麗遠征の失敗で滅亡 |
| 唐 | 618 | 李淵・太宗(貞観の治)・玄宗(開元の治) | 律令・三省六部・均田制・租庸調・府兵制。安史の乱(755〜763)後に両税法(780・楊炎)と募兵制へ。黄巣の乱(875〜884)で衰え 907 年滅亡 |
| 宋 | 960 | 趙匡胤(太祖) | 文治主義・科挙の完成(殿試)。王安石の新法(1069〜)。靖康の変(1126〜27)で金に華北を奪われ南宋へ(都は臨安) |
| 元 | 1271 | フビライ | 大都(北京)。南宋を滅ぼす(1279)。モンゴル人第一主義・色目人の登用。駅伝制(ジャムチ)・紙幣(交鈔) |
| 明 | 1368 | 朱元璋(洪武帝)・永楽帝 | 漢民族王朝の復活。里甲制・六諭。永楽帝の鄭和の南海遠征。北虜南倭。一条鞭法(銀納) |
ここまでできれば十分
官吏登用制度の流れは頻出です。郷挙里選(漢・地方長官の推薦)→ 九品中正(魏晋南北朝・門閥貴族の固定「上品に寒門なく下品に勢族なし」)→ 科挙(隋に始まり宋で完成・清末 1905 年廃止)。
土地・税制の流れも同じくらい出ます。均田制(北魏 → 隋・唐)→ 安史の乱で崩れて両税法(唐・780)→ 一条鞭法(明後期・銀納)→ 地丁銀(清)。均田制は国家が農民に土地を与えて租庸調を取るしくみ、両税法は土地の所有を認めたうえで資産に応じて夏と秋の 2 回課税するしくみです。
地方統治は封建制(周)→ 郡県制(秦)→ 郡国制(前漢初め)→ 郡県制(武帝以後)。「秦が郡国制を始めた」「前漢が郡県制を始めた」はよくある入れかえです。
もう一歩(発展)
宋代は「文治主義で軍事が弱く、北方民族(遼・西夏・金)に銀や絹を贈って和平を保った」という構造、元代は「モンゴル人 → 色目人 → 漢人 → 南人の序列」「東西交流(マルコ・ポーロ、イブン・バットゥータ)」、明代は「海禁と朝貢貿易」「北虜南倭」が要点です。清(1616 年建国・1644 年北京入城)は zj-06 で扱います。
4. イスラーム世界 ── 成立と王朝の分立
まずここだけ
| 年 | 出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| 610 頃 | ムハンマドが啓示を受ける | メッカの商人。唯一神アッラー |
| 622 | ヒジュラ(聖遷) | メッカからメディナへ。イスラーム暦の元年 |
| 630 | メッカ征服 | カーバ神殿を聖殿に |
| 632〜661 | 正統カリフ時代 | カリフは選挙で選ばれた。ニハーヴァンドの戦い(642)でササン朝を破る |
| 661〜750 | ウマイヤ朝(ダマスクス) | カリフの世襲。西はイベリア半島まで拡大。トゥール・ポワティエ間の戦い(732)でフランク王国に敗れる。アラブ人優遇の「アラブ帝国」 |
| 750〜1258 | アッバース朝(バグダード) | 民族の差別を廃した「イスラーム帝国」。ハールーン・アッラシードの頃が全盛。1258 年にモンゴル(フラグ)に滅ぼされる |
| 756 | 後ウマイヤ朝(コルドバ) | イベリア半島で独立 |
| 909 | ファーティマ朝 | シーア派。カリフを称する。チュニジアで建国し、969 年にカイロを建設して都とする |
| 1038 | セルジューク朝 | トルコ系。スルタンの称号(1055)。ビザンツ帝国を圧迫し十字軍のきっかけに |
| 1169 | アイユーブ朝 | サラディン(サラーフ・アッディーン)がイェルサレムを奪回(1187) |
| 1250 | マムルーク朝(カイロ) | 奴隷出身の軍人が建てた王朝 |
| 1299 頃 | オスマン帝国 | メフメト 2 世がコンスタンティノープルを陥落(1453)させビザンツ帝国を滅ぼす |
ここまでできれば十分
スンナ派とシーア派:シーア派は「アリーとその子孫だけが正統な指導者」とする立場で、ファーティマ朝やサファヴィー朝(16 世紀のイラン)がシーア派です。多数派はスンナ派。「ウマイヤ朝はシーア派」は誤りです。
ウマイヤ朝とアッバース朝の違い:ウマイヤ朝は征服地の非アラブ人改宗者にも人頭税(ジズヤ)を課してアラブ人を優遇したのに対し、アッバース朝は改宗者への人頭税をやめ、イスラーム法のもとでの平等を打ち出しました。この対比が「アラブ帝国からイスラーム帝国へ」という言い方です。
イスラーム文化は、ギリシャの学問をアラビア語に翻訳して継承し(バグダードの「知恵の館」)、代数学・化学・医学(イブン・シーナー)を発展させ、12 世紀にラテン語へ再翻訳されてヨーロッパの学問復興(12 世紀ルネサンス)を促しました。
5. 中世ヨーロッパ ── 封建社会・教会・十字軍
まずここだけ
| 年 | 出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| 375 | ゲルマン人の大移動開始 | フン人の圧迫 |
| 481 | フランク王国(メロヴィング朝) | クローヴィスがアタナシウス派に改宗(496) |
| 732 | トゥール・ポワティエ間の戦い | カール・マルテルがイスラーム軍を撃退 |
| 751 | カロリング朝 | ピピンが即位。ラヴェンナ地方を教皇に寄進(教皇領の起源) |
| 800 | カールの戴冠 | 教皇レオ 3 世が西ローマ皇帝の冠を授ける。西欧世界の成立 |
| 843・870 | ヴェルダン条約・メルセン条約 | フランク王国が 3 分裂 → 独・仏・伊の原型 |
| 962 | オットー 1 世の戴冠 | 神聖ローマ帝国の始まり |
| 1077 | カノッサの屈辱 | 叙任権闘争。皇帝ハインリヒ 4 世が教皇グレゴリウス 7 世に謝罪 |
| 1096〜1291 | 十字軍 | 教皇ウルバヌス 2 世がクレルモン宗教会議で提唱。聖地回復は失敗 |
| 1215 | マグナ・カルタ | イギリス王ジョンが貴族の要求を認める |
| 1302 | 三部会(フランス) | フィリップ 4 世が招集 |
| 1309〜77 | 教皇のバビロン捕囚 | 教皇庁がアヴィニョンへ。教皇権の衰え |
| 1339〜1453 | 百年戦争 | 英仏。ジャンヌ・ダルク。フランスが勝利 |
| 1348 頃 | 黒死病(ペスト)の大流行 | 人口減 → 農民の地位向上 |
| 1453 | ビザンツ帝国滅亡 | オスマン帝国のメフメト 2 世 |
ここまでできれば十分
封建制は、主君が家臣に封土(土地)を与えて保護し、家臣は主君に軍役で応える双務的な契約関係です(中国・周の封建制や日本の御恩と奉公と比較して問われます)。荘園では領主が農奴を支配し、農奴は移動の自由がなく賦役・貢納を負いました。
教会:教皇を頂点とするローマ・カトリック教会は封建社会の精神的な支柱で、教皇権の頂点はインノケンティウス 3 世(13 世紀初め、「教皇は太陽、皇帝は月」)。十字軍の失敗で教皇の権威が下がり、代わって国王の力が強まっていきました(十字軍 → 教皇権の衰退・王権の伸長・商業の発達、という因果)。
都市:11 世紀以降の商業の復活で、北イタリア(ヴェネツィア・ジェノヴァ)と北ドイツ(ハンザ同盟・リューベック)の都市が栄えました。「都市の空気は自由にする」の言葉どおり、荘園から逃れた農奴が 1 年と 1 日住めば自由身分になれたとされます。
ビザンツ帝国:ユスティニアヌス帝(6 世紀)が『ローマ法大全』を編纂し、ハギア・ソフィア聖堂を建て、一時地中海世界の大部分を回復しました。ギリシャ正教(1054 年に東西教会が分裂)と皇帝教皇主義が特徴です。
6. よくある間違い
| 間違い | 正しくは |
|---|---|
| アテネの民主政は代表を選ぶ間接民主政 | 民会に成年男子市民が直接参加する直接民主政。女性・奴隷・在留外国人は除外 |
| 陶片追放を定めたのはソロン | クレイステネス。ソロンは財産政治・債務奴隷の禁止 |
| ミラノ勅令でキリスト教が国教になった | ミラノ勅令(313・コンスタンティヌス)は公認。国教化は 392 年テオドシウス帝 |
| 秦が郡国制、前漢が郡県制を始めた | 秦が郡県制、前漢初めが郡国制(郡県制と封建制の併用) |
| 科挙は唐に始まり宋で廃止された | 隋に始まり宋で完成(殿試)、廃止は 1905 年(清末) |
| 両税法は均田制の前 | 均田制が安史の乱で崩れたあと、780 年に両税法 |
| ウマイヤ朝はバグダード、アッバース朝はダマスクス | 逆。ウマイヤ朝がダマスクス、アッバース朝がバグダード |
| カノッサの屈辱で皇帝が教皇を屈服させた | 皇帝ハインリヒ 4 世が教皇に謝罪した。教皇権の強さを示す出来事 |
| 十字軍の成功で教皇権が高まった | 十字軍は最終的に失敗し、教皇権は衰え、王権と商業が伸びた |
7. 覚え方の型
- 地域ごとに「時代(王朝)── 統治のしくみ ── 代表人物 ── 滅んだ理由」の 4 列の表を作る
- 制度は流れで覚える(官吏登用:郷挙里選 → 九品中正 → 科挙/土地税制:均田制 → 両税法 → 一条鞭法 → 地丁銀/ローマ:王政 → 共和政 → 元首政 → 専制君主政)
- 「公認と国教化」「アラブ帝国とイスラーム帝国」「郡県制と郡国制」のように、似た語の区別のポイント 1 つをメモしておく
- 同じ時期の他地域と横につなぐ(唐とアッバース朝は 751 年タラス河畔の戦いで接触・製紙法が西伝/ビザンツ帝国滅亡と応仁の乱はほぼ同時期)
8. 小テストへ
→ 小テスト(zj-05)
関連する単元
- 前提:h-01 文明のおこり、h-12 世界史(中学歴史)
- 次に進む:zj-06 世界史 近代(ルネサンス〜市民革命〜帝国主義)
- 同じ考え方を使う:zj-01 日本史 古代〜中世(律令制と唐の制度・封建制の比較)、zj-10 思想・文芸(ギリシャ哲学)
参考資料
- 人事院「国家公務員採用一般職試験(大卒程度試験)受験案内」── 基礎能力試験の出題分野(人文科学)
- 各都道府県・政令指定都市の職員採用試験受験案内(教養試験の出題分野)
- 高等学校「世界史探究」教科書(文部科学省検定済)の該当章
- 『世界史年表・地図』(吉川弘文館)── 年号・人物名の確認
受験のしらべ / https://juken-shirabe.com/koumuin/jinbun/zj-05/ / 更新 2026-09-14